「ジェミニとほうき星」留学中の海吏を訪ねた祈吏がマーティンがふたりでデートするお話
同
人誌「Letters」からの再録です。
こちらのエピソードの後日談となるお話を2017年5月発行の
季刊ヘキ8号きょうだいアンソロジーに寄稿させていただきました。
よろしくお願いいたします。
「ねえ、手を繋いでもいい?」
恋人の双子の姉から差し出されたのは、いかにも彼女らしいそんな提案だった。
「いいけど──」
戸惑いを隠せないこちらを前に、にっこりと得意げに笑いながら、祈吏は答える。
「マーティンはわたしのお兄ちゃんでしょ? だったらはずかしくないかなって」
「……もちろん」
遠慮がちに、差し出された白くてちいさな、やわらかな掌を僕はそうっと包み込むように握りしめる。すっかり慣れてしまったそれよりも一回りはちいさくて、頼りなくて──。
きっと、彼がずっと触れたくて、その願いを閉じこめてきたはずのそれに手を伸ばすことが、こんなにもあっさりと赦されてしまうだなんて。どこか複雑な気持ちにならざるを得ないのだけれど。
ぐらり、と揺れる思いに足を取られてしまわないようにと踏みとどまるようにしながら、口元だけは精一杯の笑顔を作ってみせる。そんなこちらの様子に気づいたのか、にっこりとあのまぶしげな笑顔を浮かべながらの優しい言葉が手渡される。
「カイともね、子どもの頃はよくこうやって、手を繋いだの」
長い睫毛をふわり、とそよがせるようにしながら、僅かに目を伏せて祈吏は呟く。
「大人になったら家族とも手を繋いじゃいけないなんて、そんなの変だなって、ずっと思ってた」
僅かににじんだ言葉の端からこぼれ落ちていく本音に、ぎゅうっと胸の奥をさらわれるような心地を味わう。あまく息苦しいその感触に酔いしれるかのような心地になりながら、握りあった指の先に、ほんの少しだけ力を込める。
大丈夫、離さない。大丈夫、わかってる。形やいきつく先はたとえ違っていても、こんなにも大切なのは、僕だって一緒だから。
「ねえ、いの」
「マーティンは──」
気まずそうに口をつぐむ態度を前に、ひとまずは促すように視線を投げかければ、少しだけ歩調を落とすようにしながら放たれるのはこんなひとことだ。
「マーティンには、お兄ちゃんがいるのよね?」
「……あぁ、」
時折立ち寄るコーヒースタンドの看板をちらり、と横目に見ながら、僕は答える。
「八つ上だよ。リヴァプールに住んでるから、いまはもうたまにしか会わないけれどね」
どこか遠慮がちに、上目遣いのまなざしをこちらへと向けながら祈吏は尋ねる。
「優しかった?」
「……まぁ、それなりには。たまに意地悪もされたし、こっちだって仕返しもしたけれどね」
ぱちぱち、と遠慮がちなまばたきをする横顔をちらりと盗み見るようにしながら僕は続ける。
「ほんとうはずっと、妹がほしかった――だからうれしいよ。こんなにも大人になってから、こんなに大事な妹が出来るなんて思ってなかった」
ほんの一匙だけのリップサービスと──それでも、嘘偽りない本音をひそめた思いをそっと吐き出すようにすれば、握りしめた指先がほんの僅かに震えるのが、触れ合ったその先から伝わる。
やわらかなまなざしをまじまじと確かめることがどこか気はずかしくて、石畳を踏みしめるように歩みを進めるキャラメル色のフラットシューズと、ほっそりした足を包み込むれんが色のソックスへとそうっと視線を落とす。
「カイにね、言われたことがあるの」
僅かに声を震わせるようにして、祈吏は答える。
「友達に、八つ下の弟が居る女の子がいて。祈吏も僕がもっと年の離れたちゃんとした弟の方がよかったって?」
「……カイらしいね」
ぽつりと吐き出すように洩らした言葉を前に、唇の端だけを僅かに持ち上げて、ぎこちない笑顔がこぼれ落ちる。
──似ているな、と思うのはたとえばこんな瞬間だった。遠慮がちな笑い方、少し瞳を細めて照れたように肩を竦ませる姿、微かににじんで消え入りそうな、それでも、確かな意志を潜ませたことを感じさせる言葉尻――血のつながり、だけなんかじゃない。何年もかけて築き上げてきたもの、言葉なんかじゃ言い尽くせないだけの、見えないけれど確かにそこにある、彼らだけの分かち合ってきた特別な何か。
