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調弦、午前三時

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Family Song(『蒼衣さんのおいしい魔法菓子』二次創作)









「ねっ、かわいいでしょう?」
 得意げな微笑みとともに投げかけられる言葉に、両サイドの『王子様』たちからはまんざらでもない、と言いたげな柔和な笑顔が返される。
 見たことのない顔だ。おそらくは、ネットかなにかの評判を聞きつけての新規のお客様だろうか。
 肩の上までの緩やかにカールしたつやつやの焦げ茶色の髪を揺らして嬉しそうに笑う女の子の姿に、思わずこちらまで笑みがこぼれ落ちる。
「このお店、インテリアもすごくかわいいですね。こんな住宅街にこんなにかわいいお店があるだなんて、近くだったらきっと常連になっちゃう」
 きらきらとまばゆく輝く瞳をしばたかせながら告げられる言葉を前に、カウンター業務に精を出していた東八代は満面の笑みとともに、自信たっぷりに答えてみせる。
「さすがお客様、お目が高い。当店のインテリアは本場フランスのパティスリーをイメージして、一部の資材には現地から取り寄せた物を使っています」
 パリの街角を彷彿とさせる石畳の床、木製のあたたかみあるショーケース、やわらかな水色の壁、レースのカーテンひとつだって――『魔法菓子店ピロート』に相応しい店構えになるようにと、見慣れない業界誌とのにらめっこに加えて、幾度にも渡る綿密なインテリアコーディネーターとの打ち合わせの末に完成したこの空間は、特に女性客にはとても評判が良い。
 八代とて、既に妙齢の妻子持ちとは言え、こんな風に可愛らしい女の子に満面の笑みで微笑みかけられれば当然悪い気分にはならない。
(まあ、そうとも言ってられなさそうだけどな)
 ぽつりと胸の内でだけそうひとりごちながら、両サイドの『王子様』へとちらりと目をやる。
 片側にはさらりと流れ落ちる深い栗色の髪にぱっちりと大きな瞳、色素の薄さを感じさせる滑らかな白い肌、どことなく柔和で中性的な印象を与えるルックスは当店お抱えの自慢のパティシエに通じることもなくはないのだけれど――若者らしい精悍さを感じさせてくれる、おそらく歳の頃は二十歳前後の男の子。その向かい側には、光に透けるプラチナブロンドに独特の微かに灰がかった深い青色の切れ長の瞳の瞳を持つ、彼らとおそらくは同年代の異国の青年の姿が望まれる。
 すらりと伸びた長い手足、ぱっちりとこぼれ落ちそうなきらきら輝く瞳を縁取る長い睫毛、そして何より、嬉しそうにまぶたを細めて笑う彼女の姿を見つめる、慈愛に満ちたまなざし。
 まばゆい王子様ふたりの態度をひとたび目にすれば、この可憐な『お姫様』が彼らにどれだけ慈しまれているのかなんてことが、ほんのひと時こうして接しただけでみるみるうちに伝わるようだ。
 いやはや、なにかの撮影の帰り道だと言われても疑いはしない。なんて絵になるお三方のお出ましだろうか。
「ねえ、カイはどれにするの?」
 ショーケースの中をきらめくまなざしでじいっと見つめながら投げかけられる問いかけを前に、傍の栗色の髪の王子様は答える。
「祈吏の好きなのでいいよ。僕のも分けてあげるから」
「嬉しいけどそれじゃダメなの」
 ぷうっと頬を膨らませてむきになった様子で答える姿を前に、ブロンドの王子様からは柔和な笑顔が返される。
「祈吏の言う通りだよ。ねえ、それならこれはどう?」
「それもいいけど、こっちの栗のケーキも良くない? 君も好きでしょ」
「じゃあ両方頼もうか? みんなで分ければ誰がどれを頼んでも問題ないよね」
 和気藹々とおしゃべりに興じながら吟味をする姿に、思わず笑みがこぼれ落ちる。
 イートインの客の入れ替えのためにと、狭い店内で待ちぼうけを食らわせてしまうのは申し訳ないけれど、こうしてご自慢のケーキひとつひとつをじっくりと吟味してもらえる姿を目の当たりに出来るのはやっぱり嬉しい。

(それにしたって、不思議な関係だな)

