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調弦、午前三時

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三日間の軌跡

第23回 #ヘキライ に参加します。お題:きのう





 彼女はいつも、僕よりも一足早く食卓に着いて僕を待ってくれている。

「おはよう、先に起きたから支度しておいたよ。簡単だけどこれでいい?」
 寸分の狂いもない完璧な笑顔と、完璧な食卓。半分にカットしたバターとママレードジャムを薄く塗ったトーストにコーヒー、レタスにゆで卵、アボガドを添えたサラダ、ミルクをほんの少しだけ入れたコーヒー。
 これは昨日の朝、ほんの少しだけ期待を込めて「明日も同じものがいい」と言った食事内容。
「砂糖は入れるわよね、角砂糖をひとつ?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
 はにかんだように笑う顔にも寸分の狂いはない、完璧な笑顔。僕に向けることを狙い澄まされたそれ。
 だから僕はいつも少しだけ期待をしてしまう。「明日」への望みをかけるようにして繋いだ願いが果たされていることを。
「いただきます」
「いただきます」
 簡単なお祈りを捧げて、ふたりだけの食卓につく。不器用な僕がカチカチ、とぶざまな音を立てるようにして食事を摂るさまを、彼女はそれでも少しもとがめたり笑ったりなんてしない。
「ねえ、今日の予定はどうするの?」
 ほらきた、いつものおきまりのそれだ。こほんと、と聞こえない程度の咳払いののち、僕は答える。
「昨日も話したと思うけれど――、」
「きのう……?」
 おおきな瞳を縁取る長い睫毛が音もなくしばたかれ、憂いを帯びた色に染まる。ごめんね、そんな顔しなくていいんだよ。一言そう伝えたって無駄なのは知っている、彼女は嘘をつけない。性格や信念なんかではなく、「それ」自体がシステムに組み込まれていないから。
「ああごめん、すまないね」
 ぶん、とかぶりを振り、僕はにこやかな笑顔で答える。
「初めまして、ジュイス。僕は君の親友になるようにって、この島に連れてこられたんだよ」


 むかしむかし、とある国の研究機関に勤める若い科学者の男女がいました。才気あふれる彼らはタッグを組んでいくつもの研究分野での成果を成し遂げ、公私ともに誰もが認めるパートナーとなりました。
 いつしか愛し合うようになった彼らふたりは子どもを授かり、大切に大切に育てようと決意をしました。
 しかしその子どもは生まれつき身体が弱く、その子が無事生育出来る環境として選ばれた場所は、人里から遠く離れた、彼女の母方の祖父が生み出した人工のリゾートアイランドでした。
 ドームに覆われ、永劫の春に囚われ続ける理想郷でひっそりと一生を終えることを約束された子どもへの十歳の誕生日の贈り物にと選ばれたのは、彼ら夫妻が開発の第一責任者となった高性能アンドロイドの試作品第一号でした。


「親友として、きょうだいとして、もし望まれるのなら恋人として――ただありのままを受け入れ寄り添い、望みを叶える理想の存在として振る舞い続け、その一生を終わらない春の森で過ごすのです」
「まんがいち雇い主が先に死んでしまったりしたら?」
「回収されて、その後の指示を待つんじゃないかな」
「もしその回収業者とも連絡がつかなくなったとしたら?」
「役目を終えて機能が停止するのを待ち続けるんだろうね」
「ぞっとするような話ね」
 べっ、と赤い舌を出してため息を吐く姿をしげしげと僕は眺める。この反応も変わらないな。そりゃそうだ、あらかじめそう組み込まれているんだから。
「ねえ、ヒューイ」
 組み合った指をひょこひょこと動かしながら、彼女は尋ねる。
「あなたはいい加減うんざりしないの? ここを出て行く手だてだっていくらでもあるんでしょ? ろくに顔も見せない雇い主になんて義理立てする必要あるの?」
「そんなこと言ったって」
 わざとらしく、口角をぎゅっとあげる笑みを浮かべながら僕は答える。
「君みたいな魅力的な女の子を置き去りにして出て行くばかがどこにいるの? 駆け落ちでもしようっていうんなら話は別だけれどね」
 とたんにさあっと赤くなる顔に、いとおしさが膨らむ。ほんとうに、完璧だ。ここまで心得られているのかと思うと、気まずいくらいに。