そういったものが、彼女の中には確かに息づいているのだ。
仕方のないことだとわかっていたって、嫉妬しないかと言えば、嘘になるのは確かで。
「……どうしたの?」
遠慮がちにぱちぱちと睫毛をしばたかせる姿を前に、にっこりと笑いかけるようにしながら僕は答える。
「似てるなあって思って」
どこか不可思議そうにこちらをじいっと見つめ返す丸い瞳を見つめながら、投げかける言葉はこうだ。
「あなたは時々、びっくりするほどカイに似てるから。なんだか、カイと話してるみたいで」
「……そんなこと」
照れくさそうに細めたまなざしににじむ光は、まぶしくなるほどあたたかだ。
視線のその先、観光用パンフレットや絵はがきには見飽きるほど登場する二階建ての赤いバスが走り去っていくのを見送りながら、僕は尋ねる。
「ほんとうによかったの? どこか、有名なところに行かなくても」
「もう行ったから。バッキンガム宮殿とビッグベンと、大英博物館」
得意げに瞳を細めながら、祈吏は答える。
「あなたとカイが、ふだん見てるものが見たいの」
きっぱりとした口ぶりは、「お姉ちゃん」のそれだ。
「少し歩き疲れたよね、公園にでも行く? どこか女の子が好きそうなお店にでも案内しようか?」
「カイと一緒に行く公園があるなら、そこがいいな」
「オーケイ」
ふわりと答えれば、握りしめた指先に込められた力がほんの僅かにだけ強まる。
観光用のパンフレットには恐らくほとんど載らないような、それでも市民の憩いの場として昔からずっと変わらずあり続ける公園は、きょうの日も変わらずその役目を果たしている。
広々とした芝生に寝そべるたくさんの人たち、散歩中の人たち、駆け回る子どもたち、悠々と葉を広げる木々。
木洩れ日の光の下で見る祈吏の姿は、つい先ほどまでの街の中で見つめていたそれとはどこか違うのびのびとした明るさを身にまとっているのが不思議だ。
「大きいなぁ……」
感心した様子で、ふわりとため息を吐き出すようにしながら祈吏は答える。
「日本にも公園はあるけれど、こんなに大きな公園は郊外にでも行かないとなかなかないから。街の中じゃ、建物と建物のあいだに申し訳程度にうんとちいさい広場があるくらいだもん」
観光名所になっているものにしろ、そうでないものにしろ、都会の中にいくつも広々とした緑溢れる空間が点在しているというのは言われてみれば、この街の長所のひとつなのかもしれない。
「ねえ、しってる?」
少し汗ばんだ指先を、それでもほどけないようにとゆるやかに結びなおしながら、祈吏は呟く。
「日本じゃね、こんな広い土地が全然ないの。緑なんてぜんぶ潰して建物にしちゃったの。だから緑が足りないって言って、建物の上に無理矢理ちいさい公園を作ったりしてるの」
「知ってるよ」
小さく息をつき、僕は答える。
「建物の上に、神様がいたりもするよね?」
「なんで知ってるの、そんなこと」
くすくすと笑いかけながら投げかけられる言葉を前に、僕は答える。
「日本に行った時、電車の窓から見えたから」
鉄格子越しに姿を覗かせたおもちゃみたい鳥居がずいぶんおかしく見えたことを、僕はまるで昨日のことのようにふと思い返す。
「──あの時は。カイに会いたくて仕方がなくて、カイの育った国がどんな場所なのかが見られるのが本当に楽しみで。見るものみんな珍しくて、それでも、一緒にいられる時間はほんの少ししかないんだって思うと、『あれは? これは?』っていちいち聞くのももったいないくらいで。それでもどうしても気になるものがあった時は、カイに教えてもらって」
ふつふつと蘇るたった一日と少しの邂逅の記憶を前に、少しだけ瞳を伏せるようにして、ぎこちなく言葉を吐き出す。
「……ほんとうはちゃんと、あなたたちにも会わないといけなかったのにね」
「──そんなこと」
