携帯の家族割のCMが昔から苦手だった。「家族」だなんて薄っぺらなものに割引制度だなんて付加価値をつけようとするだなんて心底ナンセンスだ。そもそも、携帯電話なんてパーソナルな物だっていうのに。
「むかしっからそういう変なとこが神経質なんだよな、おまえって」
「悪かったな」
わざとらしく顔をしかめて答えてやれば、やわらかに打ち消すように、屈託のない笑顔が届けられる。
「謝んないでいいじゃん、おかしいって言ってるわけじゃないんだし」
得意げな口ぶりを前に、ぶざまに心はかき混ぜられる。
「だいたいさぁ」
たっぷりとチリソースをまぶすようにしたオニオンフライを乱暴に口へと放り込むさなか、雪哉は答える。
「昔っていつだよそれ。おまえの基準はどうなってんだ」
「三ヶ月も経てば『むかし』かな?」
「じゃあ十年前とかってどうなんの、おまえの中で」
「白亜紀」
しれっと涼しげに答えてみせる姿を前に、ジンジャーエールの氷をがりがりとかみ砕くことでぶざまにその場をやり過ごす。
高校二年のクラス替えの後、担任の意向により、出席番号順ではなく最初からシャッフルで決められた席順により、隣同士になったこと。
そんな、吐いて捨てるほどあふれているようなありふれたきっかけを元に、崇路(たかみち)と雪哉(ゆきなり)はこうしてしばしば帰り道をともにするような関係性に落ち着いている。
それにしたって、たかだか半年にも満たないともに過ごした時間のどこに「むかし」があるのだろう。笑い飛ばしてみたくもなるけれど、さもあたりまえのように答える姿を見ていたら、そんなつまらないことにいちいちつまづかずにいられない自分がいつしか惨めになってくるからもちろん言わない。
たぶん雪哉は崇路と出会うずっと「むかし」からこうで、それはきっと、これから先も変わらない。大切なことは、目の前の相手がそれをひとかけらもばかにするつもりなんてないまま、やわらかに受け流そうとしてくれていることと、そんな性分を嫌いではないところ。
「まーでもさぁ、わかんなくもないけど」
けばけばしく目に突き刺さる、歯が溶けそうに甘い人工の緑に着色されたメロンソーダを吸い上げながら、崇路は答える。
「割引きってさ、なんかいまどこでもついてまわんじゃん。ああいうのってなんか、縛られてるみたいでやだなって」
ほらこういうのもさ。崇路がそういって目の前へと見せてくるのは、スマホの画面いっぱいに縦横無尽に並ぶ、カラフルなアプリのアイコンだ。
「服屋でも飯屋でもさ、いまってなにかといやアプリアプリじゃん。ちょっと前のポイントカードの進化系みたいな? 載せられてまいっかっていっぺんダウンロードしちゃうといちいち通知してくんのな、よけいなお節介だっつうのに」
「必死なんだよそんだけ」
そりゃあまぁ、差額ぶんの元を取るにはそれだけ金を落としてもらわなければ割に合わないのだから。
「なんかさぁ、目先のいくらかで魂売り渡してる感?」
「……おおげさだな」
「ちょっと盛るくらいがいんだって、こういうのは」
同意する気はないまま、油っぽくなった指先をぐりぐりと紙ナプキンで拭う姿をぼんやりと眺める。
「話戻すけどさー」
がじがじ、と音でも立てそうにストローにかじりつきながら、崇路は答える。
「家族とかパートナーとかペアとか、そういう単位でなんでもはかろうってすんのってどうなんって思わん」
「――はぁ」
「おまえの言ってたのってそういう話じゃないの」
拍子ぬけした、とでも言いたげににぶく笑いながら、目の前の男は続ける。
「俺だってべつにそんなさ、なんでも否定するわけじゃないよ。でもさー、ようはそうやってひとまとめの単位になってくれた方が儲かるからってことなんじゃねえのって考えない? 群れてんのがそんなえらいかよー、みたいな」
「……女いないと半人前以下、みたいな?」
「そーそー、童貞捨てた自慢とかな。ほんっとくだんねえ」
自分でもどうかと思ったのに。低レベルな具体例を前に、くしゃくしゃに瞳を細めて答えてくれるその姿を前に否応なしに心はゆるむ。よかった、これでもかろうじて「正解」だったらしい。
「ま、わからんくもないけど」
ぼそり、と消え入りそうにかすかな声で、目の前の男はつぶやく。
「なにおまえ、いつのまに」
「早とちりすんじゃねえよ、ちげえっつうの」
こつんと、テーブル越しに差し伸ばした指先でこづくようにしながら、崇路は続ける。
