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調弦、午前三時

小説と各種お知らせなど。スパム対策のためコメント欄は閉じております。なにかありましたら拍手から。

Honey Moon



ほどけない体温番外編。
周くんと忍のつかの間のバカンスのお話。
第二回京都文フリの無配でした。






「わぁ、おっきいー」
 ぴんとシーツを張られてお行儀良く二台並べられたダブルベッドの上へといきおいよくこてんと転がり込んでみせる―寝室のドアを開けてすぐさまのおおよそ予想通りのそんな行動を、まんざらでもない心地でぼんやりと周は眺める。
「なにしてんの」
 わざとらしいほどの素っ気なさを張り付けた口ぶりで尋ねれば、おおよそひるむことなどない様子で返される返答はこうだ。
「なにってまぁ、巣作り?」
 いやに広いベッドの隅に腰を下ろしたこちらをあまえたような上目遣いでじいっと見つめながら素肌と馴染ませるようにシーツの上で身をよじらせる姿はいたずらざかりのおおきな猫みたいで、もう何年も見慣れているはずなのにちっとも飽きることのない自分にいまさら呆れてしまう。
 しゃり、と糊のきいたシーツが立てる些細な音が波間に吸い込まれていくさまは、耳にもくすぐったく心地よい。
「やっぱよかったねえ、ここにして」
 うっとりと満足げに瞳を細めながら、忍は答える。「なんか家っぽいもんね、すごい落ち着く」
 ほんものの『家』よりも遙かに豪邸であることは、ひとまずはおいておいて。
「ね、周?」
「ん、」
 相づちとともに、かすかに潮の香りの残る髪をふわりと撫でてやることで応えてみせる。


 テレビのニュース番組を見ている時に時折目にする「○○アナは夏休みです」の案内に感じるあの座りの悪さは何なのだろう。
 オフシーズンにしか休みがとれずご愁傷様としか言いようがないような気持ち半分、繁忙期を避けられて却って良いのかもしれないとうらやむ気持ちが半分。
 ――『秋休み』と素直にそう呼べばいいのに、というのが子どもの頃からの変わらない感慨だ。

 少しばかりの気がかりな大型案件をどうにか無事に乗り越えたご褒美とばかりに突如与えられた『秋休み』――それが、らしくもないバカンスを決行することを決めたきっかけだった。
 忍まで時期を合わせてあっさりと休みが取れたあたりは、またとない幸運としか言いようがないと思うのだけれど。
「湘南の海とは違うよねやっぱ、あたりまえだけど」
「……だな」
 こてんと傍らに身を寄せるように身体を倒し、いやに高い天井の上でくるくると回るシーリングファンをぼんやりと眺める。
 飛行機を降り立った瞬間に肌で感じる生ぬるく湿り気をおびた潮風、聞き慣れない言葉で喋る日に焼けた人たち、日本語と外国語の両方が並列に並べられた看板、目にまぶしいほどの光と色彩の洪水――日本が縦に長い国なのは知識の上では知ってはいるけれど、パスポートいらずでたどり着ける『海の外』にこんな異文化まみれの土地があるだなんていうのは、知識の上でならいくら知っているつもりでもやっぱり不思議だ。
 本場のバリのリゾートを意識したらしい真っ白な外壁に煉瓦作りのタイル、ところどころに琉球瓦をあしらわれた和洋折衷とも何とも言えない作りのヴィラの周辺は市街地の喧噪からもすっかりと遠ざかり、取り残されたような静寂の中、心地よくひたひたと体中に染み渡っていくような波音に身をゆだねさせてくれる、またとない空間となっている。。
「すごい贅沢だよね、なんにもしないでいいって。そんで周もいっしょにいんだよ? 夢みたいだよね」
「そのために来たんだろ」
 ささやき声を落としながら、まだぼんやりと熱の余韻を帯びた指先を絡めるようにして、かすかに湿った吐息をこぼす。
「会社の人がさぁ、新婚旅行で二週間くらい休んでバリまで行ってたって話したじゃん」
 目を合わせずに天井をぼうっと眺めたまま、忍は続ける。
「一棟建て海の上のコテージだったんだけどね。周りみんな海で、鳥とか波の音くらいしか聞こえないんだって。あたり一面エメラルドグリーンの海と空のコントラストで目が焼けるくらいまぶしくて、どこ切り取っても絵はがきみたいな景色がめいっぱい広がってて。でもね、予想はしてたけど『なんにもしない』ってやっぱすぐ飽きちゃうもんなんだって。退屈しないようにってタブレットに映画とか、キンドルで買った本とか山ほど入れて、奥さんの方にはエステとかも予約してあげてたらしいんだけどね。でもね、そやってたのもなんか、逆効果だったみたいで」
 こてん、と寝返りを打つしぐさと共に、続けざまに紡がれる言葉はこうだ。
「そうやってものでも与えておけばいいと思って、あなたはいっつもそう。傲慢なのよって」
「……難しいもんだな」
 女心ってやつは、と言い掛けてあわてて口をつぐむ。とやかく言われたわけではないけれど、性差で人間性を推し量ることほどナンセンスなことはないはずだと、常々言い聞かせているから。
「あやうく成田離婚になりかけたって、でもなんか笑いながら言うのね。要は持ち直したってことなんだろうけどさぁ。なんかさ、良いなって思っちゃった」
 くすくすと笑いながら囁く声は、いつもよりもわずかに湿り気を帯びているように聞こえる。
「夫婦ってそういうもんだよ、早めに分かって良かったじゃん。そんな四六時中一緒にいたってうんざりするだけだよってみんな言うんだけどさ、贅沢だなって思って」
 言わないけどね。ぽつりと洩らされたささやき声にくるまれた本音は、周にだけそうっと手渡される。
「……偉かったな」
 適切な答えなのかどうかなんてわからないけれど、ひとまずはそれくらいしか思い浮かばないのだし。
 ぽつりと力なく投げかけた言葉を前に、いつものあの得意げな様子の笑顔が返されるのを、じいっと瞳を細めるようにして眺める。


