カイへ
ロンドンの冬は冷え込むと聞きました、風邪をひかないようにあたたかくしてお過ごしください。
日本の家族からそんな言付けと共に送られてきたのは、陶器で出来たクリーム色の湯たんぽだ。
「なあに、これ」
厳重に梱包された国際便の段ボール箱から現れた見慣れぬ物体を前に首を傾げる恋人を前に、はてさてどう説明したものか、と、ひとまずは目の前の現物を手に取りながら、さながらテレビショッピングの司会者のような気分で僕は答える。
「ほら、ここにふたがついてるでしょ。これを取って、ここからお湯を入れて。それからこのカバーに入れる。これを毛布の中に入れておけば、朝まであたたかいまま寝られるっていう――」
果たしてこれで伝わるのか否か。どこか心許ない心地のこちらを前に、にっこりと得意げに笑いながら恋人からかけられる言葉はこうだ。
「hot water bottleでしょ。懐かしいね、グランマの家でよく借りたよ」
聞き慣れない呼称を前に思わず首を傾げれば、いつも通りににこにことやわらかに微笑みかけながら彼は続ける。
「ほら、薬局なんかでみたことない? このくらいの大きさで、ゴムで出来てて」
「あぁ……」
氷まくらか何かだと思っていた物が、どうやらそうだったらしい。どこか惚けたような心地で答えるこちらを前に、ふかふかとしたパイル地のケースを指先でそっとなぞるようにしながら恋人は尋ねる。
「これ、日本ではなんて言うの?」
「湯たんぽ。湯がhot waterで、たんぽは……なんだろう、入れ物?」
「ユタンポ」
舌の上を転がすようなぎこちない発音で告げられる単語に、どこかくすぐったいような、やわらかな思いがこみ上げてくるのを感じる。
「一個しか入ってなかったんだよね、これ」
「ふたりで使えばいいじゃない、一緒に寝てるんだし」
さもあたりまえ、とでも言わんばかりに答えるそんなそぶりを前に、みるみるうちに微かに顔が熱くなる。
「ひとりじめしたかったの?」
「あるわけないでしょ、そんなこと」
答えながら、添えられた便箋の少し折れ曲がった端を、どこか懐かしいような心地で指先でするするとなぞる。
ふたりでひとつ。そんな些細な、笑ってしまうくらいにあたりまえのことが、だからこそこんなにもどこか照れくさくて、こんなにもいとおしくてたまらないのは何故だろう。
「足下に入れればいいんだよね、これって。ってことはふたりで寝てる間に挟む感じになるのかな?」
「なにかの拍子に落としちゃわないか不安なんだけど」
「じゃあ僕が一晩中、君ごとぎゅうって支えてあげる」
思わず照れくささに黙り込むこちらへと、テーブル越しに、やわらかな掌がさわさわと優しく差しのばされる。
なんだか子どもが居るみたいだね、なんてことは、もしかすればふたりとも感じたことなのかもしれないけれど、口には出さない。
すっかり夜が更けたころ、どこか手慣れない手つきで、説明書の通りに少し冷ましたお湯を入れた湯たんぽを、そろりと布団の中に迎え入れる。暗闇の中、湿った夜の空気をたっぷり吸い込んだ毛布は、触れたその先からじわじわと暖められていく。
「あったかいね」
にっこりと満足げにほほえみ、パイル地のケースをそっと撫でながら恋人は答える。
「猫の赤ちゃんでも居るみたい」
「やわらかくないのが残念だけどね」
「着ぐるみでも着せてみようか?」
くすくすと笑い合いながら、互いの足の間に挟みこむような形で優しいそのぬくもりを分け与え合う。
「ペンギンのお母さんみたいだね、こうしてると」
いとおしげに瞳を細めるようにしながら、恋人は答える。
「ほら、動物番組でたまにやってるでしょ。足の上にたまごを乗せて温めてるの」
たまごから無事に孵ったあとも、お母さんのおなかにぴったりくっついてよちよち歩きで歩く愛らしい姿は、テレビの画面や写真越しになら何度もみたことがある光景だ。
「なんかそんなこと言われたら、急にかわいく思えてきたんだけど」
「ちゃんとあたためてあげないと、ね」
笑いながら、少し熱っぽい指先でぎゅっと抱き寄せられ、こつんと額と額をくっつけるようにさせられる。
「ねえ、このままあたためて何か生まれたらどうしよっか」
「育てるしかないでしょ、そりゃ」
答えながら、しきりに指先で髪を梳いてくれる優しいその仕草にただ身をゆだねるように、ゆるやかに瞳を細める。
「楽しみだね、明日の朝」
「名前はどうしよっか、いまから考えておかないと」
ありもしない、でも、もし実現したらとそう思うだけでおだやかな気持ちを分け与えてくれるような――そんな優しい幻を抱いたまま、僕たちは抱き合いながら、ゆるやかなまどろみの縁へとゆっくりと滑り落ちていく。触れたその先から伝い合うぬくもりが肌の上だけじゃなくて、心の奥までこんなにもやさしくあたためてくれる気がするだなんてそんなこと―きっと気のせいなんかじゃないと、そう信じられるから。