「なんていうか、焦んない? 会ってないだけとか、そういうのって言われても慰めにならんし」
「悪かったな、男で」
「んなつもりで言ってんじゃねえよ」
軽口を交えながら真っ赤なチリソースのついた指先を舐め取る仕草を、ぼんやりと眺める。
辛いものはあまり得意ではなかったはずなのに、崇路の真似をするようにオニオンフライにたっぷりのチリソースをまぶして口にした途端、それがどうやら思いこみの固定概念だったことに気づかされたことをふと思い返す。
「こうだから」「こうのはずだから」そうやって決めつけて型にはめているようなことがきっと、これから先もいくらでもあるのだ。
ごくり、と気づかれないようにそっと息を飲み、テーブルの下に隠すようにした手の中にそうっと爪を立てるこちらを前に、崇路は続ける。
「てかさ、こないだの公民の授業あったじゃん?」
「……いきなり飛ぶな」
「続きがあんだってば。ね?」
怪訝そうに顔をしかめてみせるこちらを前に、言葉は続く。
「あたらしい法律を作るならーってグループワークあったじゃん。待機児童問題をーとか、残業時間をーとか、非正規雇用の問題をーとか教育改革をーとか、なんかみんなすっげまじめにらしいこと言っちゃってさぁ。清川が『シエスタ制度導入』って言い出した時は古沢もなんだよそれって笑ってたけど、内心ほっとしてたぽいじゃん。あいつさ、すげえ絶妙に空気読むよな」
授業の一幕のことは、当然雪哉もおぼえていた。確か自分はなんて言ったろうか―最低賃金を千三百円に一律引き上げプラス、通勤交通費の全額保証を法制度で定めるとかそんな? わあ、なんてくだらない。もうはや模範解答ですらない。
「でさ、俺もいちおう考えてなかったわけじゃないんだけど、なんかこう空気的に? 言いづらくて」
ほんの一瞬だけわずかに視線を揺らすようにした後、告げられる「法案」のアイデアはこうだ。
「みんなさ、死んだらたいていは自分家の先祖代々の墓に入るわけじゃん? そういうんじゃなくて、死んだあとにいっしょに墓に入りたい相手みたいなんがいたら決めておけないかなって思ったわけ。夫婦とか恋人とかそういうのじゃなくても、こいつがいいって決めてた相手と」
「……えっ」
思わずかすかに顔をしかめて見せるこちらを前に、予想していた、とでも言いたげな力ない苦笑いが返される。
違う、そうじゃなくて。気の利いた言葉ひとつもかけてやれず、わずかに指先をひきつらせるこちらを前に、いつも通りのあの、やわらかに跳ね返すような笑顔を交えて紡がれる返答はこうだ。
「俺だってさ、無縁仏になる予定があるわけじゃないよ。おやじとかお袋にはんなこと言えないし、抵抗がーってわけでもないし。なんていうの? 可能性の話、みたいな」
「死んだあとのことなのに?」
「生きてるうちじゃねえと決めらんないじゃん」
ちいさく首を横に振り、崇路は答える。
「なんかさぁ、はじめから『こうだから』って決まってんのってどうなんかなって思ったわけ。家族ってそんな絶対なもん? 抜けちゃいけないもん? そういうのいったんちゃらにしてさ、生きてるうちに『じゃあ今度は墓の下で』って言い合えるってよくないって。それがなんかしらの契約上の関係じゃなきゃいけないって、決める必要なくねって思って」
家族という見えない檻は携帯電話会社の契約だなんて制度問題にとどまらず、命を終えた後にもつきまとうのだ。(前者に関してはまだ選択の余地があるのだから、並列に並べるのはどうかとは思うけれど)
「崇路はさ――、」
歯の先でそうっとオニオンリングの衣をはがすようにしながら、喉の奥でつかえた思いを映し出してくれるとっておきの言葉を探す。
どうして、いま、なんで。
そんなこと、問いただしてどうするつもりなんだろう。大切にしなければいけないのはきっと、それを打ち明けたいと思ってくれた気持ちそのもののほうのはずで。
「なんていうか……計画的だよな」
自分でもどうかと思うようなぶざまな答えを前に、それでも笑いかけてくれるその姿にわずかに胸はきしむ音を立てる。ああよかった、これでもなにか、望んだものに近いものを手渡せたらしい。
「だろう?」
得意げに笑いながら、残りもうんと少なくなった、すっかり薄まったメロンソーダを吸い上げる姿をぼんやりと眺める。
「寂しいなって思うわけですよ、俺は」
がりがりと音を立てて氷を噛みながら、崇路は続ける。