ぶんぶんと首を横に振る仕草を前に、さあっと感情の奥が音も立てずに揺らされてしまう。
思えばあれが初めての冒険だったとそう聞かされたのは、ずいぶん後になってからのことだ。誰よりも大切な家族に内緒や隠しごとなんてひとつもしないままずうっと生きてきたはずの彼に、嘘をつかせてまで一緒に過ごすこと、共に朝を迎えることを望んで、それを受け入れてもらって。
過ごした時間のすべて──そこで感じたいとおしさも、もどかしさも。記憶がどんなに薄れて遠ざかっていったって忘れ得ない、いまに繋がる大切な時間があの日にはぎゅうっと詰まっていた。
「ちゃんと話そうって、ずっとそう相談してたんだよ。それでもやっぱり、時期は考えなくちゃねって。不義理だとは思ったけれど、友達の顔のままであなたたちと顔が合わせられるとは、到底思えなくて」
照れくささに少しばかり目を逸らせば、ぎこちなく僅かに震えた指先を少しだけやわらかに、ぎゅうっと握り返される。
「……わかるよ」
少し寂しげにそれでも、きっぱりと明るい口ぶりで、祈吏は続ける。
「あなたとふたりで迎えに着てくれたでしょ? その時、遠くからふたりでいるのが見えて。なんだかね、知ってるはずのカイなのに、ちょっとだけ違う人に見えた。あなたといる時はいつもそうなの。なんていうか、空気が違うの。あんな顔するんだ、あんな顔で笑うんだって。それでもこっちに気がついた途端、慌てたみたいにふっといつものカイの顔に戻るのよ、おかしいでしょ?」
くすくすと笑う表情に、胸の奥は微かなさざ波のような音を立てる。
「──うれしかった」
噛みしめるように、祈吏は答える。
「カイが選んだ人は、一緒にいる時にあんなにうれしそうな顔でいられる相手なんだって。大丈夫なんだって。家族でいる時とも、春馬くんと一緒の時ともぜんぶ違う。でも、あんなに優しい表情でいっしょにいたいって思える人なんだって。そんなの、うれしいに決まってるでしょ」
ねえ、座らない? 指をさして示した先にあるのは、木陰の下にしつらえられたベンチだ。
「飲み物でも買ってこようか? 待ってる?」
「ううん」
ゆっくりと首を横に振り、握り合った指の先を、ほんの僅かにだけからめるようにしながら、祈吏は答える。
「一緒に買いに行きたい。いいでしょ?」
「……断るわけないでしょ」
遠慮がちに答えれば、ほろほろと胸の内から崩れ落ちていきそうなやわらかな笑顔がそうっと返される。
「──ずっと思ってたんだけれど」
両掌で支えるように(カイがしばしばそうするのとそっくり同じ仕草なので、笑ってしまいそうになるのだけれど)カップを手にしたまま、祈吏は尋ねる。
「マーティンは、カイに日本語を教わったのよね?」
「……あぁ、うん。学校でも少し勉強したけれど、ほとんどは彼に」
お互いの言葉を教えあおう。異国の地で暮らしていくために、友達になるために──出会ってすぐさま、試みたことだ。
「やっぱりそうよね、あたりまえだけど」
くすくすと、どこかおかしげに笑いながら紡がれるのは、こんな言葉だ。
「なんだかね、こうして話してると時々、カイと喋ってるみたいで。どことなく似てるもん。テンポとか、言葉選びとか。不思議だなって。話しやすいのはきっと、だからなのね」
「わたしが──ちゃんと、英語で話せてたら」
どこかまぶしげに瞳を細めながら、祈吏は呟く。
「あなたと話してたことも全然変わってたのかな。そしたらなんだか、おかしいなって」
「そうかな……」
「ごめんね、おかしなこと言って」
不可思議な心地でいれば、途端に打ち消すかのような笑顔がそっと降ってくる。
不思議な女の子だな、とそう思うのは、たとえばこんな瞬間だ。やわらかで、穏やかで、無邪気で。それでいて時折、はっとするほど芯が強くて、まぶしいくらいにひとりだ。
どこか凛とした静けさと強さを称えているこんなところに、ほんとうにふいうちか何かのように、心を縫い止められる瞬間がいくつもあって。
「祈吏は──」
離された指の先、綺麗に整えられた淡いピンク色の爪をぼんやりと見つめるようにしながら、僕は言う。
