周くんと「新しい家族」のお話
『あーそうそう、別に無理してうちに泊まっていく必要なんかはないからね。まぁそもそも日帰り出来る距離だもんね。あ、とっとと帰れって言ってるわけじゃないのよ? 人ん家なんて気もつかうし疲れるでしょ? ってだけ。ホテル代ならうちから出すから、せっかくならどこか寄って帰ってよ。なんなら忍だけ置いてっていいからね』
スピーカーフォン越しに届けられる極めてあっけらかんと明るい口ぶりで告げられる言葉に、強ばっていた心と体がするりとたやすくほどかれていくのを肌身で感じる。
「いやそんな、僕は。そちらのお家にご迷惑をおかけしないのがいちばんなので」
「いいじゃん周も泊まろうよ。俺さ、周とひろちゃんと三人でスマブラかスプラトゥーンやりたいんだけど」
『そんなこと言うけど周くんだって疲れちゃうでしょ、遊ぶんならせめて昼にしてもらいなさい』
「あー、佳乃ちゃんもしかして仲間外れにされてんのがやなんでしょ? じゃあ佳乃ちゃんも入れてあげるから人狼にしよ、それか麻雀ね。忠明は審判、それでよくない?」
『いいけど、そういうのは周くんがもうちょっとうちに慣れてくれてからでもいいでしょ。そもそもいきなりうちまで来てもらわなくたっていいじゃないの。ねえ、たぁさんもそう思うでしょ?』
スピーカーフォンにした電話の向こうからは、おそらくは〝お義父さん〟のものと思われるすこし低めの落ち着いた男性の声と共に、うっすらと若い男性のものらしき明るい笑い声が届けられる。
『ひろちゃんもそうだって。いまどきは帰省してもホテルに泊まるのが多いんだってねえ。まぁそうよね、その方が気楽だもんねえ? やっぱ若い子の意見は聞くに限るわね』
「え、てかひろちゃんいんの? ひろちゃん聞こえる―? お兄ちゃんだよー! てか後で代わってね、しゃべんの久しぶりだしさぁ」
『いいけど、周くんはどうしたのよ。あんたさっきからしゃべりすぎでしょ』
勢いよく放たれる言葉に促されるままにに、おずおずと気圧されるような心地で会話に顔を出す。
「いえ、お聞きしてます……すみません、なんだかしゃべるタイミングが見つからなくって」
あんまり面白かったのでこのまま聞いていたかった、というのが正しいところだけれど。(もちろん言わない)
『ごめんねえ、ほんとに。この子ってばいっつもうるさいでしょう? ほんとねえ、誰に似たのかしらって、そんなの私に決まってるわよね。まぁ、退屈しないで済むっていうのはあるかもだけどねえ。ああそうそう、こんど家までってあれよね。ひとまずだけどね、駅まででいいから。で、どっかで食事でもしましょ。あ、そんなにかしこまらなくっていいからね。ただでさえ遠路はるばる来てくれるっていうのに、気疲れまでさせたくないからね?』
ざっくばらんとしか言えないあっけらかんとした口ぶりに、思わず口元にゆるやかな笑みが浮かぶのを堪えられなくなる。
ほんとうに話に聞いたとおり――いや、それ以上だな。忍があんなふうに育つのだって納得がいくとしかいいようがない。
「いえほんとうに……ありがとうございます。そこはまぁけじめなので、ちゃんとさせてください。何年も不義理ばかりおかけしていたので、そのお詫びも兼ねていますので」
恐縮した心地を隠せずにいれば、たちまちに打ち消すかのようなうんと明るい声がかぶせられる。
『いいのよそんなこと、忍のことそれだけ大事にしてくれてたって証でしょ? まぁねえ、あの子も色々と至らないところはいっぱいあるけどおおむねはいい子だからね。そもそもねえ、仲良しだから大丈夫だとかいちゃいちゃするから邪魔するなとかはよく言ってたけど、そういう意味だって言うなら早く言えばいいだけなのにね? ああ見えて照れ屋さんなのかしらねえ』
「あのさぁ佳乃ちゃん、俺も隣にいるんですけど?」
『わかってるから言ってるんじゃない。大体あんたが自慢の彼氏だってさっさと紹介してくれないのが悪いんでしょ』
「いちいちゆったことないのは今までだって一緒じゃん?」
『一緒に住んどいてそれはないわよ、結婚前提のおつきあいってことでしょう? ねえ、周くんもそう思うでしょ?』