 手元の予約表の照会に勤しむふりをしながら、まばゆいお三方の姿をちらちらと盗み見る。
 遠い海外から日本を訪ねてくれた友人の案内――順当に行けば、おそらくはそんなところだろう。もう少し勘ぐらせてもらえば、どちらかが彼女の恋人なのだろうけれど。なんせ、こんなにもお似合いなので。
 それにしたって、この三人に流れる穏やかな空気は不思議だ。ドアを開けてひとめ目にした瞬間に感じた、まるで家族のような親密でリラックスした空気は、こうしてほんの僅かのあいだ側にいるだけの八代にも確かに『伝わる』のだから。


「八代、準備できたよ」
 店内奥、イートインコーナーの片付けに追われていた純白のコックコート姿のパティシエのかけてくれる言葉に、思わず目を覚まされたような心地を味わう。
「ああ、ありがとう。そちら三名様ご案内して」
 促すように視線を投げかければ、ブロンドの王子様を目にしたパティシエの視線には、ほんの僅かばかりの驚きと戸惑いの色が浮かぶ。そりゃあそうだ、無理もあるまい。都心部ならともかく、こんな平凡な住宅街に金髪碧眼の王子様の姿が望まれるだなんてことはひどく珍しいのだから。(それが当人にとっては失礼にあたることは、百も承知の上で)
「三名様ですね、お席の準備が整いましたのでご案内致します。そちら段差がありますのでお気をつけて」
「祈吏、平気?」
「大丈夫よ、ありがとう」
 何気なく伸ばされた手をごく自然にとってみせるその姿に、思わずほう、とため息が落ちる。
 さすが外国人、日本人男性よりもずうっとスマートに立ち居振る舞えるところは少しくらいは見習った方が良さそうだ。
 手慣れた様子で答えてみせる気の置けない態度ひとつとっても、彼らの親密さが手に取るように伝わる。
「なあ蒼衣、いまってほかにイートインのお客様っていたか?」
「さっきまでいたカップルふたりが帰ったところだから、いつものおばあちゃん三人組かな」
 小声で尋ねれば、返された言葉にぎくりとほんの少しだけ背筋が冷える。
「……なにかあったら呼んで、こっちで納めるから」
「えっ?」
 要領を得ない様子で小さく首をかしげる姿を前に、思わずほう、と気づかれないようにため息を漏らす。
「……いいから」
 小さく声をかけながら、促すように肘を突く。
「すみません、お席までご案内します。ドリンクのメニューも多数ございますので、よろしければゆっくりお選びくださいね」
「はあい」
 澄んだやわらかな響きでの返答に続くように、目配せを交わし合う王子様ふたりの姿に思わず安堵の笑みがこぼれる。
 感じのいい子達だな、本当に。あとは嫌な予感が的中せずに楽しんでもらえれば、それが一番なのだけれど。






