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調弦、午前三時

小説と各種お知らせなど。スパム対策のためコメント欄は閉じております。なにかありましたら拍手から。

ありふれた話

ジェミニとほうき星、海吏とクラスメイトの下田さんのお話。
京都文フリのペーパーからの再録です。








歩みを止めてもらう時はいつも、ほんのひと匙ばかりの勇気が必要になる。
「……下田さん」
 雑踏の行き交う廊下の端をそろりそろりと歩く姿をまえに、ちらり、と横顔をのぞきこむようにしてからおそるおそるそう声をかければ、ぴたり、と踊りを終えたオルゴール人形みたいにきれいな姿勢で足が止まる。
「ああ、カイくん。どうしたの?」
 すこしばかりの緊張を隠せないぎこちない態度をまえに、両腕にずっしりと抱えたドリルの山を指しながら僕は答える。
「それ、午後からの生物の授業の準備でしょ」
 重くないかなって思って。
 遠慮がちに尋ねれば、こちらを見上げる視線は曖昧にふわりとゆらぐ。
「準備室までだよね。はんぶん持つね」
 答えながら、目分量で半分とすこしの量を取り分けるように受け取る。



「髪の毛、」
 窓の外の様子を伺うふりをしたまま、ちらり、と視線をそよがせるようにしながら僕は答える。
「お姫様みたいだね、凝ってて」
 とたんに返されるのは、声を立てないうんと控えめな笑い声。
「どうしたの、そんなにおかしなこと言った?」
 ぎこちなく目をそらすようにしながら答えれば、そろりと音も立てずにかぶりをふるようにしながら彼女は答える。
「そうじゃなくて、らしいなって思って」
 しぐさとともに、三つ編みを編み込んだまとめ髪からはらりとほつれた後れ毛が揺れて、光に淡く透ける。
「男の子はあんまりそういうの言ってくれないから。なんていうか、慣れてるんだなって思って」
 いちばん上に積まれたドリルの、すこし折れ曲がったふちを指先でなぞるようにしながら下田さんは続ける。
「文化祭の時――、」
「カイくんが、女の子と話してるのを見て。すごくにこにこしてて、親密な感じで。あ、なんか違うなって思った。クラスの子といる時とぜんぜん違う。彼女なのかなって思ったら、りぃちゃんが「双子のお姉さん」って教えてくれて。ああそっかぁって。ちょっとほっとして、でも、ほっとしてる自分がなんかやで」
 口をつぐむこちらをまえに、ふわり、とおだやかにほほえみかけるようにしたまま、言葉の先が紡がれる。
「女の子のきょうだいがいる子ってちょっと違うよね。気負わず話しかけてくれる、みたいな。勘違いしちゃいけないってわかってるんだけど、でもうれしくて。ああそっかって」
 女の子のほうが話しやすい、と感じるのは確かだった。男相手にはどうしても、無遠慮な蔑みめいた態度を投げつけられた時間のことを思い出してしまうから。――いつまでもそこに捕らわれていても仕方ないことくらい、わかっているけれど。
「人と話すの、あんまり得意じゃないから。女の子のほうがふつうに話しかけてくれるっていうか」
「でもちゃんと答えてくれるから、やさしいよね」
「そんな、」
 くちごもりながら、手首に巻いたシュシュについた金の鎖と、そこに繋がれたパールの飾りがゆれるさまをぼうっと眺める。
「ゆうちゃんが――」
 いつものように、ゆっくりと言葉を区切るようにしながらクラスメイトの女の子は答える。
「カイくんは、一年生の一学期の時はなんだかずうっと物静かでこわばってる感じで、クラスの子とはうまく目も合わせてくれなくて――話かけちゃいけないのかなって思って。でも高垣くんと仲良くなってからだんだんそうじゃなくなったんだよって聞いて。よかったなって思ったの。いまのカイくんのほうがほんとのカイくんなんじゃないかって思ったから。そういう時におなじクラスになれて、ほんとに良かったって」
 窓から射し込む光に照らされるように、まるい頬の産毛が金色に光る。やわらかそうな髪、すこしぶかぶかなセーターがすべるまるくて華奢な肩、膝の上でさらさら揺れるスカート、かすかにたちのぼる甘い香り。
 女の子なんだな、となぜか唐突に、そんなあたりまえのことを感じる。自分なんかに心を砕いてくれた、うんとやさしい女の子。
「下田さんも」
 ごくり、と息を飲むようにしてから、僕は続ける。
「発表の時とか、ちゃんとわかりやすく説明してくれて。出れなかった時の授業の概要もすごく丁寧に教えてくれて、ノートだけじゃなくて。いつも話しかけやすい感じで、目があったらさって笑ってくれて」
「だって――、」
 くすっとかすかに笑いながら、わずかに視線を逸らされる。ああ知っている、この感じを。そしてこれから先、もう戻れないことも。
 だって知っているから、お互いに。きっとこうなるかもしれないことくらい見越した上で、あの時言葉をくれたことだって。
「……階段」
 うんとぎこちなく息を吐き出しながら、僕は答える。
「両手、ふさがってると危ないから。気をつけて」
 くろずんだ緑の段の端、すっかりくすんで傷だらけの銀の滑り止めに目線を落としたまま答えると、いつものあの笑顔が返される。
「大丈夫だよ、慣れてるから」
「油断してるといけないんだよ、人通りも多いんだし」
 答える傍らを、はしゃぎ声をあげながら足早に飛び跳ねるように駆け下りていく下級生の軍団が通り過ぎていく。
「やさしいなぁ」
答えながら、慎重に一段一段を踏みしめるように歩みを進める赤い滑り止めのゴムのついた上履きの足下をぼんやりと眺める。
なにげないそんな言葉の端に滲む感情のかけらをいくつも読みとろうとしてしまうのは、ただの思い過ごしかもしれないけれど。
「カイくんはね――」
 そろりそろりと、どこかおおげさに感じるくらいに慎重に。たどり着いてしまうのを先延ばしするかのようにゆるやかに歩みを進めながら、彼女は答える。
「あの時から私のこと、意識してるよね。時々ね、困ったみたいな顔でちらっと見てくれてるなって。困らせてるなって思ったけど、それでもうれしかったの」
 きゅっとゴムの上履きがリノリウムの床の上を滑るにぶい音が、はしゃぎ声の雑踏にまじってじわりと耳にいやに残る。
「――おかしいって思う?」
 遠慮がちな投げかけをまえに、ただかぶりを振って答えてみせる。それだけで、いまは精一杯だから。
「あのね、下田さん」
 歩幅を揃えるようにすこしペースを落として歩きながら僕は尋ねる。
「残りも持っていい? ドア、ふたりとも開けられないから」
 視線を追い越した先には、目的地である準備室のぴっちりと閉ざされたドアの姿。
「ほんとだ、考えてなかったや」
 むじゃきに笑いかけてくれる顔は、いつしか教室でいつも目にするそれと同じになっている。