 蜜月、というひどくありふれた言葉がふいに頭の片隅でぼんやりと揺らいで、ふわふわと宙をさまようのを周は感じる。
 ひとりとひとりに過ぎなかったはずの『ふたり』が共に人生を重ね合わせていくことを決めてからの間もない時間に訪れる、人生の絶頂を指す言葉。
 満ち足りた月はその後、次第に欠けていく―変わらないものは、どこにもありはしない。それをことさらに恐れる必要などないことだって、ちゃんと知っているけれど。
 自分たちの間にもあったはずの『その時間』は、もうきっととうの昔に過ぎ去っている。
 ――ことさらに言葉になんかしなくたって、そんな実感をお互いに抱いているのは確かだった。

 共に暮らしを重ね合わせるようになって、三年の月日が経とうとしていた。
 つきあい初めての間もなくのふわふわと地に足のつかないような特別な高揚感のようなものはとうに過ぎ去り、『あの頃』の気持ちが如実に形を変えたいまでも周は誰よりも忍が好きで、忍もまた、おなじ気持ちを周へと手渡してくれることを何よりも信じていた。
 もうあの頃のように、すぐ傍らでおだやかな寝息を立てて眠る顔を見つめたその時、胸が詰まるような息苦しさに襲われることはない。
 子どもみたいな無邪気さで繰り返し好きだと言われるその都度、気恥ずかしさに心ごとおぼれてしまいそうにはならない。
 ―忍が側にいて笑ってくれること。いつだって掛け値なしのぬくもりだけを潜めた気持ちを差し出してくれること。
 そのすべてを『日常』へと着地させることができるようになったその証が、きっとそれだった。
 欠けていく焦燥のその隙間を埋めてくれるものが、ありふれた日々の中でひそやかに紡がれていく愛情としか呼べないもののかけらひとつひとつであることを、忍はこうして、やわらかに手を取り合うような形で周へと伝えてくれた。


