ジェミニとほうき星、マーティンと彼の「ともだち」と海吏のお話。
恋人の顔の広さには、時々驚かされることがある。
「マーティン!」
こちらに気づいた途端、きらきらと瞳を輝かせるようにして、ててて、と弾むような足音を立てながら、小さな影が駆け寄る。
少しくせっ毛のやわらかそうなこっくりとした赤毛の髪に、うっすらと浮かんだそばかす。少し泥のはねたサッカーチームのユニフォーム姿の、年の頃はおそらく小学校の低学年くらいのその男の子の姿を目にした途端、傍らの恋人はすっかり慣れ親しんだ様子でにこやかに笑いかけながら、そうっと掌を振って答えてみせる。
「ネヴィル」
満面の笑みと共に懐へと飛び込んでくるちいさな男の子の頭を、恋人はすっかり手慣れた手つきでくしゃり、と優しくなぞりあげるようにする。
「どうしたの? ここで会うなんて珍しいよね?」
「練習試合があったんだ。きょうはね、僕が三点もゴールを入れたんだよ。すごいでしょ? マーティンに会えたらぜったい話すんだって決めてたから、ほんとうに会えてびっくりしたよ。来週まで会えないって思ってたのに」
「そりゃあすごいや、きょうはお祝いだね。これがユニフォーム? かっこいいね、すごく似合ってる」
得意げに笑いかけるちいさな友人を前に、傍らの彼はと言えば、そうっとその場にしゃがみこみ、視線を合わせるようにしながら、くしゃくしゃとやわらかに髪をなぞる仕草を見せる。
「……ねえマーティン、この人は?」
少しくすんだヘーゼルグリーンの瞳をぱちり、としばたかせながら投げかけられる問いかけをまえに、いつものように、ふわりと、やわらかに微笑みかけるようにしながらつま弾かれる言葉はこうだ。
「カイだよ、僕のパートナーなんだ」
「……」
じいっと捕らえるようにこちらを見上げたそののち、恋人に向けてくれたのとおなじ、満面の笑みと共に、言葉が投げかけられる。
「こんにちは」
「……こんにちは」
どこか遠慮がちに答えれば、ちいさな掌がさっとこちらへと差し出される。すこしためらうように微かに指先を震わせていれば、促されるかのようなやさしいまなざしに誘われるままに、自らのそれをそうっと差し出す。
ちいさくて頼りなくて、すこし汗ばんだその感触に包まれたその途端、心ごとやわらかにくるまれたような、そんな不思議なおだやかさに襲われていく。
「カイは日本人?」
「うん、そうだよ」
ぱちぱち、とまばたきを繰り返しながら、くるくるとよく動く輝く瞳がこちらと傍らの恋人とのあいだを交互に移ろう、その時のことだ。
「ネヴィル――」
どこか彼の面影を残した、ゆるくウェーブのかかった赤毛を揺らした女性――おそらくは、彼の母親だ――が、こちらへとそうっと駆け寄る。
「ママ!」
にこにこと得意げに微笑みかけるようにしながら、ネヴィルは答える。
「ねえママ、前にも話したでしょ? マーティンだよ、それとね、こっちの人はカイ。ねえ、ママもちゃんとあいさつして?」
どこか大人びたそんな口ぶりを前に、困ったように、それでもうんとおだやかに笑いかけながら、いとおしげに細められたまなざしがこちらと彼のほうへと、交互に注がれる。
「あなたがマーティン? ネヴィルといつも遊んでくれてありがとう」
「いえ、そんなこと」
どこか気まずいような心地からぎこちなく視線を逸らすこちらを前に、にこにこと屈託なく笑いかけるようにしながら、ネヴィルは答える。
「マーティンはね、ドリブルの練習の仕方を教えてくれたんだよ。それとね、この人はカイ。日本人で、マーティンのパートナーなんだって」
ごくごく自然に紡がれる言葉たちをまえに、どこか気まずい心地を隠せずに視線を逸らすようにすれば、捕らえるようにぎゅうっと、すこしだけぎこちなく震わせた掌を握り返される。
「ユニフォーム姿、マーティンに見せられたらいいのにって家でもずうっと話してたのよ」
まぶしげに瞳を細めながら差し出される言葉を前に、恋人はただ黙ったまま、うんとやわらかに微笑みを浮かべる。
背中に受け止めたたおやな日差し、木漏れ日からきらめく光、さらさらと揺れる葉の音、遠くで聞こえるいくつもの笑い声の重なり合う音――指先をつたう熱と、すべてを包むこむようなおだやかさ。
そのすべてがやさしく重なり合いながら、いつしか、心をふわりと軽やかに飛び立たせるような心地よさを味合わせてくれる。