 解放された両掌をそよそよと泳がせるようにして、来たはずの道をいくぶんか軽い足取りで歩く。
「ドア、どうするつもりだったの?」
「あんまり考えてなかったかも。ありがとう、ほんとうに」
 きゃしゃな肩、時代ものの映画に出てくるドレス姿のお姫様みたいなきっちり編み込まれた栗色の髪、耳朶でちらちら光る、半透明の樹脂のピアス。
 ほら、やっぱりすこしも似てなんかいない。どうしてもこの影に違う誰かの姿を映さずにいられなかった自分のおろかさに、あらがいようのない息苦しさはふいうちのように押し寄せてくる。
 こんなこと思われたって、迷惑なだけなのは知ってはいるけれど。
「ねえカイくん」
 踊り場の上にすとんと降り立ち、ひらりと翻るようにこちらを見上げながら下田さんは尋ねる。
「教室、もうそのまま帰る? だったら行ってくれる? 先に」
「え、」
 とまどいを隠せないこちらをまえに、いつもあの、どこか強気な笑顔を張り付けるようにして投げかけられるのはこんな答えだ。
「……いっしょに戻るのなんか、きまずいから。笑われるかもしれないけど、ね?」
 あの時とおなじ笑顔。答えられないとはっきり告げたその時、すこしだけ傷ついたそぶりを覆い隠すように強気に笑いかけていつものように答えてくれた、あの時とすこしも変わらない。
「下田さん、あのね」
 ほんのすこしだけのためらいを振り切るように、ゆるく笑いかけるようにしながら僕は答える。
「……ありがとう」
「なんでカイくんが言うのかな、それ」
 くすくすと屈託なく笑う声が、光の中にやわらかに包まれる。

 かけられる言葉なんてひとつしかないことくらい知っている。それ以上のものを望まれていないことも、きっとこの先だって応えられないことも。
 けれど、それでかまわないと言ってくれた。その気持ちにこんなにも救われているのは、まぎれもない確かなことだから。
 だから口にする。あの時くれたのと、おなじ言葉を。

「また教室で、ね」
「うん、また教室で」

 僕たちを閉じこめてくれるあのちいさな四角い部屋で、ともに。そこでなら、ともにいられるから。









下田さんは海吏に片思いをしていた同じクラスの女の子です。
イベント前々日あたりにフォロワーさんが下田さんの話題を出してくれたのでそういえばこの子たちのその後って書いてなかったなぁと思い立って。



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