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調弦、午前三時

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あたたかい雨

ほどけない体温、周くんと忍。
溶けない星座」のあとくらいのお話。

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 曇りガラス越しに、微かに揺らめく影が見えた。
「周?」
 呼びかけに応じるように、ぴくり、とほんの僅か一瞬だけの身じろぎを見せた後、いつもの調子で影の主は答える。
「タオル、ここ置いてるから。あと着替えも。乾燥機ないから、よかったらいっしょ洗っとくけど」
「ありがと」
 水音に混じって届くくぐもった声は、ほんの数十分前に耳にしたそれへの既視感を呼び起こさせる。あの時は身を刺すように冷たかった滴はいまや染み渡るようにあたたかなのが、決定的な違いではあるけれど。

(開けてくんないかな、ここ)
 
 ほんの一瞬だけの期待を裏切るかのように、目を離した隙に、ふらりとその影は潰えてしまう。


 運がいいのか悪いのか、数奇な巡り合わせというものは、確かにこの世に存在する。
「……うわあ」
 見慣れない駅前のアーケード、色とりどりの傘の洪水が織りなすうねるような人並みを目にした瞬間に口をついて出た一言がそれだ。
 タクシー乗り場はと言えば、同じく長蛇の列。それらが滑り出した先の道路では、色とりどりの車たちが詰め込まれたパズルのようにぎゅうぎゅうに押し込まれるばかりだ。
 予想通りの展開といえばそうなのだから大人しく従うべきではなかったのだ。それにしたって、これはまぁ。

 大雨の影響による落石事故により、ただいま全線の運休を停止しております。復旧予定は未定となっております。大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんが、振り替え運送をご利用下さい。

 アナウンスに従うまま、混み合う列車に揺られ、迂回運転の末に辿りついた見慣れぬ駅のバスターミナルで間近にした現実が「これ」だ。
 駅前に一軒だけのコーヒーショップがくたびれた人並みで溢れかえっている現実は既に確認済みだ。こんな時、シネコンでもあれば対価と引き替えに二時間座ることは出来るのに、住宅街のローカル駅にはお誂えのそんな施設も兼ね備えられていない。
 繁華街の方面へと引き返す――のも、この期に及んでなんだかしゃくではあるのだし。
 せめて、急いで帰って片づけなければいけない用件がなかったのは幸いだ。諦めてあの人並みを織りなす一員になるか、雨宿りでもしてから列に並ぶか、それかいっそ、グーグルマップの恩恵に授かる形で徒歩で家路へと急ぐか。地図アプリをタップしようとした瞬間にちらりと浮かんだのは、ひとつの妙案だった。
 ああ、そうだった。多少遠回りではあるけれど、自宅に帰るよりは近いはずだから。

 許可がもらえるかはわからないけれど、そこはまぁ、いちかばちかということで。
 手慣れた手つきで履歴を開き、ほんの一瞬だけの思案の後、電話番号をタップする。まどろっこしいといえばそうで、それよりも強く思ったのは、見知らぬ場所で立ち尽くす羽目になったこんな状況で、声が聞きたくなったから。
 出てくれるように、出てくれるように。願いを込めるようにしながら押し当てた端末は、数回のコールののち、一番聞きたかった声を届けてくれる。
「もしもし」
 雨音に混じって届く、少しくぐもった半透明の声が耳朶をくすぐる。
「もしもし周? ごめんね、いま家? いまさ、――駅なんだけど」



「ひどいな……」
 袖や裾をぐっしょりと濡らしたぶざまな格好で玄関口へと現れたこちらを見てかけられたのは、おおむね予想通りのそんな一言だ。
「周、きょうはずっとうち?」
「午前中は出てたけど、昼過ぎからは。片づけたいこと色々あったし」
 答えながら、手にしたタオルをひょい、と放り投げられる。
「シャワー使えよ、風邪ひくだろ。入りたきゃいれていいから、風呂」
「……いっしょに入る?」
「ふざけてんじゃねえよ」
 吐き捨てるように答えると、くるりときびすを返される。冷たくない? だなんて、いつもなら冗談みたいに言えたはずなのに無様なまでに言葉がつかえて出てきやしない。ひとまずは、とばかりに、水を吸ってぐじゅぐじゅになったスニーカーの中から左右の足を交互に引っこ抜くようにして、じっとりと湿った靴下を脱ぐ。

 冷たくない? セックスだってしたのに。

 そんなこと、言えたらいっそ楽だったかもしれないのに。



 皮膚の表面から奪われた体温を取り戻すかのようにあたたかいシャワーを頭から全身に浴びながら、どこか手持ちぶさたな心地のまま、シャンプーのボトルに刻まれたロゴをぼんやりと読み上げる。
 数日前にもこの部屋で、同じようにシャワーを浴びた。ここで、周とセックスしたから。

