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調弦、午前三時

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なまえをよんで

「ほどけない体温」、周くんの名前のお話。

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「周くん」
 新しい『ともだち』はさもあたりまえのように、気づけばほとんど呼ばれなくなったはずのその名前をやさしく呼んでくれる。


「ほんといまさらなんだけど、なんていうか馴れ馴れしかったよね? 瀧谷くんが周って呼んでたもんだから……て、いまさら言っても仕方ないか。ていうかちゃんと名乗ってないよね俺。高垣です、高垣春馬」
 ぺこぺこ、といやに恐縮しきった様子でぎこちないお辞儀を繰り返しながら力なく告げられる言葉を前に、思わず笑い出しそうになるのをぐっと抑える。ああ、行儀のいい子なんだな。忍とはえらい違いだ。
 気まずそうにちらちらと視線を泳がせる男の傍らで、精一杯に取り繕うような笑顔を浮かべながら、周は答える。
「いいよ別に」
 そこまですまなそうにされたって困るから。(そもそも全面的に迷惑をかけたのはこちらの方なので)とは思うけれど、もちろん口に出しては言わない。そのくらいの良識らしきものは持ち合わせているから。
「引き替えってわけじゃないけど」
 唇の端をわずかに持ち上げるようにして、ひどくぎこちない笑い顔を作るようにしながら投げかけてみる提案はこうだ。
「俺も呼んでいい? 春馬くんって」
 目の前の彼はと言えば、ゆるやかに心の奥をほどかせたような笑い顔を浮かべることで、黙ったままそうっと答えてくれる。


 円周率の「周」で「あまね」
 さほど珍しい名前でもないはずなのに、さんざん言われたのは「読めない」、読み方を教えてすぐさま返ってくるのは「女みたい」
 一生つきあうことを余儀なくされる他人の名前を平気で侮蔑の対象にあげ連ねられるだなんて、どういう育て方されてきたらそんな神経で平気いられるんだか。
 ――とは思うけれど、口には出さない。もちろん親や担任に告げ口なんてしない、面倒だから。

「シュウでいいから」

 なげやりにこちらから指定した呼び名で呼ばれるたび、ずいぶんと気が楽になったのをよく覚えている。本来名付けられた名前よりもずっと軽薄で使い捨てじみた響きで、自分にはずっとふさわしいような気がしたから。
 隠れ蓑、だなんて言うと大げさだけれど、『本当の名前』を呼ばれない日々はどこか身軽だった。『桐島周』はいまはもうどこにもいないと、そんな逃げ道を用意できるような気がしたから。
 さんざん逃げまどったはずのほんとうの名前で呼ばれることに、どこか安心する――そんな日がくるだなんて、思いもしなかった。



「あの子ね、すっごい緊張してたんだって。もともと初対面の人としゃべんのとかも得意じゃないからさ。周には悪いことしたから謝んなくちゃってよけいにプレッシャーだったんだって。失礼なこと言ってないかすごい不安だったって言ってて。だからさ、『話せてよかった』って周言ってたよ、ぜんぜん気にしないでいいよって言ったらすごいほっとした顔してて」
 どうにかお互いにほとぼりも冷めたころ、思い出したかのようにぽつりぽつりと告げられた言葉がそれだ。
 こわばっていたのは、こちらも確かだ。それにしたって、そんなことなぞつゆ知らずのまま、いやに込み入った話につきあわせてしまったのは確かで。
 ごめん伏姫くん、やっぱり今度なんか奢るわ。
 ぐるぐるとあてどのない思案に明け暮れるこちらを前に、当の騒ぎの因子はと言えば、いやににやにやとうれしそうに笑いながら、こちらの紡ぐ言葉のその先を待ちわびているかのようだ。
 わざとらしくふかぶかと息を吐いたのち、周は答える。
「……そういうとこがかわいいって言いたいわけ?」
 どこかあきれたような表情とともに吐き出した言葉を前にすれば、返事をする代わりのように、くしゃりと瞳を細めたいつもどおりのあの遠慮のない笑顔が返される。
「ていうかさぁ」
 薄暗がりの中、気まぐれのように差し伸ばした指先でするり、とこちらの髪をなぞる仕草と共に、忍は答える。
「怒んないんだね、周」
「――なんでそうなんの」
 わざとらしく無愛想に答えれば、髪の束を掬っては払う、を繰り返していたいた指先に、ほんの少しだけ力を込められる。
「決まってんじゃん、そんなの」
 ふぅ、とつまみ上げた毛先にそっと吐息をふきかけるようにしながら告げられるのは、こんなひとことだ。
「まえからしてたじゃん、伏姫の話。あれさ、途中くらいから嫉妬してくんないかなーって思ってしてたんだけど」
「……おまえなぁ」
 あきれながら言葉を探すのに、いやにじいっと熱のこもったまなざしでこちらを見つめながらそんな風に囁かれば、途端に行き場のない感情はするすると潰えてしまうのだから、我ながら心底おかしい。
 せめてもの仕返しとばかりに差し伸ばした掌でくしゃくしゃと髪をなぞりあげれば、うれしそうに瞳を細めて答えてくれる屈託のない笑顔に、心ごとやわらかに包み込まれるような心地を味わう。
「伏姫はねえ」
 こちらの動きをなぞるように、するりと差し伸ばした指先でなめらかに髪を掬っては払う、やさしいその仕草を繰り返しながら、忍は続ける。
「人のこと、あんまし名前で呼ばないんだよね。ガッコでもよく喋ってるやつは何人かいるみたいけど、みんな苗字で呼んでて。だからさ、伏姫の口から『周くん』って呼んでんの聞いてたら、なんか不思議だなって思って」
「……おまえもそうだもんな、そういえば」
 いかにもな遠慮が伺いしれるというか、なんというのか。(まぁ、それでも忍の側にはまったく怯むところが見えないあたり、『らしい』としか言いようがないのだけれど)
「好かれてないからねー、俺」
 すぐさま返ってくるのは予想した通りの、言葉とは裏腹のいやにうれしそうな笑顔で。
「ずっとそう。『忍』って呼んでっつってんのに、すげえ頑なに『瀧谷』か『あんた』って。あんたってなに、俺、どこにいんの? って聞いてもぷいって黙っちゃって。案外頑固なんだよね、あの子。でもさ、そうじゃないと伏姫じゃないよね」
 くすくすと屈託のなく笑い顔と共に紡がれる言葉には、端から溶けだしては溢れてしまいそうなおだやかなぬくもりが満ちあふれている。