 日々衰えていく限りある人間の生命のはかなさとは対局に存在する、永遠の命。「機械の身体」と言われた時、あなたがたが浮かべるのはそういった事象でしょう。
 しかしよく考えてご覧なさい? あなたの家庭の洗濯機は? 冷蔵庫は? 空調設備は? オーディオ機器は? 「寿命」がない機械なんてありやしない。そうでしょう? 機械だって日々衰え、時代遅れの産物と成り果てていくのです。そういった意味では、時の流れとは皆に平等であり、残酷なものなのです。
 理想郷を抜け出せないまま、おそらくは「大人」になれず志半ばでその身を潰えさせるのであろう彼らの子どもに与えられたA・Iプログラム。
 それは彼らの期待を裏切らない完璧な出来ばえとなり、子どもはただ無邪気にまっすぐにその存在を愛しました。
 しかし、油断は禁物です。まだ誕生したばかりの人工知能は産みの親である彼らに見守られながら日々変化と成長を遂げることを期待された、発展途上の存在でした。
 そう、A・Iはまだ、完全な独り立ちの出来る状態ではなかったのです。
 庇護下に置かれ続けるべきだった彼らの「子どもたち」に決定的な悲劇が起こったのは丁度三年前のことです。
 学会に出席する為に理想郷を飛び立った彼らを乗せた飛行機は、あっけなく墜落事故の憂き目に遭い、彼らは命をおとしてしまいました。
 彼らのA・Iの開発技術は世界水準でも随一の物であることを謳われ、それらの研究成果は秘匿され続けていました。そう、第一責任者であった彼らが亡きあと、それを完璧な形で引き継ぐことが出来る技術者を生み出せないほどに。


 メモリー集積回路に少しずつ不具合が生じるようになったのは、ここ一年ほどの間の出来事だった。
 約束の時間にほんのわずかに遅れる、こちらの質問への反応が時折鈍くなる――それくらいならまだ、かわいい方で。
 人間の症例におけるいわゆる「健忘」を発動するようになったのはこの半年程度の間のことだった。
 はじめは一ヶ月、その次に十日、それから一週間――少しずつ間を詰めていくようにしながらいつしか時は過ぎ、プログラムのメモリ機能には決定的なバグが生じるようになった。
 交わした「約束」を――共に過ごした時間で積み重ねた「記憶」を三日間しか保持出来なくなったのだ。 

 三日おきに「初めまして」を交わしあうとびっきりかわいい女の子。僕の理想とあこがれだけを体現したその姿――一生涯最初で最後のパートナーで、両親の遺してくれた忘れ形見。それが、ジュイス。

 ジュイスの異変に気づいてからの僕の「三日間」の初日の過ごし方はもうはやプログラムのそれと変わりない。
「おはよう」
「ねえ、昨日の約束は覚えている?」
「ああごめん、今日はもう――」
「あのね、ジュイス。これを話せばきっと君はショックを受けるだろうけれど――」

 三日間しか記憶を保持できない病気にかかってしまった、A・Iプログラムだけを携えて多忙な両親に置き去りにされたきりの女の子。
 僕が「四日目」のジュイスに言い聞かせる「設定」がそれだ。

「僕がお医者さんになってジュイスの病気を治してあげるね」
「だから安心して休んでね、僕は何度でも君を目覚めさせてあげるからね」
 スリープモードに入る前、寝入りばなに聞かせてあげる残酷なおとぎ話。人工皮膚の薄い瞼を閉じるのを確認してから僕は、ベッドにしつらえた充電バッテリーの電源をオンにする。

 そう、これはほんの子どもじみた復讐だ。子どもの頃からずっと一緒に生きてきたはずなのに、十年分をすべて捨てて三日おきのリセットを繰り返すジュイスへのほんのささやかな、僕にしか出来ない「復讐」


 スライスオニオンとオリーブの実が苦手なこと、コーヒーには一匙のミルクを入れること、ゆで卵は固ゆでが好みなこと――「記録」装置はいつだって完璧だ。でも、そんなこと少しも助けや救いになんてなりやしない。僕が覚えていてほしいのはそんなことなんかじゃなくって、もっと、僕にしか伝えられないたったひとつの――

 医療の進歩によって僕の命がつなぎ止められることが約束されれば?
 それとも腕利きの科学者になってジュイスを完璧に直せれば?
 
 疑問の念は尽きない。この身体とジュイスの機能停止、どちらが先なのかが何よりもの懸案事項ではあるのだけれど。
 泣きながら眠りにつく夜、夢に見るのはいつも、ジュイスの完璧な笑顔で。
 

 目を覚ましていつも、真っ先に確認するのはカレンダーにつけた印だ。ほら、今日はもう四日目。食卓からは食事の支度をする物音。
 ジュイスはいつだって完璧で隙がない。プログラムに組まれた通り、僕好みの朝食を用意して、定位置に腰を下ろしてあの完璧な笑顔で僕を待ってくれる。
 ばかだなあほんとうに。なんでA・Iの設定の僕に食事を与えてるのが君だっていう決定的な矛盾に気づかないの? そこまで僕の望みに完璧にあわせられる適応力にはもうはや感心するしかないんだけれど。

 寝間着からいつもの部屋着に着替えた僕は、乱暴に顔を洗っていつもみたいに食卓に顔を出す。
 こちらを見つけた瞬間に飛び込んでくるのはいつものあの完璧な笑顔。少しの狂いも隙もありやしない。
 今日は四日目。ここにいるのは、僕のことを忘れてしまった哀れな女の子。
 すっと息を飲み、僕は声をかける。
「おはようジュイス。ねえ、昨日話していたことの続きなんだけれど――」


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