「お待たせいたしました、ご注文のお品を――」
 三人分のケーキと紅茶を載せた銀のトレイを手に喫茶コーナーへと足を運べば、途端に聞こえてくるのはすっかりおなじみになってしまったおばあちゃん三人組の威勢のいい話し声だ。
「へえ、ロンドンからねえ~。ずいぶんハイカラな国から来なさったもんだねえ」
「飛行機ならすぐですよ。日本とも交流を深めている国です。おばあさま方さえよろしければ是非機会を作っていらしてください、いつでも歓迎いたします」
 流暢な日本語と共にふわりと笑いかける姿を前に、思わずどきりと胸が高鳴るような心地を味わう。日本語がずいぶん上手だから大丈夫、とは接客を請け負っていた八代から聞かされてはいたけれど、いやはやここまでのものとは。
 ちらりと一目姿を目にした時には現地調査にやってきた本場フランスのパティシエだろうかと勘ぐりもしたのだけれど、どうやらその予感ははずれでよさそうだ。
「あおちゃんや、聞いたかい? この外人さん、はるばるイギリスからいらしたそうだよ」
 きらきらまばゆい(八代曰く『お姫様と護衛の王子様ご一行』)お三方の隣のテーブルから身を乗り出すようにして会話に興じる常連客を前に、諫めるようににこり、とぎこちなく笑いかけながら蒼衣は答える。
「ヨキおばあちゃん、素敵な紳士とお会いできてうれしいのはわかるけど、あんまりお邪魔するのはよくないですよ」
「いえそんな、話かけてもらえて楽しかったのはこちらの方なので」
 打ち消すように笑いかけてくれる栗色の髪の男の子からは、試食にと渡したフィナンシェの魔法効果がまだわずかに残っているのか『気にしないで・大丈夫・ありがとう』の気持ちがかすかに伝わる。
「それならいいんですが。こちら、ご注文の秋風薫るシブースト、オータムフレーズドゥノワール、葡萄といちぢくのソワレの三点と、秋の香りの紅茶です」
「わあ」
 フルーツソースでの彩りとちいさな焼き菓子を添えたイートイン用のあしらいはショーケースで目にするよりもずうっと華やかで、目にしたお客様が思わずあげてくれる歓声は、いつでも蒼衣の心をこれ以上ない、というほどに高らかに踊らせてくれる。
「日本に来たら魔法菓子のお店に行こうねってずうっと誘われていて。写真では目にしていましたが、こんなに綺麗で華やかなものだなんて、改めて目にするとびっくりしますね」
 心からの賛辞の伝わる言葉と、三人からふわりと香り立つような『わくわくする・うれしい』の気持ちに、誇らしげな思いがふつふつとこみ上げるのを感じる。
「遠いところをはるばるご足労ありがとうございます。ご挨拶が遅れましてもうしわけございません、当店のシェフパティシエの天竺蒼衣です。こちらのお菓子にはそれぞれ特別な魔法がかけられています。どうぞ、お手元のフォークをお手にとってお確かめください」
「なんだか食べちゃうのが勿体ないね。ねえパティシエさん、これって写真を撮ったりするのはいいんですか?」
 そうっと首を傾げるようにして遠慮がちに尋ねてくれる態度を前に、にっこりと笑いかけながら蒼衣は答える。
「ええ勿論。よろしければSNSなどにもアップしていただけるとうれしいです」
 おきまりの文句を前に、傍らのおばあちゃんたちからは応援のような歓声が次々にかぶさる。
「そうじゃそうじゃ、魔法菓子はえすえぬえすでナウなヤングに大人気じゃからなぁ。えんすた映えじゃろう?」
「あおちゃんのケーキは見た目は勿論、味も抜群じゃからなぁ。そこも宣伝してもらってますます繁盛してもらわにゃなぁー」
「……おばあちゃんたち、気持ちはありがたいけどそれは」
 自分の手の届く範囲で丁寧に、納得のいくお菓子を提供していきたい。そんな蒼衣の信念を、オーナーであり、唯一無二の親友でもある八代はじゅうぶんすぎるほどわかってくれている。
 経営者たるもの、店を大きくしたり、チェーンを増やしたりといった野心はないのだろうか、自分のこの『狭い世界を守りたい』という内にこもった考えは彼の妨げになってはいないのだろうかという懸念に襲われたことだって何度もあるのだけれど、素直にそう告げた時の『蒼衣のやりたい店づくりを誰よりも尊重する』という飾り気なんてかけらもない言葉を誰よりも信じて宝物のように胸にしまっているのもまた、かけがえのない事実だ。
「ごゆっくりどうぞ。何かご用事がありましたらお申し付けください。おばあちゃんたち、あんまり皆さんのおじゃまをしちゃだめですよ」
 ぱちり、とまばたきと共に告げながら身を翻せば、すぐさま聞こえてくるのは、かちり、とフォークとお皿のぶつかる音。それに、とびっきりのやわらかなぬくもりに満ちた歓声だ。
「わあー」
「すごーい」
 おいしい、うれしい、楽しい。途端に流れ込んでくる飾り気なんてかけらもない気持ちのかけらたちに、心はたちまちにふわりと穏やかに包み込まれる。

 万人に受けるものなど存在しないのだということ。
『魔法菓子』が所詮、見かけ倒しで味は二の次の子ども騙しだと偏見を抱く人がいまだ多数存在するのだということ。

 頭ではいくらわかっていても、そういった『世間の目』を目の当たりにするその度、幾ばくか傷ついてきたことは確かなのだ。
 それでも蒼衣は、菓子職人という時にシビアさに胸が詰まらされるようなこの職業を・たったひとりのシェフパティシエという、重荷とも言えるこの立場を心から愛し、誇りに思っている。
 必死に抑えつけているつもりの魔物の姿が片隅をよぎるその度、蒼衣を勇気づけてくれるのは、お客様がくれる、とびっきりの喜びに満ちたこんな態度ひとつひとつだ。
 無償の愛とも言えるそれは、いまや蒼衣の人生からは切っても切り離せない何よりもの宝物なのだから。

(……それでも緊張するんだよね、やっぱり)