「家族になってなきゃさ、法律上はみいんな他人なわけじゃん。そこにどんな絆があろうが線はきっちり引かれてて、それ以上でも以下でもなくて。じゃあ誰とでも結婚出来るようになったらみいんな解決するとは思わないわけね、俺は。みんなひとりで、みんな自由。でもみんなにちゃんと選ぶ権利はある。そういう仕組みが墓ひとつにでもなんかしらありゃさ、死んだあとに希望もあるんでないかと」
「……まぁ」
「かっこいいしょ、たまには」
口の端にチリソースをつけたままの間抜けな姿で、それでも得意げに瞳を細めて笑う姿を前に、どこかいつくしみにも似たなにかがこみ上げてくるのは、仕方のないことのように思えて。
「――この流れってさぁ」
すこし水っぽくなったジンジャーエールにさしたストローをぐるりとかき混ぜ、茶化すようにわざとらしく明るい口ぶりをたたえながら、雪哉は答える。
「じゃあよろしく頼むわって、そういうの?」
いつものあの屈託のない笑い顔と共に返されるのは、おおよそ予想通りの返答で。
「まぁそうと見せかけて―みたいな?」
「……思わせぶりだな」
「いやほら、思いつきだしね? まあさ、おまえなら話していいかなって思ったってのはあんだけど。なんかさ、なんていやいいのかな、こういうの」
もどかしげに首を揺らしてみせるその姿を前に、ちくりと胸にちいさな棘が突き刺さるのを感じる。ほら、抜くならいまのうちだ。いまのうちに気づいていれば、これ以上育つこともないから。
気をそらすように耳を傾けた店内BGMでは誰か名前も知らない外国の歌手が歌う、世界一偉大なイギリス出身のロックバンドのカヴァーソングが延々と流れている。
「……アクロスザユニヴァース」
「ん、どした」
ぽつ、と独り言めいた頼りない響きで吐き出した言葉を前に、目の前の男はわずかに首を傾げて見せる。そりゃそうだ、いきなり言われたって。ぎこちなく笑い顔を作るようにしながら、雪哉は続ける。
「いやほら、この曲。ビートルズって別にそんな詳しくないけど、よく聞くから」
なにも僕の世界を変えようとしない
なにも僕の世界を変えようとしない
どこか切なげなメロディと共に、繰り返し繰り返しのフレーズは訴えかけるような切実な響きをたたえて回り続ける。
この歌がジョンレノンが一時期かぶれていた神様に捧げられた思想の歌だ、なんてことはどうだって構わない。問題は、繰り返されるこのフレーズの奥に頼りないあきらめと、そこにとどまることを恐れるような何かを見いださずにいられないのだということで。
なにも僕の世界を変えようとしない
なにも僕の世界を変えようとしない
その頃の彼の信じていた「神様」へ捧げるように、リフレインは折り重なる。そう言い聞かせれば確かなものになるのだとでも言いたげに力強く、どこか儚く。
(変えてほしい、気づいてほしい。ここにいることを見つけてほしい)
繰り返し繰り返し、訴えかけるように切々とメロディに乗せて紡がれる言葉に、そのものの持つ意味とは裏腹の暗示めいた切実さを感じ取ってしまうだなんて、そんなこと。いっそ口に出して伝えてしまえたら、すこしは身軽になれるのかもしれないけど。
わざとらしく大きく息を吐くようにした後、雪哉は答える。
「なんかさ、改めて聞くと寂しい歌なんだなって思って」
どうしてそんなこと、でも―ぎこちなさにぶざまに視線を揺らすこちらを前に、視線の先にいる相手が導き出す答えはこうだ。
「まぁあれだよ、寂しくないやつは歌わないんじゃん?」
「あぁー……、」
からっぽの胸の奥で、ひゅう、とすきま風が音を立てるのが聞こえる。
「誰も寂しくなくなったら歌ってなくなんのかな、だったら」
「まぁんなことありえねえからな、ある意味安泰だわ」
もごもごと動かす口の奥で、チリソースのピリピリした刺激が鈍く痛むようにこちらを突き刺してくるのに身を任せる。
なにも僕の世界を変えることは出来ない
なにも僕の世界を変えることは出来ない
繰り返されるフレーズは彼の神様に捧げられるまま、ゆっくりと遠ざかって消えていく。
なにかあったから? それとも、何もないから? ただ何もなくとも、「理由」を求められ続けることに疲れたから?
あぶくのように立ち上って消えていくばかりの言葉は、胸の奥できしんではわずかにこちらへと爪を立て、鈍い痛みを幾度となく刻みつけていく。忘れないようにと、なにか切実な祈りを投げかけるかのように。
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