「ネヴィルはね、」
いつもの帰り道、石畳の道を一歩一歩踏みしめるようにしながら、ぽつりぽつりと恋人は話してくれる。
「学校の帰りに時々寄る図書館の裏の公園で、いつもひとりでサッカーの練習をしてて。僕がジュニアスクールのころに通ってたのとおんなじチームに入ってて、将来はプロリーグに入るのが夢なんだって」
「……すごいね」
「僕なんて彼の年の頃には、明日のおやつはなんだろうってことくらいしか考えてなかった」
くすくすと笑いながらかけられる言葉をまえに、ゆるやかに遮るようにしながらかける言葉はこうだ。
「――そうじゃなくて、君が」
「なんでまた?」
ぱちぱち、とまばたきをしながら投げかけられる問いかけを前に、どこか気まずいような心地のまま、そうっと目を逸らしながら僕は答える。
「だって、あんなちいさな子と友達になんて、ふつうそうはなれないし」
同世代とだって、正直なところあんまりうまく話せるほうでもないのに。
頼りなげな問いかけを前に、いつものあの、どこか得意げなまなざしと共に返される言葉はこうだ。
「褒めてくれてるんだよね、それって?」
「……まぁ」
曖昧に答えれば、ちいさな「ともだち」にそうしたのと同じように、すっかりと手慣れた手つきでふわり、と髪をなぞられたその途端、微かに顔が熱くなる。
誰かに見られたら、なんていちいち気にして外では手も繋げないのに、恋人はいつだって、こんな風にふいうちみたいに大胆だ。
「マーティン」
「……いいでしょ、そのくらい。うちまで我慢しなくちゃだめだった?」
答えられず、ますます赤くなる顔をうつむかせたまま、すこしひきつっつた掌を力なくぎゅうっと握りしめる。
ほんとうはどこでだって手を繋ぎたい。誰かに会えば、あたりまえみたいに「パートナー」だとそう紹介したい。ただそれだけなのに。
時々、つまらない意地や見栄みたいな、ひどくくだらない何かにこんなにも振り回されている自分のことがひどくばかげて思えるのだけれど。
「……マーティンは」
どうしてこういう僕のことが嫌いにならないの。喉元までせりあがった言葉をぶざまにぎゅうっと押し込めるようにして、投げかける言葉はこうだ。
「……誰とでも仲良くなれるから、すごいよね」
「そんなことないよ、君のほうがよっぽどすごいじゃない」
どこが、だなんてそんなこと聞けるはずもないままに、どこか気まずい心地のままぎゅっと唇を噛みしめることくらいしか、いまは出来ないままで。
「ねえ、君って確か、末っ子だったよね?」
食事の片づけがひとしきり終わったあと、いつものように定位置のソファの片側に腰をおろした恋人を前に、おもむろに僕は尋ねる。
「――生き別れのきょうだいがいる、なんて話は聞いたことがないね」
得意げに呟かれる言葉をまえに、みるみるうちに、心をくしゃりと掴まれたかのような心地を味わう。
「だから、そういうのじゃなくって」
少しむきになったような口ぶりで答えれば、くすくすとあの、屈託のない笑い顔が返される。
「ほら、そういうのはさ、慣れてたらふつうだと思って。だから、不思議だなって思って」
精一杯に答えるこちらを前に、いつもそうするように、ふわりと、優しい大きな掌で髪をかきまぜるようになぞりあげながら投げかけられる言葉はこうだ。
「子どものころからずっと、親戚の中でも僕がいちばん末っ子で。時々みんなが集まると僕よりも小さい子がいることもあったけれど、そんな機会なかなかなくって。兄のことは好きだったけれど、それとは別で、弟か妹がほしいなって、ずうっとそう思ってて」
「……僕がもっと年下だったら良かった?」
「……なんでそうなるかな」
少しだけあきれたように、それでも、うんといとおしげに笑いながら、目尻をゆるやかに下げた、いつものあのいとおしさに満ちあふれたまなざしでじいっとこちらを見つめられると、まばたきをすることすら忘れそうになってしまう。
「あのね、カイ」
いつもそうするように、どこか強気な様子でうんと得意げに笑いかけながらかけられるのはこんなひとことだ。
「いくつのカイだってきっと好きだけれど、僕がいちばん好きでいちばん大切なのはいまの君だってこと、ちゃんとわかってるよね?」
「……うん」
「ならいいよ」
笑いながら、引き寄せるように手を取られ、手の甲にそっと口づけを落とされる。