「いえそんな……そもそも、一緒に住んでほしいって言い出したのだって僕のほうで――」
『あらぁ!』
かぶせるように明るくかけられる言葉に、どこか息苦しさにも似たあたたかな感情がふつふつとこみ上げてくるのを肌で感じる。
いくら〝大丈夫〟だなんて繰り返し口で言われたって、少しも信じられなかった。こんなにもあたり前のようにあたたかに受け入れてもらえるだなんて。
忍と家族になりたい、これから先、何十年も続くのであろう未来を見据えた形で。
ひどく身勝手に思えるそんな申し出と共に差し出した提案のうちのひとつは、忍を育ててくれた〝家族〟との縁をこうして繋ぐことだった。
『あぁそうそう、〝お義母さん〟とか無理して呼ぶ必要もないからね? おばさんとかそんな感じでいいから』
「いや、そういうわけには……厚かましいような気はするんですが、忍さんの大事なお母さまなわけですし」
そんじゃそこらの〝おばさん〟とはけた違いの大切な人をそんな存在な呼び方で呼べるはずもないので。
『いいのいいの。まー、呼びやすいのがいちばんよね? あと、その「忍さん」っていうのも別にいいからね。この子って忍さんってキャラじゃないじゃない? 普段呼んでる呼び方でいいからね』
「いや、その――」
もどかしく口ごもりながら、すこしばかりの思案に明け暮れる。
そりゃあまぁ、いかにもわざとらしいこんなよそ行きのしゃべり方がむず痒くないだなんて言えば嘘になるけれど、そこはほら、社会人として身につけたいっぱしのマナーだなんてものがこちらにもあるわけで。
いやそれよりも、問題は。
こほん、とわざとらしい咳払いで勢いをつけるようにしたのち、おずおずと切り出す。
「……それじゃあまぁ、お義母さんのことは〝佳乃さん〟で」
いや、自分でもどうかとは思うけれど。そもそも実の息子すら〝お母さん〟だなんて呼ぶようすがない中でこんな二十数年遅れでのこのこ現れた輩が図々しいような気はしていたし、だからと言って〝おばさん〟だなんて呼べるわけはないのでここはその、折衷案で。
どこか据わりの悪い中で差し出した提案を前に、スピーカーの向こう側からはますますの明るい口ぶりが返される。
『ええ~、嬉しい~! こんなかっこいい男の子から佳乃さんだなんて呼ばれちゃうとテンションあがっちゃう! 忍ありがとう~! いま生まれてはじめてあんたのこと生んでよかったって思ってるぅ~!』
「ちょっと佳乃ちゃんさぁ、俺の周なんですけど?」
『そんなこと言ったって、周くんはいくらあんたの旦那様だからってあんたのものってわけじゃないでしょう? あんまり調子に乗ると愛想尽かされちゃうわよ、気をつけなさいよ』
「そんなこと言うけどさぁ」
子どもじみた口ぶりで不服そうに答えるそのすぐ傍らで、くしゃり、と髪を掻きまわしながらばつの悪い心地で答える。
「あの、安心してください、そんなことはないので……ほんとうに大切に思っているし、してもらっているので、すごく」
思わず口をついて漏れ出た掛け値なしの本音に、みるみるううちに耳までかっと熱くなる。
……はずかしい。けれど、それ以上に誇らしくって嬉しい。ひとかけらも嘘偽りないなんてない気持ちを、こうしてまっすぐに言葉に出来ることが。
「ね? 佳乃ちゃん」
得意げな言葉を告げながら、ほんのりと火照ったまなざしがじいっとこちらへと注がれる。
『……そうみたいねえ』
やわらかな吐息混じりに告げられる言葉に、芯から心を温められるような心地を味わう。
忍と過ごす時間はこんなふうにいつでもほんとうに、驚くことの連続ばかりだ。
見られるはずなんて最初からあるはずもないと思っていた景色を、こんなにも次々と色鮮やかに目の前で広げて見せてくれるんだから。
「お会いできるの、本当に楽しみにしています――佳乃さんと皆さんに。改めまして、これからもよろしくお願いします」
『いいの、そんなの。こっちのせりふなんだからね』
あたたかな言葉にうっとりと瞼を細めれば、すぐ傍からは、やわらかに綻んだ優しいまなざしがじいっと注がれている。
ひとつ、またひとつ。
ほつれた糸のその先から、新しい絆がこうして結ばれていく。
PR