「ずるいよね、周は」
 いつもそうするみたいに、なんの屈託もない無邪気さでにこにこと笑いかけながら忍は答える。
「周にほめられんのがいちばんうれしいって、わかって言ってるよね? それ」
 ささやき声を落としながらぎゅうぎゅう抱き寄せられると、いまさらみたいにきつく早鐘を打ち鳴らす心臓どうしがいちばん近くで重なり合う。
「いちいちひっかかるおまえもおまえだろ」
「あたりまえじゃん、すきだもん」
 笑いながら、すっかり手慣れた様子で覆い被さってくる。
「責任とってくれる? 身体で払ってくれていいから」
「……おまえなぁ」
 じゃれあいとわかる強さでTシャツの布地越しの肩を押し上げるようにすれば、途端にいじけた子どものような笑顔が返される。
「なんでだめなの? あまねのけち」
「だめじゃないけど」
「じゃあなに?」
 強気に笑いながら髪を掬う指先に自らのそれをきつく絡めるようにしながら、周は答える。
「……窓」
 ぽつりとかすかなささやき声でそう告げながら視線を向けたその先―全室オーシャンビューをうたうヴィラの寝室のカーテンは開け放たれたままで、さんさんと降り注ぐ日差しは部屋中をほの明るく照らし、その向こうには昼下がりの日差しをたおやかに跳ね返すエメラルドグリーンの水面が望まれる。
 ―開放的なのにも程がある、絶好のシチュエーションだ。
「だいじょぶだよ、閉めてあるし」
「そういう問題じゃなくて」
「プライベートビーチだって言ってたじゃん」
 そしてオフシーズンの平日だなんて絶好のこの日取りに、宿泊客は自分たち以外にはいないとそう告げられていた。
「明るい方がよく見えんじゃん、周のはだか」
 ちゅ、と音を立てるかわいい口づけと共に、すっかり手慣れた手つきでTシャツの裾を持ち上げられる。
「……はずかしくないわけ」
「そこはまぁほら、おあいこだし」
 忍の身体が好きなのはこちらとて同じなので、そう言われてしまうと返す言葉も見つかるはずもない。
「ごめんね、もしかしてやだったとかそゆの?」
「ちがう」
 ぶんと、首を横に振って、より確かに気持ちを伝えられるようにと首筋に絡めた腕をきつく引き寄せる。
 ほんの少し前の戯れめいた様子で落とされた口づけよりもうんと深く重ね合わせた唇からは、口にしたばかりのウェルカムフルーツのあまい香りがはじけていく。「……あまいね」
 名残を惜しむみたいになんどもしきりに重ね合わせたその後、唇の上を舌の先でなぞりながら、ぽつりと囁く。
「なんかあまい、いい匂いする」
 南国の果物のすこしけだるい甘い風味と、備え付けのボディソープの柑橘の匂い、それにまだ僅かに肌に残る潮の香り。
 くしゃくしゃに髪をなぞりあいながら、お揃いの香りが肌の上でソーダ水の泡かなにかのようにぱちぱちとはぜ、たおやかに溶け合っていくのにうっとりと瞳を細める。
「――だいすき」
 こくり、とちいさく頷きながら、布地の下へともぐらせた手のひらで素肌の上をまさぐる。
 触れたその先から、しっとりとやわらかな熱を帯びたそれは悦びに打ち震えていることを如実に伝える――この瞬間はいつまで経っても何度でも、ばかみたいにうれしい。
 手慣れた手つきで服を脱がせあって遮るもののない身体で抱き合えば、肌のあいだを伝って染み渡るように溶けていくかのような安堵感が全身をひたひたとくるむ。
 せっかく綺麗に洗い流したばかりなのに―やわらかく沈みあっていく肌はぐんぐんと汗ばんで潤んで、汚されていくばかりだ。
 それでも、そんなことこそがふたりにはたまらなくうれしいだなんてことは、もうずっと前から知っている。
「……安心して、食べないから。ね?」
 むさぼるように肌の上へとしきりに落とされる口づけのその合間、くすぶったささやき声がぽつりと落とされる。
 なんの遠慮もちゅうちょもなく子どもみたいにぎゅうぎゅうと抱きつかれると、むせかえるほどのいとおしさに身体ごと、心ごと流れ出して溶けていくかのような心地よさが全身をたおやかにくるむ。
 潤んだまなざしでじいっと見つめ合ったまま、交わしあう言葉はこうだ。
「いいけど、気が済んだらちゃんと交代な」
 こうして見下ろされたまま口づけの嵐に身をゆだねるのも悪くないのだけれど、深くつながりあって愛したいのはこちらも同じなので。
「もうちょっとだけね。したら交代だかんね」
 反則みたいにかわいい声でささやきながら肌の上をまさぐられるのにただ身を任せる。
 あまくくすぶった声に交わるように、かすかな波の音、それに、東京では聞いたことのない鳥の鳴き声がまじわる。
 しらじらと明るくひとけを感じさせないこの空気は、現実からぷつりと切り離されたような感覚をぐんぐんと色濃くしていくばかりだ。
 まるでこのベッドの上だけ無人島にでもなったみたいだ。
 次第に薄れてゆく意識と熱く溶けていく身体を横たえたまま、ぼんやりと投げ出した魂をきつく引き寄せてくれる腕の中に身をゆだねる。
 深く絡ませあう舌の熱さとやわらかさは、熟れすぎた果実みたいなふしだらなあまさを想起させる。
「ありがとう周。すきだよ」
「……うん」
 泣きたくなるような気持ちを押さえつけたまま、ぐっと握りしめた腕に力を込めて、ぐるりと横たえた身体を反転させる。
 隙間なんてすこしも出来ないようにぴったりと体重をかけるみたいにのしかかれば、あられもない欲望に駆られた熱が深く重なり合う。
 ああ、もうなんてはしたなくて、なんてかわいい。
 こらえきれない衝動に駆られるまま、赤く火照った耳元にうんと熱くくすぶった吐息をかぶせるようにしながらささやき声を落とす。
「抱いてもいい?」
「なんで聞くかな」
 冗談めかしたように笑う体をぎゅっと抱き寄せ、いい子いい子をするみたいにくしゃくしゃになった髪をかきあげる
「断るわけないじゃん」
「……知ってる」
 だってこんなにも愛してるから。もうずうっと前から。
「だいすきだよ、周」
「うん、」
 愛してる、と囁けば、返事の代わりのように背中に回された腕に力を込められる。
 こんなにもあきれるほど愛されていて、ほんとうにいいんだろうか。いっそ気が遠くなるほどのいとおしさに身をゆだねたまま、熱のありかを辿るようにそっと指先を潜らせるようにする。
 きつくまぶたを閉じながらもう何度目かわからない口づけを深く重ね合えば、くらがりの向こう側に焼き付いた景色の中には、周のいちばん好きな笑顔で笑ってくれている忍が見える。
 ――もうすこしも、怖くなんてない。



