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調弦、午前三時

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そんなことが素敵です

周くんと忍の「ふたり暮らし」のお話。





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 家路へと着く人たちの姿をぼんやりと眺めている、こんな時間が好きだ。それぞれの事情を携えたまま足早に駆けていく背中を見送るそのうち、淡い光に包まれるようにしながら、自身があやふやに溶けて消え去っていくかのような、こんな心許なさすら不思議にいとおしく思えるからだ。
 それはきっと、そんな不確かな自身をこんなにも確かにつなぎ止めてくれる相手の居場所が心の中にきちんと携えられているからに他ならないのだけれど。



「おう、おつかれ」
 定位置になった壁際にもたれかかるようにしているそのうち、左斜め上から、いつものあのやわらかくてすこしだけくぐもった声が届く。朝に家を出る時にみたのとおなじ、濃紺に薄いストライプの織り模様の入ったスーツ姿は何度目にしてもしっくりと板につくように様になっている。
「おかえり周、おつかれさま。きょうさ、晩ご飯お総菜にしたけどいい?」
「なに買ったの?」
「小えびの天ぷらとしゅうまい。あと、うち帰ったらサラダと中華スープつくんね」
「いいじゃん、あとビール?」
「第三じゃないやつね」
 笑いあいながら、ゆるゆると手の甲をぶつけあう。すこしだけぎこちないけれど、それでもなによりも欠かすことなんて出来ない大切なサインだ。




 家電量販店を併設したホームセンター、食料品専門の24時間営業の業務スーパー、チェーンのファーストフードショップひととおりに、ひっそりと軒を連ねるゆっくり本の読めるカフェと、おいしいパン屋さん。
 おおよそ暮らしに必要なものは洗いざらいそろった(シネコンがあれば申し分なしなのだけれど、そこまでの贅沢は言わない)この街に引っ越して、もう五年目になろうとしている。
 駅前広場の季節ごとに色とりどりに咲き乱れる花壇も、近くの幼稚園の子どもたちがすれ違いざまに交わしてくれるかわいらしい挨拶も、ささやかな日々の生活にあたたかな彩りを与えてくれてすっかり気に入っている。
 駅前からアパートまでは歩いて十分、おしゃべりのついでに少し遠回りして歩くには程良いこの距離も、そのうちのひとつだ。
 第三じゃないビールの入った袋を下げて歩く道すがら、ふいに視界の端を、ふわふわとしたやわらかな影がよぎる。
「周」
「ん、」
 ぱたり、と革靴の足を止め、オレンジにうっすら縞模様の混じったふわふわの毛玉とじっと見つめ合う。
 痩せてはいるけれど毛皮はしっとりとやわらかで、よく見れば耳の先はちょこんと桜の花びらの形になっている。
 足音をたてないようにそうっと近づこうとしても、けげんそうにこちらをにらみつける緑の瞳から警戒心は消え去らず、いつの間にかするりとしなやかな影は立ち去ってしまう。


「きなこだったね」
「知ってる猫?」
 問いかけを前に、ぶん、と首を横に振って答える。
「じゃなくて、ああいう柄? ほら、きなこみたいな綺麗なオレンジだったでしょ」
「そんな言い方すんだな」
「や、知らないけど。そいやさ、足のさきっぽだけ白い子のことって靴下っていうじゃん、かわいいよね。周はさ、どの柄がいちばん好き?」
「あんまし考えたことないかな、だいたいみんなかわいいじゃん」
「優しいね、さすが周だ」
「別に、」
 ぎこちなく目をそらすようにしたまま、名残を惜しむようにちらちらと目線を揺らす姿を前に、かすかにため息を飲み込む。
 周は猫が好きで(その割に飼うつもりはさらさらないらしいのがなんとも「らしい」というのか、なんというのか)、忍はそんな周の姿を見ているのが好きだ。
「また会えるといいね」
「どうだろうな」
 ぽつりぽつりと言葉を交わしあいながら歩みを進めれば、見慣れたアパートの影はいつの間にか目の前まで迫ってきている。
 三階の角部屋は日当たりもよくて、春になるとベランダから八重桜の樹が見られることも気に入っている。



 こうしてひとつ屋根の下に移り住むようになるよりもずっと前から日々の暮らしを共にしているつもりではあったけれど、本格的な「ふたり暮らし」を迎えてから気づいたことのほうが、ずっとたくさんある。
 いくつもの知らない顔を見つけていくその都度、きつく閉じられた結び目がほどけたような心地を味わう。それらをもう一度ふたりで結び直して確かめ合う、そんなささいなやりとりのひとつひとつにすら、いつだってこらえようのないいとおしさは満ちあふれていた。
 同じ屋根の下で暮らすほうが却ってすれ違うことが増えるだなんてことは、割合早い段階で気づいたことのひとつで、だからこそ、こうしてふたりで過ごせる時間をよりいっそうと大切にしようと心がけるようになったのは確かだ。
「ただーいまー」
「ただいま」
 いつものようにやや乱雑に靴を脱ぎ捨てて、買い物袋をひとまとめにしてひとまずは台所に向かう。
 タイマーでセットしたお米はあと五分で炊きあがってくれる。その間に支度を――それよりも先に、まずは着替えだけれど。
「ごはんすぐ出来るからね。着替えて待っててくれる?」
「いいけど、なんかしとくことある?」
「だったらお風呂洗っといてくれる? あと、バスタオルとマット取り込んどいて」
「了解」
「ありがとね、周」
「……どうも」
 はにかんだようにぎこちなく届けられる遠慮がちな会釈に、音も立てず心を揺らされるのはいつまで経っても変わらない。

