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調弦、午前三時

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ありふれた言葉



周くんと忍。そこはかとなくえろい。
同人誌「engage」から再録













 眠ることと死ぬことが似ている、だなんて歌っていたのは誰だったろうか。月並みだとは思うけれど、だからこそいやに胸に色鮮やかに残る言葉だった。
 だからこそこんな風に、幾度となく心の隅をさらっていくようなところはきっとあって。

 だったら、セックスは?
 そんなこと、いちいち聞かなくたってわかりきっているのに。


 陶然におぼれながらこちらを見上げてくれる、熱の閉じこめられたまなざしを見つめているのが好きだった。
 ゆらいだ瞳が映し出す光の色は、恐れや不安のもどかしさをありのまま描き出しているからこそ、時折ひどく不安になる。
 それでも、その奥に宿る光はいつだって周を求めてやまない、いとおしくてたまらないのだということを何よりも如実に伝えてくれる。
「忍――、」
 やわらかに吐息を紡ぐように名前を呼べば、こちらをとらえたまなざしの奥深くに宿る色はますます熱くなるばかりだ。
 ひどく息苦しげで切実で、ばかみたいにかわいい。いとおしさで心ごと押しつぶしてしまうのがこんなにも怖くて仕方がないのに、いつだってそれは、手を離す理由になんてなりやしない。
 吐息のリズムにあわせるようにしながら、ゆっくりと繋がりあった身体を沈めていく。溶け合うはずもない箇所は、それでも心ごと預け合うみたいに深く結びあうようにすれば、じわりとおなじぬくもりに包まれていく。
「……あまね、大好き」
 苦しげに息を詰まらせながらささやかれる言葉に、心ごと震わされていくのにただ身をまかせる。
「忍、」
 ゆっくりとしたペースで身を沈めていくようにしながら、まぶたのふちをなぞるようにやわらかに口づけを落とし、睫毛の上を伝い落ちていく滴を、舌を這わせては掬う。
 海の味だ、とこうする度に思う。からからに乾いた周の心を潤すようにして、そのままぐんぐんと心ごと深く沈めていく、ちいさな海。
「……くすぐったい」
 潤ませた瞳を細めるようにしながら告げられるささやき声に、体の芯で熱くくすぶって揺らいだ熱は、ますます逃げ場をなくしていく。
「やめる? じゃあ」
 いたずらめいた口ぶりで尋ねながら、くしゃくしゃに髪をかき回す。
「やだ」
 だだをこねる子どものように身をよじらせて答える細い身体をぎゅうぎゅうと隙間無く抱き寄せれば、応えるように背中に回された腕の力はぐっと強まり、触れられた箇所がじっとりと汗ばんでいるのが伝わる。
 どこもかしこもきっと舌を這わせれば塩辛くて、それでも、すべてを味わって確かめることなんて出来なくて。
 もどかしさにおぼれあいながら唇と唇を重ねて、吐息を奪い合う。
 すべてで繋がりあっていたい。どうせまたすぐに離れていかなければいけないことくらい知っているから、せめて少しだけでも、このあまやかな錯覚に溺れていられるようにと。
「――気持ちいいね、周」
「うん、」
 ゆっくりと深く身を沈めるようにしながら、あふれ出しそうな気持ちをぐっと抑えつける。
 傷つけたいわけじゃない―それなのに、時折どうしようもなくあふれ出して駆けめぐる衝動の波にさらわれてしまう自分が、ひどくぶざまに思えて仕方がなかった。
 息苦しいまでの焦燥をかき消すようにやわらかに受け止めてくれるのはいつだってこんな風に、まっすぐに差し出される忍の気持ちだった。
 周の求めてやまないものが、ここにはすべて詰まっている。すべてを受け止めても、もっともっとと望まずにはいられなくって、それ以上に、差し出される宝物を返せる自信なんていつまでたっても少しもなくって。
 ちぎれそうな心をいつでもつなぎ止めて形作ってくれるのを感じるたび、息苦しいまでのいとおしさは溢れていくばかりだ。
「いってもいい?」
「どうしよっかなぁ」
 わざとらしくはぐらかすように答える姿を前に、律動の深さをわずかに早める。
 ほんの少しばかりの息苦しさに溺れていく姿を見おろしながら汗ばんだ髪を掬ってははらい、やわらかな口づけを落としながら、じっと様子をうかがう。
 触れた先から、みっともないほどに指先が震えていることがきっと伝わっている。でも、少しも怖くなんてない。こんなにも愛しているから、こんなにも受け止めてもらっているから。
「……だいすき、あまね」
「俺もだよ」
 心許なさにさらわれていくのを感じながら、きつくまぶたを閉じる。ゆっくりと深く息を吐き、互いを繋ぐぬくもりのありかを思う。