「……おはよう、カイ」
鳥たちの囀るやわらかな歌声と、まだ少しだけまどろんでふちの滲んだ恋人の声が、さわさわとやわらかに耳元をくすぐってくれる。
カーテンの隙間から差し込む光に照らし出された優しい表情はほかのどんな時に見るそれよりもずっと無防備で、どこか無垢な輝きを身に纏っているようにみえる。
これから先、何百回、何千回と幾度となく繰り返しみることになったって、きっと僕だけが目にすることが出来るこの表情がいちばんかわいくていとおしくてたまらないと、そう言い切れるのは確かだ。
「……おはよう」
くぐもった声でそう呼びかけながら、いつもそうするようにぎゅっと抱きしめ合う。身を寄せ合って眠る足下には、少しだけぬるくなったぬくもりの在処がこてんと携えられたままだ。
「……たまご」
「どうしたの?」
髪をなぞってくれる優しい手つきにうっとりと瞳を細めながら、僕は答える。
「生まれなかったね、やっぱり」
しばしばそうするように、パジャマの布地越しに頭をすり寄せ、ゆるゆると鎖骨を食むようにしながらくぐもった声でそう囁けば、耳元にはくすくすと優しい笑い声が降り注ぐ。
「あたため方が足りなかったのかもね」
「おかあさん失格だね」
「おとうさんじゃないの?」
「……どっちでもいいよ」
もぞもぞと答えながら、足下でまだ僅かなぬくもりを宿した、孵るはずもないたまごのぬくもりにすがるような心地で、毛布の下でぎゅっと足を絡め合うようにする。
「あんまりあったかいと……起きられないね」
触れた肌越しにしきりに吐息を吹きかけるようにしながら囁けば、少しだけ熱の余韻を宿したようなまなざしでじいっと見つめ返されながら、やわらかに言葉が告げられる。
「寝坊ばっかりしてるおとうさんじゃ笑われちゃうよ」
「まだなんにも孵ってないのに?」
「きょうはだめだったけど、明日にはそうじゃないかもしれないでしょ?」
とんとんとあやすように背中をなぞられれば、うんと穏やかで優しいその手つきに、心ごとぎゅっと抱きしめられたかのような心地を味わう。
こんなにもあたたかい。こんなにもやさしい。こんなにもひとりとひとりだ。そのことをこんなにも知っているから、ますます離れられない。
カバーがあるんだよと、とそう告げられたのは、朝食のトーストに手をつけながらのことだった。
「カバーがね、たくさん出てるんだよ。サイズがちょうど合うかわからないけれど……ぬいぐるみ型だってたくさんあるんだよ。せっかくならもっとかわいいのにしてみる? それこそほら、ペンギンとか」
「うーん」
オレンジジュースのグラスを手に、大げさに首を傾げるようにしながら返す言葉はこうだ。
「悪くないんだけど、なんかつまんないっていうか……なんていうか、なにが生まれるかわからないたまごのままのほうが、想像の余地があるからおもしろいよね」
「君らしいね」
「褒めてくれたって、そう思っていいんだよね?」
笑いながら、フォークの先に突き刺したレタスとレーズンをそうっと口へと運ぶ。
ありもしないおとぎ話みたいな空想を、それでも信じてみたいとそう思わせてくれる。こんな時間はいつでも、どうしようもなくいとおしくて。
身を寄せ合って孵らないたまごをあたためあって、凍えそうな夜をいくつも越えて。そんな風にして僕たちの日々は、これからも滞りなく続いていくのだ。
マーティンと海吏がお布団にゆたんぽいれてぬくぬくするお話書きたいな。和のアイテムで和んでるからアンソロに参加できないかな、と思って投稿させて頂いたものでした。
恐らくわたしの書いているお話にはふだんなら辿りついて頂けないであろう方にたくさん読んで頂けてコメントなども頂けて、とってもうれしかったです。
前回からWEBアンソロジーという形になり、アンソロ作品と当日頒布される本がリンクされる…という形式を取られる方が多かったので販促のつもりで(笑)番外編にしてみました。
結局当日からいままでに「アンソロの~」って声をかけてもらうことが無かったのでもくろみが当たったのかはわからなかったのですが、頂いたコメントでいちばん印象的だったのは「えろかった」です。せ、せやな。
みなさんえろいBLに優しいコメントありがとうございます。天使かな!
この子たちはまた気が向き次第書いて行きたいです。読んでくださってありがとうございました。
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