 初めてのお客様が魔法菓子にがっかりしないか、現れる不可思議な効果に不快感を感じないか。
 心配の種が尽きない蒼衣には、気持ちが『伝わる』この特異体質は時に厄介なものでありながら、何よりもの救いになっているのもまた事実なのだ。
 ふぅ、と思わず安堵の息を吐きながらコックコートの皺を伸ばしていれば、見透かしたかのような強気な笑顔と共に、店長である八代はパン、と勢いよく蒼衣の肩を叩く。
「おいおいどしたー、辛気くさい顔しやがって。まぁた心配ごとか? 蒼衣のケーキは世界一に決まってんだろ?」
「八代……」
 そんなこと言ってくれるのは君だけなんだけど。いつもの弱気と甘えを飲み込むようにぶざまに口ごもるこちらを前に、おなじみの強気な笑顔を浮かべたまま、八代は答える。
「あのお姫様と王子様たちだろ? なんでもネットで見てきてくれたんだってさ。見た目も味も折り紙付きのとびっきりわくわくするケーキ屋があるから、今度日本に来れたら絶対案内するからって約束してたんだってさ。それもこれもSNSで拡散してくれるみんなのおかげだよなぁ」
「……すごいんだね、相変わらず」
 それはそれは、よくわからないけれどありがたいことこの上ない。ひとまずの安堵のため息と共に、ぽつりとささやくように蒼衣は答える。
「それはいいけどなに、その王子様とお姫様って呼び方」
 お客様の噂話だなんて、あんまり感心できたことではないので。思わず声を潜めるようにして尋ねれば、心なしかトーンを落とし気味に返されるのはこんな返答だ。
「だってそんな感じしたろ~? みいんなきらっきらっしちゃってさぁ。まぶっしいたらありゃしないじゃん。まぁおまえだってケーキの王子様みたいなもんだけどなぁ」
「……八代」
 まったく、君ってやつは。あきれるこちらにも気づかないままに、ガハハと、豪快に笑いかけながら肩を叩かれば、照れくささと恥ずかしさでぼうっとのぼせたような心地を味わう。
 ――すらりと伸びた体躯、どことなく上品で清潔感のあるおしゃれな装い、きらきらきらめく大きな瞳、女の子特有のぱあっと花の開いたようなまばゆさ。
 こんな地方都市では物珍しい(失礼は承知の上で)金髪に碧眼の外国人を交えたあまりに絵になるお三方の組み合わせに、まるで絵本か何かから飛び出してきたようだと思ったのは確かなのだけれど。
「お客様にあだなをつけるのは感心しないな」
 一応の牽制の言葉をかけてみれば、ちぇーっと子どものような拗ねた笑顔が返される。
 ――まったくもう、この店長ときたら。


