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調弦、午前三時

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Mellow mind.



「ジェミニとほうき星」海吏とマーティン
第一回あまぶんで発行した同人誌「おやすみを言うまえに」からの再録です。

※「あたらしい朝」の翌朝のお話です。








 目をさましてすぐに感じたのは、ちいさな違和感だった。

 のりのきいたシーツは折り紙みたいにぱりぱりして、着慣れないぶかぶかの寝間着は肌の上にとろんとやわらかに落ちる。見上げた先に映るのは、見慣れない天井。
 あれ、どうして? ここは? 僅かに軋む身体をゆらりと揺らせば、傍らに携えられたおだやかなぬくもりがそっとこちらへと手渡される。
「おはよう、カイ」
 戸惑うこちらを前に、長い睫毛をしばたかせるようにぱちぱち、とゆっくりなまばたきを繰り返しながら、なめらかな指先がそっと、たどるように頬へとのばされる。
「……どうしたの?」
 戸惑いを隠せないこちらを前に、いつもみたいにくすくすと笑いながら恋人は答えてくれる。
 くしゃくしゃに乱れた髪も、少し重たげな瞼も、そろいの寝間着姿でじいっとこちらを見つめてくれるまなざしの奥に宿る光のたおやかさも――無防備に差し出されるそのすべてが、いとおしくてたまらない。
「……だって、びっくりして」
 素直にそう答えて、掠れて震えた声の頼りなさに自分でもただ驚いてしまう。
 だってここはすっかり慣れた自分の部屋なんかじゃなくって、家族に内緒でこんな風に外泊するのなんて初めてで、目を覚ましたらすぐそばに大好きな相手がいてくれて。
 みっともなくて、情けなくって、はずかしくって――でも、あんなにも愛してると伝えたくてたまらなかった彼のぬくもりがこんなにも優しく差し出されていて。
 そのことがこんなにもうれしいだなんて、ずっとずっとしらなかった。
「あのね、マーティン」
 さわさわと、いつくしむようなやわらかさで髪をなぞってくれる掌の上に自らのそれをそっと重ね合わせるようにしながら、僕は答える。
「……すごく愛してる」
 答えるかわりみたいに、お互いのいびつさを寄せ合うようなぎこちなさでぎゅうっと抱きしめあう。それだけでうわずった胸の奥がじんじん震えて、言葉にならない想いがぐんぐんあふれて出しては滲んでいくのを止められない。
 夢みたいだけれど夢じゃない。だって、ちゃんとこんな風に隣にいてくれる。抱きしめあえる身体と心の両方がちゃんとあるのを知っている。こんなにも愛してる、こんなにも愛してくれている。
「ねえカイ、お腹すいてない? 支度して朝ご飯食べにいこう? レイトチェックアウトだから、お昼まではいられるからね」
 宥めるみたいなやさしい言葉を前に、だだをこねる子どもみたいに抱きしめられた身体をよじらせる。
 だってずっとこのままがいい。このままずっといたい、それだけなのに、それしかほしくないのに。
「マーティン……、」
 鈍く痛む身体を横たえたまま、ぎゅうぎゅうと抱きつく力を強める。少しだけ欲望の気配を忍ばせたみたいなやわらかな手つきで背中をなぞられると、きゅうっと胸の奥があまく痺れるような心地に襲われる。
「あのね、カイ。さっき気づいたんだけど……いい?」
「なあに?」
 囁くような甘い声に誘われるまま、少し潤んだ瞳でじいっと恋人の顔を見つめる。大好きなあの、どこか悪戯めいた響きで告げられるのは、こんなひとことだ。
「ベッドなんだけど」
 指さされたその先には、ぴんとしわひとつつない状態でシーツを張られたままのもうひとつのベッドがその姿を露わにしている。
「……ちょっと気まずいよね、あれじゃ」
 くすくすと照れ笑い混じりに告げられる言葉に、たちまちにかあっとみるみるうちに顔が熱く火照らされてしまう。

「よし、」
 かけ声みたいなそんな言葉と共に、ひらりと弾みをつけるようにしてベッドを降りた彼は、たちまちにぴんと張ったシーツを引きずり出すようにして、こてんとその上に寝ころんで寝返りをうつような仕草をとって見せる。
「ほら、カイも見てるだけじゃなくて手伝って?」
 誘われるままに手を握られ、シーツにくるまるようにしながらふたりでじゃれあうみたいに転がりあう。そのあいだも、何度も離れそうになる身体を引き寄せあうみたいに繰り返し繰り返し抱きしめあって、かすかに触れるだけのキスを交わす。
 ほら、大丈夫。なにも怖がらなくなんていい。こんなにも愛してる、こんなにもいとおしい。ただそれだけだから。
「もうじゅうぶんくしゃくしゃになったよ、ね?」
「ううん、まだ足りない」
 ふざけあいながら、子どもに戻ったみたいな無邪気さでうんとやさしく笑いあう。
 
