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調弦、午前三時

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Day dream wonder.

ほどけない体温
周くんと忍を繋ぐ気持ちのありかについてのお話

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 ここにいる、だなんてあたりまえの現実を時折夢のように不確かで穏やかに感じられるのは、夢を繋いで見せてくれるかのようなあたたかさがこちらへと差し出されているからに違いないのだけれど。


 目を覚ます瞬間はいつも、抜け出た魂がするりと降りてくるような不可思議なおだやかさに襲われる。
 手から離れて空の上に昇っていった風船がいつしか舞い戻るような――とでも言えばいいのだろうか。
 心許なさとおだやかさ、その両方にくるまれていくのを感じながら軽いみじろぎをしたその途端、くぐもった視界が捉えるのよりも先に身体が感じるのは、よく見知った相手ひとりぶんの気配だ。
「おはよ周、喉乾いてない? なんかいるもんある?」
 いまだ落ちかけたまぶたをぱちぱちと、しばたかせたその先には、部屋着に着替えてすっかり慣れた様子でくつろぐ恋人の姿。
「ごめん……」
「いいよ、別に。疲れてたんでしょ」
 仕事用の資料をあれこれと読み込んだのち、忍がくる夕方までのあいだにすこしだけ仮眠を取るつもりだった。確かSiriにもその旨は伝えて眠りについたそのつもりだったけれど――枕の下で、電子アシスタントは画面を暗転させたきり、沈黙を守る。
 やっぱり手の届く場所に置くもんじゃないな、これは。おおかた、無意識のうちにアラームを落としたのであろうことは予想がつくのだけれど。
 おそらく寝癖がついているのであろう髪をふわり、と指先でなぞりながら、忍は答える。
「ご飯出来てるよ、シチューだからあとあっためるだけ。あと、DVD借りてきた。周がみたいって言ってたの」
「あんがと、わざわざ」
「いいじゃん、きょうの当番俺だし。うるさかったんならごめんね。なんかすることあった? ほかに」
「いいよ……」
 ぶっきらぼうに答えながら、ぶん、とかぶりを振る。

 特別に頼むようなことがない限り、互いの部屋では食事の支度以外の家事労働を行わないことはふたりの間でいつしか定められていたローカルルールのひとつだ。
 それぞれに独立して暮らしているのだから、貸しを作るようなことはお互いにしない。――これがいつかふたりで暮らすようになればまた、話も違ってはくるのだろうけれど。
「おまえさぁ」
 毛布からはみ出させた掌でくしゃくしゃと髪をなぞりながら、周は尋ねる。
「ただいまって言った? きょう」
「……どしたの、それが」
 子どもみたいな素直さだけをまぁるく溶かした瞳でじいっとこちらを見つめるまなざしをまえに、周は続ける。
「や、なんか。夢かなって思ってたから」
 くぐもった意識がからめ取られて沈んでいくさなかに過ぎった、いくつもの気配。
 鍵の開く音と、いつもの「ただいま」の声――ここは周の部屋のはずなのに、あたりまえみたいに――かすかに髪をなぞってくれた指先の冷たさ、台所から聞こえた水音。
 まどろみながらかすかに感じていた、「周のため」に忍のしてくれたことぜんぶは、夢や幻なんかじゃなかった。
「どしたの周、かわいい」
「……仕方ないだろ」
 寝起きなんだからそのくらいは。もぞもぞと喉の奥だけでつぶやきながら身体を起こそうとしたところを、ずさり、と毛布の上から覆い被さるようにされる。
 重い、けれどすこしもいやじゃない。
「だいじょぶだよ周、寝てるあいだに変なこととかしてないからね」
「しようとしてんだろ、いま」
 至近距離へと近づいたきれいなアーモンド形の瞳が、ぱちぱち、とゆっくりと思わせぶりなまばたきをしてみせる。こうして間近で見ていると、まっすぐにすとんと落ちたまつげが震えて影を落とす様がきれいだなんてことに、いまさらのように気づく。
「やっぱり襲っとけばよかったかー」
 無邪気に笑いかけながら、熱くなった頬を掌で包み込むようにして触れられるのに身をまかせる。こうしているといちいち新鮮にどきどきするあたり、ばかだなぁと思う。だからこそ、こんな風にたびたび遊ばれているのは確かなのだけれど。
「周きょうさ、ちゃんと疲れとれた? 俺、じゃましてなかった?」
「おう」
 いちいち塩らしく尋ねてくるのがかわいいので、いいこいいこをするように髪をくしゃくしゃになぞってやる。
「ちゃんといっぱい遊んでやるから。そのまえにめし、な?」
 満面の笑みで答える姿をまえに、ついばむみたいに淡く口づけて答える。