「すみません、お水のお代わりは――」
「へえー、それでねえ。最近の子はしっかりしてるもんだねえ」
 頃合いを見計らうようにと喫茶スペースの様子を覗き見れば、八代曰く「王子様とお姫様」たちとおばあちゃん三人組の間では和やかな談笑がいまだ続いている様子だ。
 それぞれから漏れ出る『楽しい』の気持ちからは、どうやら迷惑には思っていないらしいと伝わるのが何よりもの救いだ。
「そんな風に言ってもらえるなんて、勿体ないです」
 遠慮がちに笑いながら答える栗色の髪の青年からは『はずかしい』『うれしい』の気持ちが伝わる。
 どうやら彼もまた蒼衣にすこし似て、真正面からの賞賛を浴びるのは照れくさい性分のようだ。
「お楽しみのところ失礼します。おばあちゃんたち、そろそろお水のお代わりがいるころでしょう?」
 すっかり嵩の減ったグラスを前に、銀のポットに入った水をなみなみと注ぐ。気の置けないおしゃべりに興じるお三方の手元のカップとグラスは、もうすっかり底が見えている。
「おうあおちゃんや、気が利くねえ」
「そうそう、あおちゃんはやっちゃんと違って『べらべら喋ってないでとっと解散!』だなんて言わないもんねえ」
「まぁそりゃあ、みなさん大事なお客様なので……」
 満席の時には声をかけさせてもらう時だってあるけれど、大切なお客様はむげには扱えない、というのは蒼衣の性分だ。(八代に「甘い」と言われることはしょっちゅうだけれど)
「それより、さっきからそこのお嬢ちゃんに聞きたいことがあってねえ」
「なんでしょうか?」
 にっこりと首を傾げて見せる可憐なお姫様を前に、三人の中でもひときわ噂好きで知られるヨキおばあちゃんが投げかけるのは、こんな一言だ。
「その素敵な王子様のどっちがお嬢ちゃんの彼氏なんだい? それとも、そんないい男二人に囲まれてちゃあどっちも選べないのかい? 最初に見た時から気になってねえ~」
 ねえ? あんたらもそうだろう? 得意げな満面の笑みで告げられる言葉を前に、両サイドを囲むコトおばあちゃん、キクおばあちゃんたちにはたちまちに好奇に満ちた笑顔が広がる。――勿論、当のお三方に広がるのは打って変わっての困惑の表情だ。
 ……気にならないわけではないけれど、さすがにそれはちょっと。
 途端に広がる『困った』『どうしよう』の気持ちに、蒼衣の胸の内にもさめざめと冷たいものが広がる。
「ちょっとおばあちゃん、そういうのは――」
「あの、」
 ぎこちなく咎めるように言葉をかける蒼衣、それを制しようと僅かに震えた声を発する栗色の髪の青年――どこか緊迫した空気をやわらげるように、金色の髪の『異国の王子様』の言葉が広がる。
「こちらもきちんとご紹介をしていなくて申し訳ございません、彼女は僕の妹です」
 どう見ても血のつながりを感じさせない彼らふたりの容貌を前に戸惑いを隠せないおばあちゃん三人組と蒼衣を前に、堂々とした態度で彼は答える。
「婚約しているんです、僕たち。彼女は彼の双子の姉です。僕は彼らよりもひとつ年上なので、彼女の義理の兄にあたります」
 答えながら、傍らの彼の手をそうっと手に取ってみせる。そうっと重ね合わせられたしなやかな指先には、よくよく見れば真新しい銀の指輪が光る。
「えっと……そうなので」
 うつむいたまま、見る見る内に顔を赤らめる彼からは『はずかしい』と、それ以上の『うれしい』の気持ちが伝わる。
 すこしだけ困った風に笑いながら、『お姉さん』であり、『妹』でもあるのだという彼女は答える。
「わたしたち、家族なんです」
 誇らしげにきっぱりと答えてみせる姿には、迷いなどかけらも存在しない。