 つかの間の浅いまどろみから目をさませば、部屋中をくるんでいた陽の光はいつのまにかやわらかににじんだ橙の色に染め上げられている。
 波打つシーツの上に横たえられた肌に落ちる影にも、穏やかなその色合いは息づいている。
「静かだね、なんか」
 窓辺からは相変わらず、すこしリズムを変えたかすかな波音と鳥の鳴き声くらいしか聞こえてこない。
 自分たちの普段の暮らしがどれだけたくさんの音に囲まれていたのか―いまさらのように思い知らされるのを、あらためて肌で感じる。
「……まだ先かもしんないけど」
 すこしだけ汗ばんだ額の上を滑り落ちる前髪を指先で掬うようにしながら、周は呟く。
「今度はさ、もっと遠いとこにしよっか」
 それこそ丸一日かけてようやくたどり着くか着かないかのようなはるか遠い海のその向こうの、言葉も通じないような場所へ。
「周りいちめん海ばっかで、波の音と風と鳥の鳴き声くらいしか聞こえなくて」
 ――何もかも投げ出して気ままに陸みあうことくらいしか思い浮かばないような、そんな『退屈』を叶えてくれる場所へ。
「―あきるかもしんないじゃん」
「そういうのもいいじゃん、たまには」
 なんて子どもじみた願いだろうと呆れてしまうのだけれど、嘘偽りのない気持ちなのは確かだから。
 汗ばんだ肌の上にかすかに残った赤いしるしをやわらかに指先で辿るようにしながら、忍は言う。
「覚悟しててね、いっぱいうんざりさせるからね?」
「どういう宣戦布告なんだよ」
「そうじゃん、だって」
 ふちのにじんだ声で告げられるのは、こんな一言だ。
「いっぱいうんざりしてからもっかい好きになってもらうから。もういいって、呆れるくらいいっぱいね」
「しのぶ、」
 潤んだ瞳でじいっと見つめ合い、すぐさま言葉ごと飲み込むみたいに深くあまい口づけを交わす。
 しびれるようなあまさに酔いしれるままにぎゅっときつく瞼を閉じてみれば、視界の向こう側にはやわらかくにじんだまるい月が見える。
 満ち足りたはずのそれに落とされる影は、まあるく膨らんだ月を欠けさせて―そうして出来た影には、また新たな光が照らされていく。
「あきるまでいっしょにいよ、ね」
「……うん、」

 欠けたところなどひとつもないやわらかな丸い月は、音もなく静かにふたりを照らしている。

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