 こういうのをなんて言ったろうか。確かずっと昔にもどこかで目にしたことがあるような気がするのだけれど――。
 色違いで二枚揃えた薄手のブランケットにくるまりながらエンドロールを眺める傍ら、周の頭の中をぐるぐると回り続けるのは先ほどまで画面の中で繰り広げられていた物語とはすとんと切り離されたそんな感慨だった。
「おもしろかったね」
 すこし感傷的にも聞こえるピアノの音色とあまやかに囁くような歌声で彩られる終幕をまえに、すり、とブランケット越しに腕をさすられる。誘われるままに視線を落としたその先で、やわらかにこちらをくるむようなぬくもりを溶かしたまなざしが周をじっと見つめてくれている。
 音もなく擦り寄せられた身体からつたうぬくもりに、息を詰まらされる。すこし長めの髪のやわらかさ、きれいな弧を描くまなざし、きまぐれにあまえてくる態度――恋人のなにげない仕草や態度は時折、おおきな猫に寄り添われているような心地を周に伝えてくれる。
「ね、どしたの周」
 上目遣いにこちらをじっと見入るまなざしをまえに、静かにぶん、とかぶりを振り、周は答える。
「――いや、なんていうか。その」
 すっかり見覚えのある役者たちの名前は過ぎ去り、あとは数多く連ねられるスタッフばかりの名前が連綿と続くエンドロールを映し出すちりちりと光る画面に視線を落としたまま、周は答える。
 ああ、思い出した。あれだ。
「むかし本で読んだの、思い出して。ほら、スヌーピーってあんじゃん。ピーナッツってまんがのほう。あの本さ、うちの近くの出張図書館にいっぱいあったからよく読んでて、子どものころ」
 キャラクターグッズでよく見かけるおなじみのころころと丸い絵柄とシンプルな描線でつづられた物語は、一見かわいらしい絵柄とは裏腹に、どこか皮肉めいてつかみ所のなさを感じさせるものばかりだったけれど。
「チャーリーブラウンが言うんだよ。安心は車の後部座席で安心して眠れることだって。どういう意味かって、そん時はまだちゃんとわかんなかったけど」
 家族でどこかに「おでかけ」に出る時、子どもだった周の指定席はいつも、車の後部座席だった。
 遠出をした帰り道、家に着く頃には起こしてくれるという両親の言葉にあまえて、ひとりっこだった周はいつも後部座席を余すことなく占領するような形で眠りにつきながら家路へと着いた。
 かすかに伝わる振動の不揃いなリズム、うっすらかかっていたBGMと両親の話し声、とろんと肌の上になめらかに溶ける毛布の感触。
『子ども』であることをあたりまえのように受け止めて甘えられていた、守られていたあの時間には確かに、二度と戻らないささやかで確かな幸福があったのだ。
「きょう、寝てる時。ひとりだけどなんか、そうじゃない感じがして――なんでだろ、夢かなって思って。でも、起きたらおまえいたじゃん。ああそっかって、なんかすごい安心して――なんかさ、懐かしいなって思って。なんでそう感じるんだろって、よくわかんなかったんだけど」
 忍の差し出してくれるささやかなぬくもりは、とうの昔に過ぎ去った時間に感じた「それ」とどこかよく似ているだなんてことに、いまさらのように気づいたのだ。
「……周」
 確かめ合うように視線を重ね合わせながら、毛布の下できつく手を繋ぐ。骨ばった指と指を結びあう感触を、そこに潜められたぬくもりのありかを、この手はもうずっとまえから知っている。