 身体の奥はくすぶった熱の余韻でじんじんと痛んで、泣きはらした瞼は鈍く腫れて、心ごとぐらぐら揺さぶられるみたいで、あんなに苦しくていとおしくてぺしゃんこに潰れてしまいそうなほどに求め合った時間がほんの数時間前の出来事だなんて、おおよそ信じられなくて。
 三年ぶんの空白も、それらを埋め合うように求め合った時間のいびつさも――そのすべてが、あたたかな光に包まれておだやかに溶けていく。



 きちんとハンガーにかけたはずの服はそれでもくしゃくしゃに乱れていて、申し訳程度に手で皺を伸ばしながら苦笑いをする傍らで、おおきな旅行用のキャリーカートを横目にちらりと苦笑いを洩らす。
 もうすぐ、もうすぐ。あともう少ししか一緒にいられない。そんなのわかっていたのに、刻一刻と近づくタイムリミットもどかしさは募るばかりだ。
「……どうしたの?」
「なんでもないよ」
 力なく答えながら、カードキーを手にしていない方の掌を差し伸ばされ、ぎゅうっと握られる。
 やわらかなその感触は、ドアを開いてすぐに手放されてしまうけれど。



 もどかしい気持ちから目を逸らしたままなんどもくだらない言葉を交わし合って、その合間にふざけるみたいにくすくす笑いながら指先を触れあって、確かめ合うみたいに目線を交わし合っては、言葉をぐっと飲み込む。
 あともう少し、あともう少しだけ。ここを一歩出てしまえばもう、恋人同士でいられない。
 こんなにふたりでいたいだけなのに。やっとこうして気持ちのありかを確かめあえたはずなのに―否応なしに引き離されていくことが決まっているだなんて、信じたくない。

「ねえ、そろそろ出なくっちゃ」
 シャツの袖越しに優しくさわさわとなぞられると、それだけでくすぶった胸の奥がじわじわと火照らされてしまう。
「……寂しいね」
 かすかに潤んだ瞼の奥が、じわりと熱くなる。大丈夫、大丈夫だから。だって、もう一度会えるまでにこんなに時間がかかったけれど、その末にちゃんとこうしてまたふたりの時間を取り戻すことが出来たんだから。
 なにも怖くなんてない。約束だってしたから。これからはもうずっと、どんなに離れていたってずっとふたりで生きていくとそう決めたんだから。
「……寂しくないよ」
 震わせた指先をぎゅうっと絡めながら、恋人は答えてくれる。
「これから一緒に生きていくために、ほんの少しだけ元にいた場所に帰るだけだよ。またちゃんと会えるんだから、ちっとも寂しくなんてないよ」
 言葉尻は、僅かに滲んで震えている。
「ありがとう……」
 震わせた言葉をゆるやかに吐き出すようにすれば、じわじわとほつれた心が滲んで、淡く溶けていくかのような心地に襲われる。
こんなにも確かなものがあるだなんて、やっぱりまだおおよそ信じられない。

「あのね、マーティン」
 ドアの前でぎゅっとシャツの袖を引っ張るようにして、すこしだけ背伸びをしながら、最初にきた時よりも淡くて優しいキスを落とす。かすかに触れあわせた後、ゆらりと吐息をかぶせ合うようにあまく。
「……最後のキスだね」
 至近距離でじっと見つめながら告げられる言葉に、ざらざらと胸の奥が締め付けられる。
「……ほんとうの最後じゃないよね?」
 掠れるような声で告げた言葉は、淡く吐息をかぶせるみたいな、触れるだけの優しいキスでそっと閉じこめられてしまう。

 ひとたびここを出てしまえば僕たちはただの「友達」で、ただこんなにも求め合っているだけなのに人前では手すら繋げなくて――でも、それで構わない。こんなにも思いあっていることは、この心と身体の両方でちゃんと知っているから。
 きつく手を繋ぎあいながら、軋む扉はゆっくりと開かれる。
 離ればなれになっていく僕たちをもう一度巡り合わせる為の、最初の一歩へと踏み出させるために。



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