「本当に失礼致しました。常連なもんで、僕たちもつい甘くなっちゃって。店長からもよく言って聞かせてありますので。ほんと、悪気はないんです――だから許してあげてくださいだなんて、むしのいい話だとは思うんですけれど」
 恐縮しきった様子でしきりに頭を下げてみせる蒼衣を前に、当の三人からはほがらかな笑顔だけが返される。
 あんまり萎縮すれば却って気を使わせるだなんてことを、きっとわかっているのだろう。先ほどから伝わるのも『気にしないで』『ありがとう』の気持ちばかりだ。
 ――まったく、どちらのほうが大人なんだろう。
「いいんです、そんなの。ちゃんと聞いてもらえた方が、こちらからちゃんと話せるから」
 はずかしげなそぶりを隠せないままに、それ以上に誇らしげに胸を張って答えて見せる栗色の髪の彼の姿は、清々しさに溢れているかのように見える。
「ごめんなさい、今更ですけれど改めて、お名前をお聞きしてもいいですか? 僕は天竺蒼衣といいます。先ほどもお伝えしたかとは思いますが」
 コック帽を取りながらぺこりと頭を下げてみせれば、それぞれに綺麗なおじぎが返される。
「伏姫海吏です。こっちは祈吏、僕の双子の姉です。彼はマーティン」
「彼の婚約者です」
 ほがらかな会釈とともに告げられる言葉に、なぜだかこちらまで胸が高鳴るような心地を味わう。
「海吏くんに祈吏ちゃん――綺麗なお名前ですね、対になっているところもすごく素敵だ」
「天竺さんも素敵なお名前ですね。蒼衣さんだなんて、ぴったりです」
 にっこりとやわらかな微笑みにくるまれるようにして届けられる祈吏の言葉に、思わずぽうっと胸の片隅が温かくなるような心地を味わう。
「あの、よければ僕のことは蒼衣と――いや、そうじゃなくて」
 こほん、と取り繕うように咳払いをした後、蒼衣は答える。
「……よくあるんですよね、ああいうのって。だからなんていうのか、余計に申し訳なくって。おばあちゃんたちにはちゃんと話しておいたので、これからはもう大丈夫だと思うんですが」
 とうに食事を終えていたおばあちゃんたちには八代からの丁寧なお説教付でひとまずきょうはこの場を後にしてもらったが、少なからずのしこりが残ってしまったのは確かなはずだ。
「――失礼に聞こえてしまうと申し訳ないのですが」
 丁寧な前置きの後、蒼衣は答える。
「共学の学校に通っているとよくあることだと思うんですが……気があうかどうかなんてことと性別は本来関係ないことでしょう? そのはずなのに、女の子のクラスメートと喋っているだけで、やれ『できてるの?』だなんて面白がってはやし立てられることがよくあって。お互いそんな気、ちっともないのに」
 じいっと耳を傾けてくれていた様子の海吏からは、ちいさく「ああ」の声があがる。こればっかりは日本の悪しき習慣なのだ、嘆かわしいことだけれど。
『女性的』と評されることの多いルックスに加え、物腰の柔らかさや穏やかな気象、それに加えて、気の強い母や妹に囲まれて女性に慣れていたことも相まってなのか、あまた多くの男性へと抱く警戒心をゆるませる作用が蒼衣にはあるのだろう――互いに特別な感情はなくとも、『気安く心を許せる相手』として蒼衣に接してくれる女性陣は、特に学生時代には周囲の男性よりも多くいた。
 そういった蒼衣の立ち居振る舞いを快く思わない周囲からのやっかみや噂話に辟易とさせられたことが一度や二度ではないことは、古くからの親友の八代には周知の事実だ。
「やれ男女がふたりでいるだけで『そういう仲』だなんて決めつけようとして――まぁ学生の時分ならそれも仕方ないとは思うんです。年頃なんだし。社会人になってやっとそういうのも落ち着いたのかな、なんて思えば、今度は『適齢期』だなんて言葉が囁かれるようになって。いい人はいないの? そろそろ身を固めたら? 出会いがないのならお見合いでもしたらどう? って。そりゃそうですよね、同じ歳のオーナーはとっくに結婚もして子どもだっているんだから。身を固めないでふらふらしてるだなんて、後ろ指を刺されても仕方ないはずです。あのおばあちゃんたちにもそんな風に言われたことがたくさんあって。その度に八代が――オーナーが、『そういうのはよくないよ』って助けてはくれたんですが」
 まだ若い三人にはさほど実感も湧かないことだとは思うのだけれど――神妙な面もちを繰り広げる彼らを前に、打ち消すようにぎこちなく笑いかけながら、蒼衣は続ける。
「悪気があってじゃないんですよね、きっと。おばあちゃんたちはそうやってそれぞれに命を繋いで、幸せな家族を作って――だから、みんなにもそうやって、目の前にある幸せを逃しちゃだめなんだよってそう教えてくれてるつもりなんだろうなって。でもきっと、それだけじゃなくって――なんて言えばいいんだろうな。難しいですね」
「蒼衣さん――、」
 やわらかなまなざしをじいっとこちらへと傾けながら名前を呼んでくれる海吏からは、『ありがとう』の気持ちが手に取るように伝わる。
 きっぱりとした様子でかぶりを振ったのち、『お姉さん』の顔をした祈吏から告げられるのは、こんな言葉だ。
「わたしとカイは、子どもの頃からずうっと家族で――これから先もずうっと一緒にいられるって、そう思ってて。でもわかってたんです、ほんとは。ずっと『そう』でなんていられないんだって。だからずっと不安だったんです。カイに大切な人ができたら、もう『お姉ちゃん』の役割は終わりなんだって。私はいらなくなっちゃうんだって、大人になるってそういうことなんだって。でも、そうじゃなかった。わたしたちが家族なのはなにがあっても変わらないんだって、カイの大切な人はわたしの新しい大切な人で、それでいいんだって。わたしたちみんなが新しい家族なんだって――それを教えてくれたのが、彼なんです」
 照れくさそうに瞼を細めながら注がれるまなざしの先には、彼女の最愛の『お兄ちゃん』の姿が望まれる。

 ――ずっとそばにいたいと思える大切な相手と『家族』になる。
 そんな当たり前のことがこの国ではいまだに認められていないだなんて事実はまだあるのだけれど、それでも。
 ただあたりまえにそこにあることを『知らない』のと、『知っている』のとでは大違いだ。
 これがおばあちゃんたち三人組にとっての新しい気づきになることはきっと、確かなはずだから。

