「いただきます」
「いただきます」
日本流を取り入れてくれたいつもの食事前の挨拶の後、ナイフをそっと手にしたまま僕は切り出す。
「そうそう、春馬からLINE来てたよ。何か手土産で欲しいものある? って」
アルフォートの黒い方と歌舞伎揚げとピーナッツの付いたかりんとう、と言ったら盛大に笑われたけれど、ちゃんと買ってきてくれると約束してくれたあたり、やっぱりあいつは義理堅い。
滑らかな手つきで一口大に肉を切り分けながら、マーティンは答える。
「なんだっけ。あの、鳥の形のビスケット」
「ああ、鳩サブレね」
鳩サブレが好きなイギリス人って、傍目から見ると相当面白いんだけど。まぁ、いいか、僕も好きだし。
「味もだけれど、デザインがいいよね」
満足げに答えるその表情を前に、そういえば一緒に鎌倉に行った時、嬉しそうに黄色いあの缶を手にしていたその姿を思い出す。
「そっか、もうすぐなんだね」
「飛行機が落ちないように祈っておいてって散々言われたよ。飛行機、修学旅行で北海道に行った時以来みたいで、すっごい怖がってる」
くすくすと笑いながら答えるこちらを前に、にっこりとあの得意げな笑みを浮かべながら恋人は答える。
「大丈夫だって、カイが来た時だってちゃんと落ちないで無事に来れたでしょ」
「君が来てくれた時も落ちなかったしね」
「僕ら二人で祈れば効力も倍になるでしょ、だから今度も絶対落ちたりなんてしない」
なるほど、飛行機とはどうやら、その先で待つ人たちの想いを糧に浮いているらしい。20年くらい生きてるけれど、まだまだ新しい発見は尽きない。
『春馬さ、時間あったらでいいから鎌倉でつぐみちゃんとデートしてきてよ。そのついでに鳩三郎グッズ買ってきてくれない? マーティンがあれ、好きみたいで』
『鳩三郎ってそんなにイギリス人の琴線に触れるデザインだったわけ?』
どこかピントがずれた、でも、如何にも彼らしい返答に思わず苦笑いを漏らしながら続く言葉を返す。
『いや、国籍は関係ないでしょそこは。まぁでも鳩サブレって外国人にウケるらしいよ』
『了解。行く時間あるか分かんないけど鳩サブレなら空港にも売ってるし、任せて』
『つぐみちゃんのこと大事にしたほうがいいよ。女の子は鎌倉とか好きでしょ?』
『余計なお世話』
こんな時、顔が見えないのは酷くもどかしい。
殆ど毎日顔を合わせてた時には文字でのやり取りなんてほぼ必要なくて、せいぜいごく淡々とした業務連絡くらいで。その習慣に変わりはないせいか、字面だけ見れば酷く素っ気ないやり取りが履歴を埋め尽くす。
それでも、それで構わない。言葉だけ切り取ってしまえば無愛想に見えても、その奥にある気持ちはちゃんと確かなものなのだと、そう知っているから。
もうすぐ会える。海を越えて、この街で。
「春馬のこと、いじめないでね」
「……なんでそうなるかなぁ」
どこか悪戯めいた心地で投げかけたそんな言葉を前に、呆れたような顔をして恋人は答える。
「いじめたいのは君だけでじゅうぶんなんだけど」
「優しくしてよ」
わざとらしくいじけたようにそう答えながら、ぎゅうっと耳を引っ張り、指先でそっと頬に触れる。
「ね、そろそろ寝よっか?」
「その気にさせといてそんなこと言うんだ、へぇ」
くすくすと笑いながら、シーツの上で身じろぎする身体をぎゅっと抱き寄せられて、額にそっとキスを落とされる。
繰り返し繰り返し、生まれ変わるような心地で幸福な恋に溺れていた。
ここに居られるのもきっと、こうして彼にもう一度出会えて、もう一度恋をしてもらえたのもきっと、あの頃の行き止まりで立ち尽くすしかなかった自分に、踏み出す為の勇気を彼が与えてくれたからだ。
だから、誰よりも知ってほしかった。ここで、どんな風に彼と生きているのか。どんな風に幸せになりたいと、そう願っているのか。
「楽しみだね」
「……うん」
子どもをあやすように優しく、繰り返し繰り返し髪を撫でてくれるその仕草を前に、うっとりと瞳を細める。
空を駆ける鉄の翼が、唯一無二の『友達』を地球四分の一周離れたこの地へと連れて来てくれるのは、あともう少しだけ先。
それはまるで、少しだけ先の未来の自分へのうんと優しい贈り物のようだった。