 好きだと、周がほしいと伝えたその結果、ずっと胸の奥でくすぶっていた願いはあっけないほどあっさりと叶えられた。そこで得られたカタルシスは、存分すぎるほどにこちらを満たしてくれたのは確かで。
 ほら、やっぱそうじゃん? 得意げな気持ちですらいたこちらに浴びせられたのは、ひどく傷ついた様子の、ためらいに満ちたまなざしだった。

 好意や愛情なんてなくたってセックスくらい出来ることくらい、いっそそんな付加要素があらかじめ放棄された前提の方が楽しめる場合だってあることくらい痛いくらいに知っていた。
 思い上がっていたのだ、と思う。
 息苦しげに逸らされるまなざしに、指先に――狂おしいほどにこちらを求められていることは、ずっと感じていた。それを見つけられたのは、こちらだってずっと手をのばしたくてたまらなかったからだ。肉体の性別が同一であることだなんて、欲望の前ではほんの些細なことに過ぎなかった。
 ――そのことをどれだけ当人が重荷に感じずにいられなかったのかなんてことくらい、すべて知っていたくせに。
 したい、とそう答えてくれた。それでも、こちらの気持ちに本当に答えてくれたわけなんかじゃない。受け入れられることと、求められることは別物で――それでも、何も手に入らないよりはずっといい。何も手に入れられないと絶望し続けるよりもずっと。
 利害関係の一致に過ぎないのだとしても、一歩でも前に進むことの方が、いまの忍にはずっと重要だったからだ。
 
 泡だらけになった身体を熱いシャワーで洗い流し、滴を垂らしながら扉を開ければ、洗面所には真新しいバスタオルに封を切っていない肌着、いつか目にした気がするチャコールグレーのスエットにウエストを紐で絞る形のワークパンツ、と着替え一式が丁寧に用意されている。
 ああ、そういえばこないだも貸してもらったんだよな、下着。返さないと、ちゃんと。
 とんとん、とマットの上で足踏みをして水気を切るようにしてから、順に用意された着替えに袖を通す。洗い晒しの服からは、それでも微かに持ち主と同じ匂いがすることに安心感を抑えきれない。



「靴、新聞紙いれておいたから。なんか飲む? ドライヤー使うならこれ」
 頭からタオルをかぶって現れたこちらを前に、気まずそうに――それでも首尾良く続けざまに告げられる言葉に、安堵感が漏れる。
「周、――」
 言葉を探すこちらの様子に気づいたように、ぎこちなく笑いかけながら周は答える。
「雨、やむまで居ていいから。気にしないで」
 言葉とは裏腹にぐらりと揺れる色に、心は軋む。そりゃそうだ、気まずくないわけがない。こちらだって、期待してないわけじゃないんだし。
「周さぁ、」
 背もたれ代わりのようにもたれ掛かったベッドの前、傍らに寄り添うように腰を下ろし、ちらりと、壁時計へと視線を見やりながら、忍は尋ねる。
「まだだよね? ご飯。いっしょ食べよ。なんか作っていい?」
 少しだけためらったように――それでも、かすかに笑いかけるようにしながら紡がれる言葉はこうだ。
「……頼む」
 許可を促すような口ぶりをしないのが、「らしさ」で。そんなところが、どうしようもなく好きだった。



「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
 手を合わせて言い合いながら、ふたりぶんの食器を首尾良く重ねていく。
 豚バラとなすのオイスターソース炒め、もやしと溶き卵入りの中華風スープ、おくらの和え物。部屋の主にあらかじめ許可を取った上で、冷蔵庫の有り合わせの食材で用意した食事はちゃんと美味しかった。向かい側で箸を運ぶ相手の態度からもそれはちゃんと伝わって、こちらをひどく安心させてくれたのは確かだ。
「食器洗おっか?」
「いいだろ、作ったのがおまえなんだからきょうは俺だろ」
 促すような仕草と共に重ねた食器を手に流し台へと消えていく人影を見送りながらその場を立ち上がり、窓の外をぼんやりと眺める。
 このあとセックスするんだろうか、こないだみたいに。まだ窓の外で雨が続いていれば、ここを出られない理由があれば――望んだとおりに願いは叶えられる気がするのに、いつのまにか、窓の外から聞こえた叩きつけるような雨音はすっかり影を潜めている。
 据え膳を前に立ち尽くしているのは果たしてどちらの方なのだろう、と思う。胃袋は確かに満たされていて、それでもいつも、それ以上のものがほしくて、同じ熱を、自らを映し出すまなざしの奥にも感じていたから――あれが一度きりの間違いだったなんて思っていないのは、こちらだけなのだろうか。
 ためらいながらガラス戸に手をかけ、サンダルを借りてベランダの外へと出る。暗闇におそるおそると差し出した掌は、水滴を受け止めない。何かの代償のように、台所からはシンクを叩きつけるような水音が響く。
 止まなくていいのに、と身勝手なことを思う。ここに連れてきてくれたのと同じように、出られないままにしてくれればいいのに。
 あそこに並んだ色とりどりの傘の持ち主はもうとうの昔に、それぞれの帰る場所に辿りついた頃だろうと、いまさらのように思う。
 帰らなくちゃ、自分の部屋に。ここにいることを赦されているだなんて、ただの思い上がりに過ぎないのは知っているから。