 なにか気持ちを告げるたび、困ったような不機嫌そうな顔をしてみせること。それが不平不満の表明なんかではなくって、ただの照れ隠しにすぎないこと。出会って間もないころに見受けられた周のそんな不器用な頑なさはいつしか薄れていくようになって、こうして笑ってくれるようになってからもうずいぶん経つ。
 どうしてあんなにも困ったようなそぶりをして見せるのかなんて少しもわからなくって、それでも、そんなぎこちなさすらいとおしくって仕方がなかったのは確かで。
 そういえば、実家の両親はなにかしらことあるごとに「ありがとう」を言い合っていただなんてことを、こうして周と過ごすようになってから改めて気づいた。
「あたりまえ」のことなんてきっとなにひとつなくて、ささやかな毎日を支えてくれるのはきっと、互いを思いやり、慈しむ気持ちのひとつひとつのそのはずだ。そうして紡がれてきたものひとつひとつを、こうして一緒に生きていきたいと思える相手にひとかけらでも手渡せているのなら、それを受け止めてもらえているのなら、これ以上うれしいことなんてほかにあるはずもない。
 洗面所からは、シャワーの流れ落ちる規則正しいリズムがかすかに聞こえてくる。誰かの水を使う音、ひとりぶんの生活の気配のひそやかな心地よさが、ひたひたと鼓膜にやさしく染みていく。






「いっただきまーす」
「いただきます」
 柄の違う揃いの塗り箸(痛んできたのが気になったので、こないだ買い換えたばかりだ)を手に取り、食事に口をつける。
 小海老の天ぷらにしゅうまい、卵を落としたわかめ入りの中華風スープに白いご飯、かにかまのサラダ。
 食事の支度はお互い苦にならないことから交代制にはしているけれど、きっちりとルールが定められているなんてわけでもない。
 余裕のあるほうが出来る範囲で作りたいものを作る。それほど凝り性なわけでもなければ腕に自信があるわけではなくても、「いっしょに食べる」ことを思えば、おのずと面倒だったはずの支度の手間すらも楽しく思えるのだから不思議だ。
 用意をする係と食器を洗う係はそれぞれが補い合う(けれど、手伝いたければ出来る限りのサポートにも回る)
 いっしょに暮らすようになるなんて考えるよりもずうっと前、いつの間にか共に食卓を囲むことが習慣づいたころに出来たローカルルールのうちのひとつだ。


「そういやさぁ」
 忍とは違って、お酢と辛子を多めに入れた醤油につけたしゅうまいを大きな口を開けて口元へと運ぶかたわら、周は尋ねる。
「明日さ、打ち合わせ。二時半からだけど」
 おぼえてる? という確認の問いかけを、ひとまずはこくこくと頷いてみせることで答える。
「ちょっと緊張すんねえやっぱ、どんな感じだろ。周は話したんだっけ?」
「電話越しだけど、まぁちょっとは。まぁ客商売なんだしさ、あたりまえかもだけど。なんていうの、行き届いてんなぁって感じ」
「安心出来るってことでしょ? うさんくさいよりずっといいよ」
「行かなきゃわかんないんだろうけど」
 ポリ、ポリ、ポリ。音を立てて緑鮮やかなキュウリを咀嚼しながら、ぽつりと周はつぶやく。
「でさ、終わったらついでにどっか行く? ほら、せっかく出かけんだしさ。みたい映画とかある? おまえ」
「んー……、」
 箸を持った手をふいにとめ、いやに間延びした息継ぎののちに吐き出す言葉はこうだ。
「それもいいけど、やっぱうちかなぁ。周が寄りたいとこあんならそれでいいからさ、そこ寄ったらいっしょに帰ってまたうちでご飯食べよ。周の好きなやつね。でさ、なんか映画みたい。明るい気分になれるやつ」
「ツタヤ寄ってくか、帰り」
「あとさ、ポップコーン買って帰っていい? コンロであっためて作るやつ。それとコーラね」
「えらいジャンクだな」
「いいじゃん、おうちシアターなんだしさ。満喫しないと」
 にいっと笑いながら答えれば、いつものあのすこしだけ困ったような、それでも掛け値なしのぬくもりを携えたやさしい笑顔がかぶせられる。

「そういやきょうだけどさ、見たいドラマあって、九時からの」
「6チャンのやつだよね。いっしょ見ようよ。したら先に片づけてお風呂入っちゃわないとね」
 いっしょに入る? 冗談めかしてかけた言葉を、ぎこちない笑顔がゆらりとかわす。
 つけっぱなしのままのテレビから流れるのは、『家族』を演じる誰かのささやかな笑い声。



 ふたりで選んだ何気ない日々は、あたりまえのことなんてひとつもない、ちいさな奇跡の積み重ねによって守られている。
 互いの望んだものと求めずにいられないもの、その両方があますことなく溶け合ったこんな時間はふたりにとってのなによりもの大切な宝物だ。
 確かめ合わなくたってちゃんとそれを知っている。そんなささいなことが、ふたりには何よりもうれしい。












ツイッターのタグ遊びに乗らせて頂いた結果、こんな結果になったので即興で書かせて頂いたものです。
影響を受けた、というよりは影響を受けたいくらいの心づもりでいるのでうれしいですね。えへへ。
するっと勢いだけで書いたような感じですが、楽しく書いたことがお届けできればうれしいです。





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