はるの日
――「ねえ見て、きれいでしょ」
吹き出しに乗せて届けられたメッセージとともに添付された写真を前に、思わずぬるいため息をゆるやかに吐き出す。
四角い画面に映し出されているのは、街灯に照らし出されたすこしまばらになった桜と、ホームに舞うやわらかな薄桃色の花びらだ。
――「なんだろって最初わかんなくて。紙くずかなって。でもそっか、桜だってすぐ気付いて。周に見せたいなって思って」
ちかちかと瞬く画面に映し出される言葉に引き寄せられるかのように、まぶたの裏にはみるみるうちに、よくよく見知った得意げな笑顔が浮かぶ。
――「いま帰り?」
するする、と導かれるような心地で画面をタップすれば、吹き出し越しにすぐさま、やわらかな言葉は届けられる。
――「電車、あと二駅だってさ。周はもう家?」
――「うん。遅くまでお疲れ様、気をつけてな」
答えながら、ひとりぶんの空白をたずさえたままの見慣れた部屋の中をぐるりと見渡す
――「あした、いつも通りでいい? また帰るタイミングで連絡するけど。どっかで用とかある?」
――「だいじょぶだよ。駅でいい? 周へいき? 忙しくない?」
――「余裕」
すこしばかりの虚勢を交えながら答えてみせる。そのために一週間こうして地道に頑張っているのだから、そりゃあまあ。
明日になればつかの間の自由で、こうして一週間をやり過ごしたご褒美みたいにまた共にいられる時間を貰える。
なにか特別な予定がある、なんてことはないけれど。
――ああ、せっかくなら見納めの桜を見ておくのも悪くないかもしれない。毎日の行き帰りでは、申し訳程度に見送るくらいしか出来ないし。
明日になればまた。だからもう少し、あと少しだけ。
――「楽しみだね」
――「うん」
吹き出し越しの文字をなぞる指先は、ほのかにあたたかい。
おやすみなさい、またあした。
春の佳き日に。
初夏の日
「お疲れさまです、お先に失礼します」
きれいなお辞儀と共に身を翻し、颯爽とオフィスを後にする――見慣れた姿を見送ったすこしあと、ぽつりとあぶくが浮かび上がるかのように誰かの声が響く。
「――デートだよね、あれって」
たちまちに弾かれるように、ぞくぞくと言葉は続く。
「だよねやっぱ。桐島くんてさ、週末になるといつもよりちょっといいスーツ着てんだよね」
「靴もちょっといいやつだったでしょ」
「なんかささっといつも帰るもんね。誘う隙とか見せないかんじ」
「そーそーそー」
「聞いてもいいのかな。てか誰か聞いたことある? 桐島くんの彼女ってどんな子なのー? って」
「いま彼氏彼女って言い方すんのまずいんでしょ。こないだコンプラから指導あったじゃないすか」
「そもそもそうゆうの聞くの自体が良くないって話ですけど」
「けどねー」
好き放題のざわめきがほうぼうから響きあう中、すっと手が上がる。
「俺知ってるよ」
「えっなに、抜け駆け?」
「ちがうちがう、あの子酔うとぽろぽろ話してくれるから。かわいいんだろな〜って感じ。すごい好きみたい。なんか真っ赤んなってて。いいよねえ若いって」
「よっつしか変わんないだろ二十代」
「いや、二十代でそこはデカイんすよ」
「ていうかおまえらいいから仕事しろ」
噂話など知る由もないまま、当の本人はといえば、家路を急ぐばかり。