「……忍、」
 どこか遠慮がちにかけられた声を前に、くるりと身を翻しながら答える。
「ああごめん、寒かった? 閉めんね」
 ぴしゃりとガラス戸を閉め、強気な笑顔を作るようにしながら答える。
「雨止んでたよ、そろそろ帰んね」
「……あぁ」
 気のない生返事を前に、ちいさく頷いて見せることで、どうにか気持ちを和らげられないだろうかと思う。きょうはセックスしなくていいの? だなんて、聞けるわけもなかった。



「いろいろあんがとね。服、洗って返すから」
 しっとりと濡れた上着と雨水の染み込んだスニーカーからつたう冷たさに僅かに身震いをしながら答えれば、いつもどおりのぎこちない苦笑いを返される。
「ついでに洗っとくって言ったじゃん。重いだろ?」
「いいよ別に、そこまで迷惑かけるわけいかないじゃん」
 リュックいっぱいにぎゅうぎゅうに詰め込んだ濡れた服のおかげで、肩のあたりがじっとりと重たい。
「ていうか周さぁ」
「――ナニ」
 わざとらしいぎこちなく答える態度を前に、どこか悪戯めいた口ぶりで投げかけてみるのはこんな返答だ。
「キスしていい? 帰る前に」
「……おまえ、」
 あきれたように答える表情を前に、いつものように気安く笑いながら、忍は答える。
「やだったらいんだけどさ、そのくらい簡単でしょ。ほら、せっかく来たんだし」
 セックスよりもよっぽど簡単なのだし、そのくらいなら。
「――忍、」
 困ったように顔をしかめたまま、周は答える。
「いいとか悪いとか、許可取るような言い方すんじゃねえよ」
「じゃあなんて聞けばいいわけ?」
 挑発的にくすくすと笑いながら尋ねれば、くぐもったまなざしの奥で、揺らぐ光が僅かににじむ。
「考えとけよ、そのくらい」
 促されるままに瞼を閉じれば、暗闇の向こうから静かに気配が忍び寄るのを感じる。
 時間にすればほんの一瞬、そうしてすぐさま、待ち望んだ温かな感触が忍の唇へと重ね合わせられる。

 ほら、やっぱりこれだ。何も間違ってなんかいない、何もためらう必要なんてない。
 遠慮がちに固く閉ざされた唇をこじ開けるようにして歯列をなぞり、口腔を味わうように舌を這わせる。誘いをかけるこちらの期待に応えてくれるように熱い舌を差し出された途端、胸の奥底から悦びに打ち震えるのを全身で感じる。
 もっときつく抱き寄せたい、皮膚の下を流れるひとつひとつまですべて味わい尽くしたい。だって、そこに眠る欲望を知らしめる方法があるのを知っているから――ためらいながら震わせた掌を握りしめ、ひとまずはとばかりに、差し出された唇を味わい尽くすことだけを考える。 

 体重をかけるような重い口づけの後、名残を惜しむようにお互いの身体を引き離す。
 皮膚の下にくすぶった欲情の熱を溶かした、いちばん好きな表情をした相手が、僅かに潤んだまなざしを隠さないままにじいっとこちらを捉えてくれている。

(ねえ周、好きだよ?)
(周だって好きだよね? 俺のこと)

 身体だけでも――だなんて言葉を、胸の奥に閉じこめるようにぐっと深く飲み込む。


「……また来るね、周」
「おう」
「今度はしようね、また。最後まで」
「――」
 答えないまま、ぎこちなく目を逸らされる。それでも、拒絶されているわけではないことを知っている。思い上がりなんかじゃなくって。

 じっとりと湿ったスニーカーにくるまれた足で、勢いをつけるように開かれた世界へと踏み出す。
 冷たく湿った重い空気に包まれた宵闇の世界を包み込んでいた雨はすっかりその気配を消していて、湿ったアスファルトとじわじわと熱を奪う重い足下だけが、その名残を伝えるかのようだった。





このあと少ししてから「こんど用意していくからえっちしようね」ってメールして「ばかか」って返事をもらったりする。

デレるまえの周くんを久しぶりに書いて新鮮でした。
本編はあくまでも「忍を好きな自分を肯定出来るまで」のお話で、本編あとがき後のエピローグでの最後の周くんの言葉(お読みいただいてお確かめいただけると…)にたどり着くまでを書くことが目的で、忍視点が入るとうざいだけなので書かなかったのですが、「周くんを好きでいる忍」の苦しさと優しさについても折りに触れて書いてみたいなと。

両片思いは性癖です。笑


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