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調弦、午前三時

小説と各種お知らせなど。スパム対策のためコメント欄は閉じております。なにかありましたら拍手から。

くすむ痛み

第四回季刊ヘキワンデイライティング企画に参加します。
お題:「傷痕」

ほどけない体温より、周くんと忍のお話。じゃっかんえろいかもしれない。







『半分空いた』ベッドの空白を埋める相手が、傍らで眠っている。
 規則正しく漏らされるくぐもった吐息に合わせるように、ゆらりと身じろぎする体は無防備にこちらへと預けられる。
 手をのばしてやろうか――肌をつたうぬくもりをまえに、いまさらのように息をのんで戸惑っている自分のことを心底おろかだと思う。いつだってこんな風に隣に居てくれる相手のことを、こんなにもそばに居るはずなのに、時折どうしようもなく遠く感じるのはなぜだろう。

――ンんッ」

 さらりと、首筋の上を滑り落ちる髪が揺れるその隙間から、かすかに赤く火照った痣が見え隠れする。ああ、またか。気遣っているつもりでも、衝動のまま引き寄せるそのうちにいつしか忘れてしまう。
「忍、」
 うんと力なく呟くようにしながらささやかな傷の痕を指先でそうっとなぞりあげれば、触れたその先からちくりと針の先でつかれたような、鈍い痛みの錯覚を覚える。
 こんな風に、痕を残すように肌の上をつたうそのたび――唇から漏らされるくぐもって濡れた吐息に、かすかに潤んだまま揺らされるまなざしに、軋むように響く胸の痛みに――ばかみたいに心ごと揺さぶられてきたことを、いまさらのように思い返す。
 傷痕はいつでも、たったひとつの目に見えるあかしだった。見える傷も、見えない傷もすべて――こんな愚かな自分のことを束の間でも受け入れてくれたしるしだなんて、いつしかそう思うようになっていたのは確かで。

 ばかだな。

 胸のうちだけでささやくようにしながら、唇をゆるく噛みしめるようにしてその場をやり過ごす。指の腹を這わせるようにしてそっと触れた瞼はまだかすかに赤く火照って腫らされたままだ。
 何度こんなことを繰り返してきたんだろう。これから先も、幾度となく繰り返していくんだろう。こんなこと、すこしも望んでなんかいなかったはずなのに。いつからだろう、傷つけたその痕を見つけるそのたび、裏腹にどこか後ろ暗い安堵感を噛みしめるようになっていたのは。
 ほら、やっぱりいつまで経っても変われない。いつだって自分しかかわいくないくせに、そんな自分のことすら少しも大事になんてできない。向き合うのを恐れてばかりで、わざとらしく傷つけて遠ざけては、逃げてくれることばかり考えている。
 ほんとうにいっしょにいたいと思えた相手にもそんな風にしか振る舞えないだなんて、ほんとうに底なしのばかだ。



 重ね合った頬の上を、よく見知った熱い滴がつたうのを感じた。雨だ、と思ったけれどそんなはずもなくて。それが何なのかと言えば、幾度となくあふれさせる羽目になってきた、流す必要もなかったはずの忍の涙で。
「……ごめん」
 引きはがすように距離を置いた途端、潤んだ瞳でまざまざとこちらを捉えながら漏らされるのは、すべてに濁点がついたみたいなくぐもった声で息苦しげに告げられる言葉だ。
 どうしてそんな、ばかなんじゃないか。喉の奥がつまって、息が苦しくて。期待されているはずの悪態のひとつすらついてやれないまま、しばしばそうしたように頬の上をつたう滴を指先でなぞり、舌を這わせる。やわらかくて、熱くてしょっぱい。もうすっかり見知っているのその感触に、性懲りもなくひどく打ちのめされるような心地を味わう。
「ごめん、あまね……ごめん」
 息苦しげに繰り返される言葉を無理矢理にふさぐことも出来ないまま、肌の上をまさぐる指先をはがすようにしてゆっくりと抱き起こす。促すようにくしゃくしゃになった後ろ頭をなぞりあげてやれば、熱い滴はぽたぽたと肌の上を伝うようにして、からっぽの胸の奥を浸していく。
「謝んなくていいから、な」
 震わされた肩を抱き寄せて、訴えかけるような心地で言葉をかける。どうしてこんな風にしか出来ないんだろう。ただ笑ってほしかっただけなのに、そばにいてほしいだけなのに。守ることよりも傷つけることのほうがずっと簡単で、そんな風に無意識のうちに試すような真似ばっかり繰り返してばかりいる。
 大切にしたいだなんて、自分なんかに言えるわけがないとそう思いこんでいた。守られていたのはいつだって、自分のほうだからだ。