「時々、すごく遠くにいる人みたいに見えるね」
本心からぽつりとそう呟く。決して揶揄するつもりなんかはなくて。するりと心のうちから解き放ったそんな言葉を前に、にこり、と澄まし顔で返されるのは、こんなひとこと。
「だって、お姉ちゃんだもん」
唇の端をぎゅっと持ち上げた、あの強気な笑顔と共に、祈吏は答えてくれる。
「祈吏はお姉ちゃんだからしっかりしないと。カイのお姉ちゃんなんだからちゃんとしなきゃって、生まれた時からずうっとそうしてるもん」
ゆるやかに息を吐き、僕は答える。
「僕から見た祈吏は、世界でたったひとりのかわいい妹だよ」
ちらりと盗み見た横顔は、言葉を詰まらせたように微かに赤らんでいる。
「……マーティン」
掠れた声で、祈吏は囁く。どこかあまくくすぶったその響きは、胸の内側をなぞるかのようにやわらかで、ひどくあたたかい。
「中学生の頃──カイがイギリスに行って、少し経ったころかな」
遠くを見るようにふっと瞳を細めながら、祈吏は呟く。
「周りのみんなに言われたの。いい加減弟離れしたらどう? もう中学生なんだから、好きな男の子くらいいないとはずかしいでしょ? 海吏くんのこと、安心させてあげないとって」
くしゃり、とどこか物憂げな色をうち消すような、ゆるやかな微笑みを向けながら、続けざまに紡がれる言葉はこうだ。
「どうして? って。カイは世界にたったひとりの大切な家族なのに。代わりなんて誰もいないのに。どうしてカイのことが好きなのを、そんな風に言われなきゃいけないの? わたしに彼氏が出来たらカイが『安心する』だなんて、そんなの変でしょって──なんでみんな、カイと離ればなれになるべきだなんて言うのかなって」
「……祈吏」
微かに潤ませたかのように見える瞳を、どこか強気にぎゅっと細めながら、祈吏は答える。
「その頃にはもう、カイには大事な人が居て──はずかしくってお姉ちゃんに内緒にしてただけだなんて、思いもしなかった」
視線の先ではちいさな男の子と女の子が互いに手を引き合いながら駆け回る姿が映し出される。いつしか通り過ぎてしまった──そしてもう二度と帰らない時間をそのまま、映し出しているかのように。
「カイにもいつか大切な人が出来るのかなって、思ってたのよ。その時にはちゃんと、よかったねって言えるようにならなきゃって。でも、同じくらいずうっと不安だった。わたしだけのカイだったのに取らないでよって、怒っちゃわないかなって。だって、わたしたちずうっとふたり一緒だったのよ? これから先もずうっと一緒にいられるって、離ればなれになるなんて、カイよりも大切な人が出来るだなんて考えられなかった。ずうっと知らなかったの。大切な人に大切な人が出来るっていうのは、祈吏にも大切な人が増えることなのね」
震わせた指先を、そうっとこちらのそれへと重ね合わせるようにしながら、祈吏は答えてくれる。
「あのね、マーティン。カイのこと、大切にしてくれてほんとうにありがとう。あなたのこと、大好きよ」
「僕もだよ……」
答えながら、重ね合わせられた指先をからめ取るようにぎゅっときつく握りしめる。すこしおぼつかないその感触は心ごと締め付けるようにぎこちなくて、どこかいびつで―かけがえのないいとおしさがその先から溢れだしては溶けて、どんどんにじんでいく。
「ねえ、カイに会ったらもういちど、ちゃんと伝えないとね?」
「……なにを?」
問いかけを前に、どこか曖昧に微笑みかけるようにしながら、祈吏は答える。
「決まってるでしょ? 大好きよって」
はらはらと花びらがこぼれ落ちていくかのような笑顔に、心ごと淡く締め付けられて、溶かされていくのを抑えきれない。
おんなじだ。行き着く先も形も違ったって、きっとおんなじだ。
こんなにも大切で、こんなにも誰よりも大事で。こんな気持ちを分かち合える日がくるだなんて、思いもしなかったのに。
「……あなたのこともだよ」
本心からそう答えれば、うつむいたままの横顔が微かにさぁっと赤らむ。こんなそぶりのひとつひとつまでよく似ているのだから、思わず笑い出してしまいそうになるのをこらえるのに必死だ。
