肩肘を張った外食よりも、気兼ねせずに済むおうちディナーの方が好き、という彼氏のリクエストを受け、記念すべきお誕生日にはいつもに増して腕をふるわせてもらった。
遠慮もちゅうちょもいらずにかぶりつける骨つき肉のスペアリブ、ごろごろ具だくさんのレーズン入りのポテトサラダ、炊き立ての白いご飯、もちろん第三でも発泡酒でもないすこしこ洒落たパッケージのクラフトビール。
主役には悠々と過ごしてもらいながら、たっぷりとお皿に盛り付けたご馳走をカロリーなんて気にせずにぺろりと平らげてもらう。
まあほら、そこはのちのちに消費する手段がありますから、それはもうなんなりと。
メインが肉料理だったので、デザートはすこしさっぱりとレモン風味のレアチーズケーキだ。
「……うまい」
フォークを片手にぼそりと呟かれた言葉に、思わずにんまりと笑顔を浮かべる。
元はと言えば満足している時にはあまり喋らない性質だったはずなのに、こんな風に、言葉は少なくともきちんと教えてくれるようになったのはこうして『お付き合い』がはじまってからの少なからずの変化のひとつだった。
優しさが行き届いてるってこういうことを言うんだよな、きっと。どこまで応えられているのかなんて、ちっとも自信がないけれど。ひたひたと静かに心が満たされていくのを感じながら、揃いのフォークでおおきな一口を放り込む。
「ほんとだ、おいしい~! やっぱ間違いないね、レシピって偉大だよねえ。買った方がいいかなって思ったんだよね、さいしょは。でもなんかせっかくだしって思ってさ」
「ありがとな、わざわざ」
恐縮したようすでかけられる言葉を前に、にいっとめいっぱいに得意げに笑ってみせながら答える。
「いいっていいって、楽しかったもん」
これはほんとう。お菓子作りってますます実験めいていてなんだかワクワクするし。
「おまえってすごいよな、こんなのまで作れんだから」
感心したようすでささやかれる言葉を前に、思わずにんまりと得意げに笑いながら言葉を返す。
「練習したもんね、これで三回目」
秘密の特訓の成果を前に、感嘆の笑みが溢れる。
「残ったのってどしたの。誰かにあげたとか?」
「ああ、バイト先に。あと、学校ね」
タッパーに詰めたケーキを広げた途端、パァッと花の開いたような笑顔を向けられた時のあの得意げな心地はいまでもおぼえている。
取り分けた一口をもぞもぞと口元へと運びながら、やわらかに続く言葉を紡ぐ。
「もうすぐ好きな子のお誕生日だから練習してんだよね、よかったら毒味してーって。散々言われたけどね。あざといなぁ、そういうのって重くない? いまどきならありなのかもねとか、なんかいろいろ」
ひどく珍しいものを見るような目を向けられるのはなぜだろう。『仕事』としてこなしている人なら、寧ろ男性の方がよっぽど多いはずなのに。
どことなく複雑な思いに駆られながら、それでも、口にした途端にたちまちに笑顔になってくれる慣れ親しんだ人たちを目にした時に感じたあの満たされた気持ちは、心地よくひたひたと心に染み渡るきれいな水のような心地よさで溢れていた。
「……好きな子って」
照れくさそうに洩らされる言葉を前に、思わずにんまりと笑いながら答えてみせる。
「だってそうだもん、世界でいちばん好きな子の誕生日だから張り切ってんだよねって。言われちゃった、結婚式すんなら呼んでねって」
「なんて答えたわけ、それで」
気まずそうに尋ねるまなざしをじいっと見つめながら、ゆっくりとささやくように答える。
「スモーク焚きながらゴンドラで降りてくるから、記念写真たくさん撮ってねって」
実現されるはずもない一世一代の大舞台だって、冗談まじりに空想してみるぶんにはなかなか楽しい。
フォークに突き刺したカケラをそうっと差し出しながら、とっておきの言葉を投げかける。
「ちゃんとみんなに言ったからね、その子も俺のこと大好きだかんね、だから安心してねって」
「……忍、」
図星を突いた、としか言えない言葉に、真正面に捉えた顔はみるみるうちに赤く染まる。
ほらほら、こういうところ。ああもう、なんといっていいのやら。
「重くないよね、こんくらい。ていうかそんなこと思われたら泣いちゃうんだけど」
「思うわけないだろ」
照れくささを隠せないまま、それでも大きく開けてくれた口に、甘酸っぱいひとかけらをそうっと運ぶ。
ありがたいよな、ほんとうに。
こんなふうにちゃんと受け取ってもらえる。それがすこしも『あたりまえ』じゃない、かけがえのない奇跡だなんてことを、こんな自分が誰よりも知っている。
「いつもありがと、周」
「……うん」
笑い合いながら、一年に一度のその日をこうして穏やかに過ごせる、そのありふれた幸福に静かに酔いしれる。
生まれてきてくれてありがとう。
そして何よりも、こうしてその特別な一日をともに過ごすことをゆるしてくれて。