 かすかに熱くなった瞼にぐっと力を込め、きつく唇を噛みしめるようにしながら周は答える。
「落ち着くまでこうしてるから、な。ごめんなほんと。謝んなくていいから」
 衝動に任せるままきつく抱きしめると、息が詰まるような心地を味わう。こうしているのが正解かどうかなんてわからない。それでも、離れることなんて考えられない。きっといまこの手を離してしまえば、一生後悔するに決まっているから。
「ありがとう――あまね、あまね……」
「こっちだろ、んなの」
 息苦しげに吐き出すように答えながら、子どもをあやすようにとんとんと繰り返し背中をなぞりあげる。布地越しに息づく素肌の感触に、めまいがするようないとおしさがせり上がっては息も出来なくなるような心地を味わう。
「あとでタオルとってきてやるから、それでいい?」
――ん、」
 答え終わるのと同時に、離れていくのを恐れるかのように、ぐっと背中に回した腕の力を強められる。触れあった肩はその間も、ぽたぽたと止めどなくあふれる滴によって濡らされていく。
「もうちょっとだけこうしてたほうがいい?」
「……うん」
「いっしょにいていい? このまんま」
「……なんで」
 ぐずぐずに濡れた声で告げられる言葉に、息苦しさが募る。だって、こんなのぜんぶ自分のせいだ。こうしてることだって自己満足に過ぎないことくらい知っているから。言葉にならない想いを飲み込むこちらを前に、ぶざまに震わされた言葉が紡がれる。
「だってここ、周ん家じゃん。なんで行くの。どこ行くの。連れて帰ってきてくれたのだって周じゃん。だったらもうどこも行かないって言ってよ」
「……ごめん、」
「周はさぁ」
 濁点にまみれぐずぐずに震わされた、切実なまでに胸に突き刺さるような響きをたたえた声で言葉は続く。
「俺が周といたいっていうのもぜんぶ俺のわがままじゃん。でもさ、そゆのだってちゃんと言わなきゃわかんないよね? 俺だって言わないでわかってほしいなんて想ってないよ。だからちゃんと言うから、最後まで言うから――それで、周がどうしてもやだったらそれでいから、」
 子どもみたいに泣きはらした瞳で、それでもまっすぐに捉えるようにきつくこちらを見つめながら、忍は答える。
「迷惑ばっかかけてごめん、ほんとに。でも離れたくない。周にいてほしい。周がどっか行くなんてやだ。周とずっといる」
 何よりも望んでいたはずの言葉は、こんなにもあっさりといちばんに求めていた相手から差し出される。
「忍――、」
 ぎゅうぎゅうと押し寄せる気持ちの波につぶされそうになるのを感じながらきつく引き寄せ、くしゃくしゃの頭をなぞりあげる。
 軋む胸を詰まらせるばかりのあまやかな息苦しさに、めまいがしそうなほどだ。
 手放せるわけあるはずなんてないことくらいとっくに知っていたのに、それなのに――ほんとうに、ほんとうにばかだ。
「ありがとう。――ありがとう、ほんとうに」
 ほら、ちゃんと言える。なにも恐くなんてない。なんにも恐れなくたっていい。唇を噛みしめるようにしながら、心の奥底に眠る言葉をたぐり寄せる。
「いっしょにいるよ、ずっと。おまえにいてほしいからだよ。どこにもいかないでほしい。離れないでいてほしい。もしまたどっかに行ってもちゃんと連れ帰しにいくから、やだって行っても絶対そうするから、だから――」
 だからこんな自分のことを、赦してほしい。喉元までせり上がった言葉をぐっと深く飲み込むようにして、ふかぶかと息を吐き出す。
――ありがとう、好きだよ」
 誰も好きになんてなれないと思っていた、そんなこと、ふさわしくないと思っていた。それなのに――こんなにも手放したくない誰かに出会えるなんて、ずっと思っていなかった。
「あまね……、」
 ためらいながら、濡れた瞼のふちにかすめるようにそっと口づける。何も残らない、残せないのを知っている。それでもこの気持ちを留めるすべなんて、ほかにひとつも見つけられないから。
 鈍く軋んだ胸の奥が痛んで、息苦しさがせり上がっていく。わなわなと震わせた掌にぐっと力を込めるようにして骨が軋むくらいにきつく抱き留めながら、濡れた吐息を深く吐き出す。
 ほら、こんなにも苦しい。でもきっと、目の前の相手のほうがこんな自分なんかよりもずっと傷ついている。
 指先がわなわなと無様に震えて、瞼の奥はぐらぐらと熱に揺さぶられる。肌をつたってつたわる熱さはこんなにも確かなのに、少しもこちらを溶かしてなんかくれない。でも、それで構わない。溶けだして形を失ってなんてしまわないから、こんな風にそばにいられる。
「……あのさ、周」
「どした」
 ゆるやかに髪をなぞりあげながら尋ねれば、力なく震わされた声で紡がれる言葉はこうだ。
「周、明日の朝さ、起きてもちゃんといるよね。俺が知らないうちにどっか行ったりとかしないよね?」
「……行くわけないだろ」
「朝ごはん一緒に食べよ、ね」
「いいよ。あたりまえだろ、んなの」
 くしゃくしゃと髪をなぞりながら、空いた片方の掌をシーツの上に力なく縫い止められたそれへと差し伸ばす。ひんやりと冷えてひどく震えたその感触を前にした途端、息苦しいほどのいとおしさに襲われるのを抑えきれない。


