「いいの、ほんとに?」
「したいって言ったの俺じゃん。おまえがやだって言うならいいけど」
「そうじゃないけど……」
歯切れの悪いそんな返答を前に、らしくもない、と笑い飛ばしてやりたくなるような衝動を抑えたまま、洗い晒しの髪を掬うようにそっと指先でなぞりあげる。
「ほら、いろいろあんじゃん。やっぱ外のほうがいい? 天気とかちょっと心配だけど気持ちよさそうじゃん」
「ん、」
瞳を細めながら見つめるタブレットの画面上には、木洩れ日の光に包まれるようにしながらドレスアップした姿で寄り添いあい、満面の笑みを浮かべるカップルの姿がいくつも映し出されている。
艶やかな着物姿、純白のドレス、紋付き袴の和装にタキシード。えりすぐりの衣装を身に纏った晴れ姿の背景に広がるのは、純日本風の庭園から定番の厳かなチャペル、緑豊かなイングリッシュガーデンに、うんと豪勢に海辺のリゾート地まで―予算や好みに合わせて、ありとあらゆるニーズに応えてくれている充実のラインナップは見ているだけでも心が華やぐ。
何よりも頼もしく感じるのは、従来通りの男女のカップルと並んで、ごく当たり前のように同性同士での事例がいくつも紹介されていることだ。
「これさ、かたっぽ外国の人だよ。スイスの人だって」
「へぇー」
某夢の国から抜け出てきた王子様と見まごうほどの様になった姿は、さすがというか何というのか。
「かっこいいねえ。周スーツ似合うしさ、やっぱタキシードかなぁ。ほら、こっちだと女の人がタキシード着てるよ」
お姫様を護衛する騎士のごとく凛々しくポーズを取って見せる女性の傍らには、どこか照れくささを隠せない様子で、それでもうんと誇らしげに笑ってみせるドレス姿の女性が寄り添う。
幸せそうだな、と素直にそう感じる。もし自分たちもそう見えるのなら、その一員に加わることが出来るのならきっとうれしい。
「むかしさぁ」
うっとりと瞳を細めるようにしながら、ささやくように忍は答える。
「いとこが結婚しました~ってはがきくれた時にね、実家の冷蔵庫の扉んとこにずうっと貼ってあったのね。いい写真だなって思ってたんだけどさ、本人が遊びに来てそれ見た時、『やめてよ』ってなんかすっごい照れてて。でもさ、そん時の顔がちょううれしそうなのね」
「なんかさ、いいなって思ったんだよね。それからほかの人の結婚式だって何度も行ったんだけどさ。なんか、あん時の咲ちゃんの顔、いちばん覚えてんだよね。なんていうか、感じたんだよね。幸せってこゆことなんだろなって」
画面の端にそっと添えるように伸ばされた左手の薬指には、まだ真新しい銀色の指輪が光る。
「俺たちも出す? はがき。結婚しましたーってやつ」
「どこに出すんだよ」
苦笑い混じりに答えれば、覆い被せるように得意げな笑顔が降り注ぐ。
「うちでしょ、伏姫でしょ、りょうちゃんでしょ、あと、春馬くん?」
「すごい内輪だな」
「いいじゃん、別に。ちょっとくらい自慢しなきゃ損でしょ」
「損とか得とかそういう問題かよ」
笑いあいながら、差し延ばし合った指先を絡めあうようにして、やわらかに吐息を吐き出す。
「……はずかしいだろ」
「まぁねえ」
たとえそれが「あたりまえ」のことだったとしても、そういうのはちょっと。
「じゃあさ、うちにグループラインで送んね。だいじょぶだよ、待ち受けとかにはしないからさぁ」
誇らしげに瞳を細めて笑いかけてくれる姿に、はらはらと音もなく、心の奥を溶かされていくのを感じる。
自分たちに置かれた立場を区分するための言葉があること。それゆえに、あたりまえの権利すら与えられずにいること。
違和感を口にしてしまえばきっと、きりがないほどだ。だからと言って、自分たちの関係があたかも「特別」だなんてことは、すこしも思わない。
どこにでもいるごく普通の恋人同士があたりまえのように日々を積み重ね、共に生きることを選び、そうやってたどった道筋の末に、あたらしい「家族」になれたらいいと、いつしか自然にそう願うようになった。ただそれだけのことだ。
ほかの誰かと較べるつもりなんてなければ、不自由さを嘆くつもりだってない。こうしてふたりでいることがなによりもの幸せなのを知っているからこそ、そのことを形に残せたらと思ったのだ。
「とりあえずいくつか問い合わせしてみて、そん中から決めるから。いろいろ打ち合わせとかもしなきゃいけなくなるから面倒かもだけど、いい?」
「じっくり決めようよ、ね。一生に一度でしょ?」
こんな風に節目の日を迎えられるだなんて、思ってもいなかったのに。
「楽しみだね、ほんと」
「だな、」
いざ本番を迎えた時、照れくささに耐えられるのかだなんてことは、ひとまずはどこかに放り投げてしまおう。
これだけとびっきりの笑顔で応えてくれるのだから、そのくらいは。
「かっこいい~!」
個別に通された控え室での身支度を終えた後、正装に着替えたこちらを目にした途端に投げかけられた第一声がそれだ。