 指と指をきつく絡ませあい、押し寄せる波にさらわれるのを感じながら、小さな海にふたりで沈んでいく。
 ひそやかな恐れを交えた恍惚は、幾度となくあまやかな死をふたりへともたらす。




「なんかさぁ」
 頼りなく投げ出した掌を開いては握り、を繰り返しながら、忍は言う。
「まだちゃんとあんだなって思うと、へんな感じ」
 笑いながらかけられるささやき声に、さあっと胸のうちがかすかに熱くなる。
 あんなに体ごと溶かしあうように深く求め合って、息が止まるかと思うほど心地よかったのにまだちゃんと心臓は鼓動し続けていて、ちぎれそうなほどきつく抱き合った体はすこしもほどけてなんかいなくて。
 それでも、だからこそ、少しもちぎれたりなんてしない体と心をやさしく寄せ合うようにしてこんな風にそばにいられるのを知っている。
「忍、」
 ゆるやかに携えられたぬくもりを確かめるみたいに、すっと引き寄せるように腕の中へと抱きすくめる。
 互いにシャワーを浴びたばかりの体はそろいのボディソープの清浄な香りに包まれていて、パジャマの布地越しに触れる、さらさらとしたもどかしい肌触りすらいとおしくて仕方がない。
 ほんの少しばかり前まで、思う存分に味わいあった情交の気配はいつしか遠ざかり、交わしあうまなざしの奥深くにだけ、かすかな気配と余韻がよぎる。
 とん、と預けられた頭をかき抱くようにして、形のよい頭をなぞり、指先を滑らかに滑り落ちていく髪の感触に酔いしれる。胸の中、ゆっくりと吐息を吐くぬくもりが、渇いた心をみるみるうちに潤していくのがこうしているだけで伝わる。
「きもちよかったね、周」
「うん、」
 こうしているだけでばかみたいに安心する、うれしい。息がつまるほどにきつく深く求め合ったその先にこんなにも耐え難いほどの安らぎがあるだなんて、ずっと知らなかった。知らずに生きていけると、そう信じていた。
「……おまえさぁ」
「なに?」
 無様に震えた唇を、それでも無理矢理に押し開くようにして、力なく紡ぐ言葉はこうだ。
「……怖くなかった?」
「なんで、」
 ぽつり、と滲むささやき声を前に、ぎゅうっと唇を噛みしめ、ささやくようにやわらかに答える。
「我慢すんじゃんおまえ、すぐ」
 ――傷つけたいだなんて、かけらも思っていない。そのはずなのに。
 潤まされたまなざしに、息苦しげに漏らされる吐息に、きつく絡め合った、ぎこちなく震えた指先に――いつだって鈍くくすぶった加虐心めいたものをかき立てられては、その都度後悔することを繰り返す。
 こんな風にして試すようなそぶりをして見せることが『正しい』だなんて、周は少しも思わない。
 赦されている、と感じるその度、自身の傲慢さを思い知らされてばかりで、それなのに、少しも手を離すことなんて考えられなくて。
 不安をかき消してくれるのはいつだって忍のまなざしや、指先、そのひとつひとつから伝うぬくもりだった。
 同じ熱を分かち合い、こちらを離さず捕らえてくれている―そのひとつひとつを確かめるその度、息苦しいまでのいとおしさは募り、周を果てのない海の底へと沈めていく。
「――あまね」
 ぎゅうぎゅうとすがりつくように背中に回した腕の力を強めながら、胸の中で熱い吐息が漏らされる。
 パジャマの布地越しに、かすかに火照った滴がつたう。ほら、まただ――こんな風にさせるつもりなんて、少しもないはずなのに。
「……気にしてたの? いつから?」
「いつっていうか、まぁ」
 ふかぶかと息を吐き、力なく答える。
「こないだとか――いつも、」
 気持ちが昴ぶるその度、少なからず怖がらせていることくらいとっくに気づいていたから。
「ほんとにいやがってるみたいに見えた? そんなに?」
 そうじゃない――のを知っているから、だから。
「泣くじゃんおまえ、いつも」
「気持ちいいからだよ?」
 ぐずぐずに震えた声で紡がれる言葉に、途方もないいとおしさが押し寄せる。
「ごめんね、周。だいじょぶだから、我慢するね。そのほうがいいんだよね?」
「ちがう、」
 ぶん、とかぶりを振って答えながら、抱き寄せた腕にこめた力をぐっと強める。
 ほんとうは知っている、この手を離さなければいけないことくらい。それでも、無様なまでに震えた手は、少しもそれを選ぶことなんて出来ない。