 泣きはらした瞳をして身じろぎをして見せる姿を前に、もう何度目かわからないため息を深々と吐き出す。
 体の奥が熱の余韻に揺さぶられて、いまにも溶け出しそうで、鉛をいれられたみたいにぐらりと重くて――それなのに、目を離すことなんて少しも出来ない。いっそのことずっとこのまま朝まで居られたらいいのにだなんて思うのに、意志に反するように瞼はぐらりと重くなるばかりだ。

 言ったもんな、どこにもいかないって

 胸の内でだけそうっと吐き出しながら、かすかに赤く火照った痣のうえを指先でなぞる。胸を突き刺す鈍くくすんだこんな痛みすら心地よく感じるのだから、ほんとうに不思議だ。
 見える傷がここにある。でもそれ以上にずっと深い場所に、無数の見えない傷がいくつもあふれている。それを残すことを望んだのが自分自身だなんてことを、周はとっくの昔に知っている。

 見える傷も、見えない傷も、すべて自分のものならいいと思った。
 傷を残したのが自分なら、そこに寄り添えるのも自分であればいい。そんな風にして、これから先もずっと共にいられればいい。こうしてそばにいることを赦してほしい。それ以上望むことなんて、あるわけもなかった。

 忍、
 
 祈るような心地でかすかにそう呟きながら、ぐらりと重くなった瞼をゆるやかに閉じる。
 目を覚ましたその先でもまたこんな風にそばにいてくれるのを知っている。これからの先にずっと、ふたりで辿れる確かな場所がある。
 だからいまはもう、このままで。

 胸の奥で、見えない傷が鈍く痛む。



 触れられぬ痛みのふちをなぞる指 にじみを残す肌のぬくもり







不親切で申し訳ないなーとは思いつつどうしてもこれしかねたが浮かばなくてですね…。 周くんが本編で「帰ったらちゃんとぜんぶ話す」と言ってたこと。

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