「見ただけじゃわからないなんて当たり前のことですよね? 当たり前みたいに『親子だ』『夫婦』『友だち』だって思って見てるふたりがそうじゃないなんてことくらい、ほんとは日常茶飯事なんだと思うんです。『そうじゃない』時なんていくらでもあって、そのことに傷つくことはきっとたくさんあって――でも、だからこそさっきみたいに、ちゃんと知ってもらえて嬉しいなって思える時がきっとたくさんあって――」
 遠慮がちに言葉を探す傍らの彼に寄り添うかのように、婚約者であるプラチナブロンドの王子様は、かすかに震えた掌をそうっと握りしめる。
 大丈夫? うん平気、ありがとう。小声で囁くように言葉を交わしあう姿に、胸のつまされるようなぬくもりと慈愛がこみ上げるのを肌で感じる。
「日本にいられる間に、せっかくだから三人でたくさん思い出を作ろうねって約束してたんです。このお店のことは祈吏が教えてくれて。綺麗で美味しくて楽しい魔法のお菓子屋さんなんだって、ずっと行ってみたかったけど、せっかくの特別な体験になるんなら最初に行くのはみんなで一緒がいいって言ってくれて」
 きっぱりと決意を込めたような明るい笑顔を手向けながら、王子様(としか言いようがないのだから、仕方あるまい)は答えてくれる。
「ありがとうございます、忘れられない大切な思い出が出来ました」
 心からの言葉と共に流れ込んでくる『ありがとう』の思いに、あふれんばかりのぬくもりが胸に迫る。
「ありがとうございます。ピロートをお選びいただけて本当に光栄です」
 誇らしげな気持ちもたっぷりに答えれば、言葉以上のあたたかな思いは、たちまちに胸の中を駆けめぐる。

 日々の暮らしの中に『少しだけ特別な日常』を彩るお菓子を届けること。
 訪れてくれた人にとびっきりの温かくて心地よい思い出をプレゼント出来る場を作ること。
 蒼衣と八代が何よりも大切に『洋菓子店ピロート』に込めた思いはありのままに伝わっているのだということを、掛け値なしの笑顔と、溢れ出す思いは如実に伝えてくれる。
 こんな嬉しいことが、ほかにあるはずもない。





「そんな予感はしてたんだよなぁ」
 日課の閉店作業にも一区切りがついた頃、帳簿の表紙をぱたりと閉じながら八代は答える。
「言ったろう? なんかあったら呼んでくれって。先に釘でも刺しとくべきだったよなあ」
 なるほど、『納める』というのはそういう意味だったらしい。約束通りにおばあちゃんたちへのお説教役に当たってくれた八代からは、苦笑いと共に『参った・後悔』の気持ちがふわりと伝わる。
「まあ俺もな、あのばあちゃんたちのことは言えないわけだわ」
 珍しく気弱な態度を見せる親友を前に、かぶせるように蒼衣は答える。
「いいじゃないの。君らしくないよ」
「だーからー、人にはそうやって励ましていい時とそうじゃない時ってのがあるの。まぁさ、君の気持ちはありがたいんだよパティシエくん?」
 肩を落とす姿を見ながら、それでもどこかしら安堵がこみ上げてしまう自分をすこしだけ情けなく思う。
 いつだって前向きな八代がこんな風に弱音を吐き出してくれるのもまた、信頼のおける相手として自身を認めてくれている証であることをちゃんと知っているからだ。
 すこしだけぬるくなったコーヒーにそうっと口をつけた後、蒼衣は答える。
「……懐かしかったんだよね、僕は」
 八代は感じなかった? 目配せとともにそう尋ねてみれば、要領を得ない様子の首を傾げた仕草が返される。
「どういうことだ?」
 ぱちり、とまばたきとともに告げるのはこんな返答だ。
「ほら、君たちが結婚する前から時々あったじゃない。ああやって三人で出かけたこと」
 八代の妻である良子とは恋人時代から『気の置けない親友』として紹介されていたこともあり、ちょっとした食事や日帰り旅行などに蒼衣も共に連れだつことは珍しくはなかった。
 ふたりの間に愛娘が生まれ、共に店をやるようになったいまではその頻度もずいぶん減ってしまってはいたが、蒼衣と八代夫妻、そして娘の恵美を含めた『四人家族』でのおつきあいは今でもゆるやかに続いている。
 なにひとつ欠けたところなど存在しない、理想的で幸福な『家族』――そこにあたりまえのように与えられた『居場所』を、不満に思ったことなんてあるわけはないのだけれど。
「ほんとうはさ、ずっと不安だったんだよね。良子さんと八代は家族になったんだから『他人』のおまえはいらないって、いつ言われるんだろうって。八代はそんなやつじゃないって頭でいくらそう思おうとしたって、人っていくらでも変わっていくもんだしね」
 心から信頼できる相手と出会い、『家族』を育み、そうして蒼衣ひとりの力では決して成し得ないことをやり遂げて悠々と羽ばたいていく――八代だから出来ること、をまぶしく思う反面、その過程で『おまえはもう必要がない』と切り捨てられる覚悟はいつだって胸にしまっていたのだ。
「……蒼衣、」
 思わず漏らした『本音』を前に、傍らの親友からは、戸惑いを隠せないようすのまばたきがゆっくりと返される。
「――そんなこと考えてたんだな、おまえ」
「そりゃあまあ、嫉妬大魔王ですから」
 感慨深げな返答を前に、わざとらしくおどけた口ぶりでいつぞや八代当人に呼ばれた名を名乗れば、名付けの張本人からは途端に気まずそうな苦笑いが返される。
「おまえなぁ、もしかしなくても根に持ってんのか~?」
「そんなわけないじゃない。こんな風に言えるようになったのもむしろ成長の証だと思うんですけど?」
「おまえも言うようになったよなあ~~」
 心底困った様子の、それでもどこかしら嬉しそうにも見える屈託のない口ぶりで返される言葉を前に、返事の代わりのようににっこりと微笑みかけることで答えてみせる。