 気持ちよくなれるのがうれしい。気持ちよくなりたいと思いあえるのがうれしい。それでもいつだって、同じくらいに怖い。
 もたらしあい、分かちあえるよろこびはいつだって終わってしまえばあっけなくて、果てがない。
 そこでしか得られない安らぎがあることを知っていたって、その効力の弱さだって、おんなじ分量だけ、ばかみたいに思い知らされている。
 だから幾度となくこんな風に繰り返しては、とめどなく溢れる想いのありかを確かめ合う。
 終わりがないから幾度となく繰り返すことが出来る。でもそれは、何度も何度も繰り返し傷つけては、こんなにも赦されているのだと確かめているのと少しも変わらない。

 もうずっとこうしてきたのに、どれだけ時間を積み重ねても消えないものがある。
 無様なまでのもどかしさやわだかまりの感情に足元を掬われる度、手を差し伸べてくれるのが忍だった。
 手渡せるものなんてきっと、なにひとつありはしないのに―目に見えなければ、形になんてなるはずもない――そんな不確かな、それでも消えることがないたったひとつの宝物がずっとこうしてふたりを繋いでくれているのを、もうずっと昔から知っている。

「ありがと周。ほんと、ありがと」
「いいから――、」
「よくない」
 ぶん、とかぶりを振って、子どもみたいなむきな口ぶりで告げられる答えはこうだ。
「言ったじゃん、周がよくても俺はよくない。ちゃんと聞いてくんないと怒るからね」
 紡がれた端からほつれていく言葉に、ぎゅっと胸の奥を絞られたような心地を味わう。
「……忍、」
 深く息を飲み、心からのとっておきの、ありふれた言葉を吐き出す。
「好きだよ、ほんとに好きだよ―ありがとうって、一生ぶんだけ言っても、まだ足りないくらい好きだよ」
「……じゃあ一生いっしょにいる、いいよね?」
 ねえ、返事は?
 せかすみたいに告げられる言葉を前に、汗ばんだ額に口づけを落とし、ささやきかける言葉はこうだ。
「決まってんだろ、おんなじだよ」
 交わしあう約束をより強めるみたいに、指と指をきつく絡め合い、吐息を吐き出す。

 とりとめもない言葉を交わしあい、間延びしたひとときを過ごすこんな時間にはいつだってなににも代え難いほどのいとおしさが満ちあふれているのを知っていた。

 大切なことを伝えようとすればするほど意識はまどろみのふちに絡められて、紡ごうとする言葉はやわらかにほつれていく。
 確かめ合うみたいにゆらりとぬくもりを預け合った体はいつしか漂うようにぐんと深くシーツの海の底へと沈んでいくばかりで、そんなけだるさすら、心地よくてたまらない。
 ふたりでしか得られないやすらぎ、ふたりでしかたどれないぬくもり――その先にまだ続いていく「未来」があるのを知っているのは、こんなにも幸福だ。

「あまね……、」
「ん」

 とろとろと煮溶かされるようなあまやかな安らぎと倦怠の波に揺らされながら、次第に重くなっていく瞼をそうっと閉じる。
 途切れた想いはまた新たに結びあって、やわらかに繋いで―そうして何度だって確かめ合って。そんな風にして、幾度となくあらたな「はじまり」を迎えてきた。
 それはきっと、これからも続いていく―続けていくことが出来る。何度だってこうして立ち止まって、確かめ合うことをちゃんと繰り返してきたからだ。
「忍、」
「うん」
「おやすみ、」
「おやすみ……」

 ありふれたやさしい言葉を交わしあい、終わりの呪文を奏であう。また新たなはじまりを、その続きをふたりで迎えるために。

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