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調弦、午前三時

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フルーツみたいな月の夜に

第三回季刊ヘキワンデイライティング企画に参加します。
お題:「三時」

真夜中のころのふたりのお話







 月灯りに静かに浮かび上がるかのように、窓際に佇むすらりと伸びた影を目にした。

「……英彰さん」
 気配を押し殺すようにそうっと近づき、遠慮がちにそう声をかければ、たおやかに瞳を細めた笑顔が投げかけられる。
「ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」
「いえ」
 差し伸ばされた大きな掌は、ふうわりと掠めるように頭を撫でてくれる。
「お水をいただこうと思って、キッチンをお借りしました」
「お気になさらずどうぞ」
 音も立てずにふわりと緩やかに首を横に振り、恋人は答える。
「加湿器を置いたほうがよかったですね、気づかずに申し訳ない」
「いえ、そんな――」
 やわらかに遮るようにほほえみかけるその表情を前に、心ごと縫い止められたような心地を味わう。
「月が」
 窓の外をじいっと見上げるようにしながら、彼は答える。
「とても綺麗です。ご覧になられましたか?」
 視線の先に浮かび上がるすこし欠けたまるい月は、やわらかなオレンジ色を滲ませるようにしてその姿を現している。
「グレープフルーツムーンですね」
「トム・ウェイツ」
 囁くようにつぶやく声を耳にしながら、指先をそっと絡めるように手にとる。
「どうして気づかなかったんだろう」
 瞳を伏せるようにしたまま、彼は答える。
「でも、あなたとこうして見ることが出来てほんとうによかった」
 絡めあった指先から、じわりとぬくもりが伝う。
「この時間が、」
 かすかに吐息を震わせるようにしながら、私は答える。
「好きなんです、昔から。夜と朝のあわいにいるようで、世界の切れ目に取り残されたようで――どこか自由で、寂しくて」
 この人と同じ時間をともに過ごしていたのも、こんな風に行き場のない夜と朝のあわいを巡る無為なひとときだったことを私はふいに思い返す。
 あの時、あたりまえのように隔てられていた距離はいつしかこんなにも近づいて。こんな風にたおやかに重なり合う時がともにあることを、奇跡のように思う。
「――不思議ですね」
 空気のあいだをそっと滑り落ちていくかのようななめらかさで、彼は囁く。
「僕は何度だってこんな風に、あなたに見つけてもらえるのを待っていたような気がする」
「英彰さん……、」
 月灯りに浮かび上がる横顔を、息を呑むようにしながら静かに見上げる。
 どんなに心の距離を近づけようとしたとしても、どんなに傷つけないようにと細心の注意を払うように触れても、この人の心のうちには、私には届かない場所がきっとある。
 それでもそれが少しも悲しいことではないことを、この人はすべて、私に教えてくれている。

「栞さん、」
 すこしだけあまやかな響きをたたえるようにした、管弦楽器の調べにもよく似た美しいささやき声を響かせるようにしながら彼は尋ねる。
「寒くはありませんか?」
「……すこしだけ」
 ほんのひと時の思巡ののちにそう答えてみれば、静かに重ね合わせるようにしていた掌はうんと遠慮がちに、それでも、確かな意志をひそめるようにして静かにこちらを引き寄せ、背中にそうっと腕を回すようにして抱き留めてくれる。

「引き留めてしまってごめんなさい。でも、すこしだけ。あとほんのすこしで構いません。こうしていても構いませんか?」
「……悪いだなんて、いうと思いましたか」
 しっとりとなめらかなコットン生地のパジャマにニットのロングカーディガンを重ねた胸の中でそうっと首を横に振って見せながら、静かに息を呑む。
 静まりかえった空気の中、不揃いな互いの心音だけが、ここにしか存在しえないたおやかな音楽を奏であう。



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