「……マーティン」
「唇のほうがよかった?」
得意げに笑いながら答える瞳の奥で、微かにゆらりと揺れる色に、くすぶった思いがふつふつと揺らされてしまう。
「――パートナーだって、言ったこと」
少しだけ汗ばんだ指先をゆるやかに絡め合うようにしながら、恋人は尋ねる。
「そんなにはずかしかった?」
「……そうじゃなくって」
ふるふる、と音も立てずにちいさく首を震わせるようにして、僕は答える。
「すごくうれしいのに……素直にうれしいって態度に出せなかった自分のこと、はずかしいなって」
「カイ――、」
しばしばそうするように、どこか困ったように――それでいて、うんと得意げに笑いかけるようにしながら、そのままぎゅうっと腕を差し伸ばされて、たちまちにその中に閉じこめられてしまう。
ほんの少しだけためらいながら――それでも、あらがうことなんてあたりまえに出来ないままに、導かれるようにぎゅっと背中に腕を回せば、応えるかわりのようにうんと優しく、なだめるようなやわらかさでとんとんと、背中や肩をうんとやさしくなぞられる。
「うれしいって言ってくれたの、ほんとうだよね?」
囁くようにうんとあまくやさしく届けられる声を耳にすれば、心ごとなぞられるような心地がこみあげてくるのを抑えきれなくなる。
「……君にうそなんてつけるわけないってことくらい、知ってるでしょ?」
「……うれしい」
心の底からぽつりと洩らされたような言葉の底でゆらめくぬくもりに、ぐらぐらと身体ごと、心ごと揺さぶられてしまうのを抑えきれない。
「ねえ、なにか考えてたよね?」
「別に……」
ごまかすように答えながら壁際に背を向けるようにすれば、たちまちに煽るような手つきでさわさわと耳にかかった髪を指先でくすぐる、いつもそうする些細なたわむれに翻弄される。
「ほら、そうやってすぐごまかす。案外頑固だよね、カイは」
「だって、話すほどのことじゃないから」
少しだけムキになったように笑いながら、そっぽを向いたその格好から渋々と向き直るようにして、仕返しかなにかのようにゆるゆると手を延ばし、やわらかな耳に触れる。
「そんなこと言わないで話してよ、聞かせてくれるまで寝かせてあげない」
「……だったら夢の中で聞かせてあげる」
ほんの一匙の意地悪のつもりでそう答えれば、おおきな掌でぎゅうっと頬を挟まれる。
「じゃあ君の夢に連れて行ってよ」
「……やだ、はずかしいよ」
「じゃあどうすればいいの?」
「……もう」
笑いながら、少しだけ熱くなった頬に添えられた掌の上に、自らのそれをすり寄せるようにゆるく重ね合わせる。
「――あのね、マーティン」
観念したような心地で、ゆるやかに投げかける答えはこうだ。
「もし、生まれ変わりがあって――それでも君に会えたら、今度は君の家族がいいなって、ちょっとだけ思って」
たとえば、うんとかわいがってもらえる年の離れた弟なんて。
「カイ――」
答える代わりみたいに、細められたやわらかなまなざしをこちらへと向けられながら、ぎゅうっときつく、うんと優しく抱きすくめられる。
いまの関係に不満があるだなんて、そう言いたいわけではない。それでもただやっぱり、なにか違う形で巡り会う可能性を見てみたいと、そんな気持ちになることだってあるのだ。
たとえば、うんとちいさな子供になって、あのやさしいまなざしで見下ろされる可能性だなんてものも、そのひとつで。
「ねえ、もしかしてやきもち?」
「……そんなことないけど」
「うそつき」
囁くように投げかけられる言葉に、たちまちにさわさわと心の奥を揺さぶられてしまうのは、仕方のないことのはずで。
「ね、大丈夫だよ。いちばん好きで、いちばん大切なのは君だからだよ」
知ってるよ、という言葉を、胸の奥だけでぽつりと吐き出せば、たちまちにみるみるうちに広がるそのあたたかさに、息が詰まるかのような心地を味わう。
途切れることなんてあるわけもない優しい魔法は、いまも確かに、この掌の中に。
あまぶん会場にて
ら「きよにゃさんぼくスケブ書くよ。なんかネタある?」
きよにゃさん「マーティンと子どもの話がいいな」
と自分から持ちかけたのですが、時間切れで書けなかったので時間差で書きました。
楽しかったです。
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