 うれしそうに瞳を細めたまま、忍は答える。
「なんかさぁ、伏姫が『周くん』って周のこと呼んでくれてんの見てるとちょううれしい。自分のことじゃないのになんでだろ、ね?」
「……」
 答えられずに言葉を詰まらせていれば、いつもあの得意げな笑顔がそうっとかぶせられる。
「……あまね、」
 くぐもった吐息を吐き出すようにしながら、そっと名前を呼ばれる。どこかまぶしく感じるようなその感触に酔いしれるようにしながら返答の言葉を探すそのさなか、傍らで、かくんと力をなくすようにして頭が落ちる。
 ほら、いつも通りだ。

 やれやれ、と安堵の入りまじったため息を吐き出したその後、ひとまずは少しめくれた毛布を肩にかけてやるようにして、するりとぎこちなく、あやすような手つきで背中をなぞる。
 ひとしきり気の済むまで話しをしたその後、電池が切れたおもちゃのようにぱたりと動きを止めるのが、この男の常だ。その都度、むしょうに笑い出したくなるような衝動に駆られるのに、あんまりにも安らかな顔をして眠りに就くその姿を目の当たりにすれば、そんな心地もするすると砂がこぼれ落ちるかのように消え去ってしまうのだから、我ながらおかしい。
 子どもがいたらこんな感じなんだろうな、きっと。
 幾度となくよぎったそんな感情に、相も変わらず心をゆるやかにさらわれていくのを感じながら、おぼつかない指先でひとまずはそうっと、かすかに震わされた髪や肩をなぞる。
 まだこれから伝えなくちゃいけないことがたくさんあるのに、いつの間にか意識を手放してしまうのだから、大切なところでいつも、こんな風に会話は途切れる。
 でも、それで構わない。これから先もまだ、こうしていられることを信じているから。

 忍。

 喉の奥だけでぽつりとつぶやきながら、ゆるやかに瞼を閉じる。
 次第にぬかるみにとらわれていく意識の中、かすかに触れあった肌と肌が伝えあう熱がつなぐ想いのあたたたかさに、胸がつまされるような心地よさを味わう。

 名前を呼んでくれてありがとう。
 手を離さないでいてくれてありがとう。
 こんなにも確かにつなぎ止めてくれて、ほんとうにありがとう。

 ほら、ちゃんと伝えられる。少しも怖くなんてない。
 とろとろとぬるい眠りにくるまれていく中で、幾度となく巻き起こるかのような穏やかな感情の波が、周の心をゆるやかに包み込んでいく。
 このあたたかさをすべてみんな、傍らにいてくれる相手が教えてくれた。瞼を閉じて夢を見ているあいだも、手を離したりなんてしない。こんなにも大切なのを知っているから。

 すぐにまた会えたその時、なにを話そう。
 いままでのこと、これからのこと――他愛もなくすぎていくはずの、この先にあること。
 それよりも何よりもまず、名前を呼んでやらないと。たいせつな、たったひとつのうつくしい名前を。






・春馬くんと海吏がお互いに「おまえ」っていうのは親しさゆえのいい意味での粗雑さ。
・海吏は忍に対して距離を置いてるポーズのために頑なに「あんた」呼び。別にもうふつうに友達なんだけど。
・周くんはたぶん7:3くらいで「おまえ」「忍」。たぶん照れ隠しで、肝心な時しか忍って呼ばない。
・そういえば忍はだいたいいつも「周」って呼んでるし、たぶん凄く感情的にならないと「おまえ」って言わないんだと思う。

ということを考えていたら小説になったので書きました。(長い)

周くんにとって、名前を呼ばれるというのはとてもささやかだけれど、それゆえにきっとすごく大切なことなんだと思います。
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