 繭にくるまれるような感覚の中で、薄い暗がりで目を覚ます。いま何時だろう、目覚ましは――かけていなかった、まぁいいだろうと思って。
 いまだ半分落ち掛けたまぶたをこすりながらピントを合わせていくそのうちに、眠りにつく前には空だったはずの向かい側のベッドがいつの間にか埋まっていることに、いまさらのように気づく。
「あまね、おはよ」
 もぞり、と身じろぎをしながら、すこしかすれた声でいつものように声をかけられる。
「お風呂洗ってあるからね。洗濯は……ごめん、干したまんまだ。畳むの、いっしょにしてもらっていい?」
「……いいけど」
 まだすこしひきつってぎこちない指先をする、と差しのばし、流れ落ちる髪を指先で掬うようにしながら、周は尋ねる。
「いつ帰ってたの? おまえ」
「んとねえ、四時くらい?」
 友達と会う、と昼前に出て行ったのを見送ったところまでは覚えているのだけれど。
「帰ってさ、周いるかなって思ったけどいないじゃん。あ、寝てんのかなって思ったらそだったからさ。寝顔、かわいいから見てたかったんだけど、なんかそやってるうちに俺もちょっと眠いなってなって――」
 寝起きのすこしかすれてくぐもった声の頼りなさは、さわさわと鼓膜をくすぐるようにやさしい。
 手を伸ばそうか、それとも――かすかなこちらの迷いを見抜いたかのように、毛布越しに伸ばされた掌は、確かめるようにきつく周を抱き寄せる。 
「あったかいね、周」
 そっちだって、という言葉を飲み込んで、ゆだねるようにしながら瞳を細め、するりと腕をまきつけるようにしながら周は答える。
「めし、そろそろ支度するから。寝てたいならいいから」
「いいよ、俺もちゃんと手伝うから。だからいっしょに起きよ、ね?」
 やわらかにくぐもったささやき声が、胸のうちで淡く溶ける。

 いつかすこし前にもこんな時間が通り過ぎていったことを、ふいに周は思い出す。ああ、あの時はまだ、この部屋に住むようになるまえだ――
 忍が差し出してくれる思いのかけらひとつひとつがいつも、周のとっておきの『安心』であることはあの頃からすこしも変わりはしない。
 夢みたいにおだやかで、夢みたいにぬくもりに満ちていて、それでいて――夢にはとうていなしえないだけの確かなものが、こんなにも満ちあふれている。
 忍の腕の中はいつも、希望のにおいで満ちている。





「安心は車の後部座席でなんの心配もなく眠れること」
 安心とは何か、と尋ねられたチャーリー・ブラウンがペパーミントパティに告げた言葉がそれだ。

「ずっとまえにも話したじゃん、それ」
 おぼえてる? と尋ねれば、くらがりの中、こく、とちいさく頷いてくれる。
「うろ覚えだったから、なんだっけってあれからちょっとして確認したんだけど……。その後でチャーリーブラウンは言うんだよ、『でも君はある日とつぜん大人になる、もう君は二度と後部座席で眠ることはできなくなるんだ』って」
「うわぁ」
 悲鳴みたいなささやき声に、思わずくすりとちいさく笑う。
「ようしゃなくないそれ? まぁそうなんだけどさぁ」
「ほんと、読み返したらびっくりして」
 不安にかられたペパーミントパティがチャーリーブラウンの手をしっかと握りしめるカットで、コミックスは終わっている。
「でもさ、おかしなことがあって」
 する、と髪をなぞりながらささやくように淡く告げる言葉はこうだ。
「ネットの情報のあっちこちで、原文にない言葉がその先に足されてて」

君が前の席にいかなきゃならなくなるんだよ。そしてもういない両親の代わりに、君が誰かを安心させる側になるんだ。

「ちゃんと読めばわかるはずなのに、いつの間にか誰かが付け足した言葉がほんとうみたいに広まってて。作者にしたらさ、なんだよそれって話じゃん。でもなんか、はじめに言い出した誰かの気持ちもわかんなくないよなって思って。なんかさ、いいなって」

 忍の差し出してくれる気持ちのぜんぶはいつだって、周のとっておきの「安心」の形をしていた。まるで、とうの昔に子どもでなくなった周が失ってしまったものをあますことなく手渡してくれるみたいに。

「俺もそうなんなきゃって思ってさ。なんか、いまさらなんだけど」
 はにかむように笑いながら答えれば、ぬくもりで満たされた指先がするりとこちらへと差し伸ばされ、つなぎ止めるようにきつく、周の背にからみつく。
「周はさぁ」
 いつもそうしてくれるように、上目遣いにじいっとこちらを見上げたまま、忍はささやく。
「もうじゅうぶん安心してるからいいよって俺がそう言ったら、ちゃんと信じてくれる?」
 あわく溶けていくようなささやき声を、それでもやわらかく遮るようにぶん、とかぶりを振って周は答える。
「いいけど、まだ足りない」
「足りてるか足りてないのかって、決めるのは俺だよ?」
「おまえの点付けがあまいのぐらい知ってんだよ、俺は」
 なだめるようにくしゃくしゃと頭を撫でながら、ぬるい吐息をゆらりと吐き出す。

「安心」はきっと与えられるだけのものなんかじゃなくて、差し出しあい、分かち合うものなのだろうと周は思う。
 周がほしいものは、忍とともに分かちあえたらと願わずにいられないものはきっと、そんな形をしている。
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