 自分よりも大切な人が出来れば、もう自分の役割は終わってしまう。
 ずっと『お姉ちゃん』でいた彼女が感じたものにもよく似た寂しさは、蒼衣の胸のうちにも少なからずあったものだ。
 それでも、異国から訪れた王子様が彼女を『妹』だと迎え入れてくれたように、八代は『かけがえのない大切な相手』である蒼衣のために、何よりものとびっきりの居場所を、そこでしか果たせない役割を与えてくれた。
 この関係には彼らのような名前はなくとも、何よりもあたたかな、かけがえのない絆があることは代え難い事実なのだから。

「いいなぁって思っちゃったんだよね、なんか。すっごく幸せそうだったじゃない?」
「……ほんとになぁ」
 瞼を細めるようにしながらぽつりと囁く八代の胸の内からは、いつの間にか先ほどまでの暗雲のような思いは消え去り、『よかった』『うれしい』の気持ちだけがやわらかにただよう。
「なんて言うのかさ。――勉強になるよね、ほんと。こんな風に言っていいのかはわかんないんだけど」
「まぁな」
 にこりと柔和に微笑みかけてくれるまなざしからは、魔法菓子の力に頼ることなどなくとも、『わかるよ』の気持ちが何よりも伝わってくる。
 不思議な力なんて少しもなくたって、いつでも『わかろう』と最大限の努力と共に不安定に揺れる蒼衣の心に寄り添おうとしてくれた八代のこの気持ちこそが、いつでも蒼衣の、何よりもの心の支えなのだ。

「また来てくれるといいね」
「ああ」

 今度来てくれた時には出来れば、とびっきりのお祝いを用意してあげられたらいいのにな、と思う。
『新しい家族』になるのだという彼らに、その先に続く、輝かしいはずの未来に。


 いくつもの温かな想いを優しく溶かしあいながら、今宵もまた、ピロートの長い一日は終わりを遂げようとしていた。










蒼衣さんは「家庭の不和や人生の躓き、それらに寄る心の傷を抱えたままゆっくりと歩みを進める物静かで傷つきやすく繊細でとっても優しく物腰穏やかなパティシエの蒼衣さん」(なんだかどこぞの誰かのようなシンパシーを感じますね)と、「そんな彼を親身に支える明るく無邪気でいつでも貪欲で前向きかつパワフルな一児の父で洋菓子店オーナーの八代さん」(どこぞの誰かと似ている部分がなくもないですね!)による心温まるヒューマンドラマです。




ここはピロートではなく難波のアルション。


同人誌版を読んでいたらなぜだか二次創作が生まれ……だって木村先生のこの美しくて可愛いピロートのカウンター前風景見てたらいのりんもピロート行きたいっていうから。笑笑笑

「蒼衣さんのおいしい魔法菓子」同人誌版はこちらでどうぞ。



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