「えー、かっこいい~! すっごいかっこいい~!」
「……おおげさだろ」
衣装合わせの段階でだって散々目にしたのだから、いまさらそんな。困惑を隠せないこちらを後目に、《口撃》はなおも続く。
「だってそうじゃん、ほんっとかっこいいもん。周ってこんなかっこよかったっけ? 知ってたけどなんか新鮮にかっこいいじゃん。なんかさぁ、もう百回目くらいに惚れ直す感じですっごいかっこいい。ほんっとかっこいい」
これ以上ないほどのとっておきの満面の笑みを振りまく『パートナー』の傍らで、ここまでの身支度を手伝ってくれたヘアメイク係の女性陣もまた、ほがらかな笑みで応えてくれる。
明るい色の方が似合う、としきりに薦められて選んだ光沢を抑えたシャンパンゴールドにブラウンのパイピングがアクセントになったミドル丈のタキシードの下には、ピンタックの入ったブラウス。やや大ぶりの蝶ネクタイに、襟元には揃いの王冠のブローチ。足元はと言えば、細身の真っ白なオックスフォードシューズ。
自分ではきっと選ぶことなんてないはずのとっておきの衣装は、それでも鏡越しに目にした時には誇らしく思えるほどしっくりと見えたのだから、我ながらなんだかおかしくもなる。
目の前の相手とは言えば、同型のデザインのひそやかに艶めくフロスティホワイトのミドル丈のジャケットに、水色のベスト。足元はパイソンの型押しの純白のオックスフォードシューズ。胸元には揃いのチーフと薔薇のコサージュが彩を添える。
とっておきの晴れの日のための非日常を彩る衣装のそのはずなのに、ちゃんと隅から隅まで余すことのない「らしさ」が溢れているのはいかにも忍らしいというのか、なんというのか。
「ほんとうにお似合いでいらっしゃいますよ。このタイプの衣装がここまで様になる方は中々いらっしゃらないんです」
商売上の決まり文句なことくらい重々承知してはいるけれど、それにしたって。
照れくささからちらちらと視線をそらしてもなお、視界の端に映る最上級の笑顔で笑いかけてくれる誰よりも大切な相手の一生に一度のはずの晴れ姿はいつまでも焼き付いて離れない。
小物ひとつひとつまで吟味して選んだ衣装も、それに相応しいようにと頭のてっぺんからつま先まで丹念に磨き上げたよそいきのスタイルも―似合わないなんてわけ、あるはずもないのに。
「ねえあま」
いつもどおりのあの、こちらのペースを崩すことなんて少しも気にしない口ぶりで投げかけられる言葉を遮るように――見る見るうちに赤くなっていく顔で、それでもひるむことなどなくじいっと目の前の相手を見つめたまま、投げかける言葉はこうだ。
「忍、」
期待に満ちた潤んだまなざしをのぞき込むようにしながら、そっと声をかける。
「おまえだって似合ってんだろ」
何百・何千回目の勢いで惚れ直しているのはこちらだって同じなのに。(衣装に騙されているだなんてちょろいな、なんて自戒に邪魔されて、そんなこと言えやしないけれど)
「あまね……、」
感極まった様子で投げかけられる、なによりもいとおしくてたまらない表情を前に、心はますますゆるむばかりだ。
人目もはばからずそんな顔を見せてくれるだなんて、それも、自分たちのことを知らない誰かばかりに囲まれているこんな状況で。
気まずくないわけなんてないのに、それ以上になによりもうれしくってたまらない。だってここには、おたがいがこんなにも大切に思い合っていることを笑うような相手なんてひとりもいない。
観念した、とばかりに吐き出す言葉はこうだ。
「こっちだって我慢してんだからおまえだってちょっとくらい自重しろ、な。しまんない顔になんだろ」
わざとらしく渋るような表情を作りながら、胸に刺さったコサージュを指先でそうっとなぞってやることで、昂った気持ちをどうにかやり過ごす。
ほんとうならいつもそうするみたいにくしゃくしゃに髪をかき回してやりたいところだけれど、せっかくセットしたスタイルを台無しにするわけにはいかないので、それはちょっと。
着慣れないよそ行きのシャツとジャケットのしっとりとやわらかな生地が肌の上を滑り落ちる感触がどこかくすぐったくて、ぴったり寄り添うように吸いついた常日頃履くそれよりもうんと上等な革靴の足下はふわりと浮かび上がるように軽やかで心許なくて、正装に見劣りしないようにと念入りにセットされた髪のふわふわ泳いでいるような感触はどこまでも不慣れで。
それでも、そんなとびっきりの「特別」を心から喜びあえるこんな時間は、こんなにも誇らしくって。
ぎこちなく微笑みあうそのうち、コンコンと控えめなノックの音が届く。
「お支度はお済みでしょうか? ご案内に参りました」
「はあい」
よそ行きの返事を返しながら重ね合わせた掌は、ごくあたりまえのようにそうっとやさしく握り返される。
「桐島様、ご案内致します」
携えるように手を取り合ったまま、ゆっくりと歩み出す。これからも変わることのないかけがえのない「日々」を過ごしていく上での、とっておきの記念日を始めるために。