大切な人はたったひとりなんかじゃなくたっていい。
手を繋ぎたい相手が何人もいたって、それで構わない。
震わされた指先がほどけてしまわないようにもういちどやわらかにそうっと握り直し、何度目かのあまくくすぶったため息を呑み込む。
ほら、こんなにも愛している。こんなにもいとおしくてたまらない。繋ぎあった思いはこうして実って、また新しく芽吹いて、こんなにも優しい色をした花を咲かせようとしている。
「……ありがとう」
遠慮がちに吐き出されるそんな言葉を前に、たしなめるようにふわりと、やわらかな髪をなぞりながら僕は答える。
「どうしてそんな風に言うの?」
ためらいに揺れる様子のまなざしをじいっと見つめながら返す言葉はこうだ。
「祈吏は僕の妹だよ。家族なんだから、遠慮なんてしなくていいんだよ」
答える代わりのように、最愛の妹から返ってくるのは、こぼれ落ちるようなたおやかなやわらかさを称えた笑顔だ。
互いの気持ちを重ね合うようにうんと優しく、それでも、ほどけないようにと、やわらかな思いを閉じこめるように確かに手を繋いで歩いた帰り道、目と鼻の先にすぐ、見慣れたアパートの赤茶色の煉瓦づくりの壁が姿を現した、その時のことだ。
「あ」
ずっしりと重そうな買い物袋を片手に、戸惑いを隠せない様子でぱちぱち、とまばたきをしながらこちらの様子を伺う恋人の様子が視界に飛び込んでくる。
「カイ、」
自由な方の掌を、ひらひらと掲げるようにしながら祈吏は言う。
「おかえりなさい、買い物行ってたの?」
「祈吏は……」
どこか戸惑いを隠せない様子でこちらと傍らの姉の様子を伺う姿を前に、得意げににいっと笑いかけながら彼女は答える。
「お兄ちゃんとデートしてたの」
言葉と共に、繋ぎあった指先に僅かにきゅうっと力を込められる。
「きょうだいの親睦を深めようってことになって」
笑いながら答えれば、うつむいたままの顔が、照れたように微かに赤く染まる。
「カーイっ、」
『お姉ちゃん』の顔をしてにっこりと笑いかけながら、祈吏は答える。
「その荷物、左手に持ち替えてくれる?」
「いいけど……」
戸惑う姿を前に、自由な方の掌は、宝物のようにぎゅうっと、解き放たれたもう片方の掌をやわらかにそうっと握りしめる。そうすることで、彼女の存在は僕たちを繋ぐ架け橋のようになる。
「ね、いいでしょう?」
あんまりにも彼女らしい抜群のアイデアを前に、ゆるやかに瞳を細めるようにする中、片側の恋人はと言えば、うつむいたままの顔をますます赤らめるばかりだ。
「マーティンとは繋いでるんでしょ? 手。いいじゃない、そのくらいけちけちしないで」
「そういう問題じゃなくて……」
「はずかしくなんてないでしょ? わたしたち、家族なんだから」
満面の笑みと共に告げられる言葉に導かれるままに微笑み返せば、赤く染まったままの顔に、ゆるやかな笑みが広がる。
みるみるうちにかけがえのないぬくもりを広げていくこんな瞬間は、こらえようがないほどにいとおしくてたまらない。
祈吏はカイのたったひとりの大切な姉。
世界一大切な僕の妹。
僕たちの誰よりも大切な女の子。
それだけでいい。そのことが、こんなにもいとおしい。
「荷物重たくない? 持とうか?」
「平気だよ、このくらい。そのかわりに鍵、開けてね」
目配せと共に交わしあうそんな何気ない会話を、大切な女の子はにこにことどこか嬉しそうに耳を傾ける。
「晩ご飯なに作ってくれるの?」
「チキンソテー。バゲットとライスがあるけど、どっちにする?」
「パンでいいかなぁ」
一段一段、ゆっくりと階段を踏みしめる。いつもよりひとりぶん多い不揃いな靴音のリズムが耳にくすぐったい。
笑いながら、僕たちは歩いていく。手を離さないまま、この掌の伝える熱を絶やさないようにと誓い合いながら。
奇跡みたいに優しいこんな時間を、これからも幾度と無く紡いでいくのだと、そう信じ合いながら。
昨年のあまぶんでの新刊でした。ポスカ企画のお話ともリンクしています。
PR