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調弦、午前三時

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終わりの季節

ほどけない体温、周と忍。
はじめてのその時と、いま



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「じゃあまた、よろしくね」
「ん、また連絡すんね」
 ひらひらと軽やかに手を振りながら、泳ぐような軽やかさで人並みに消えていく影をぼんやりと見送る。
 ふんわりウェーブのかかったセミロングの赤茶の髪、華奢な丸い肩を滑り落ちるレース編みのロングカーディガンにチュールのスカート、なだらかなまあるいカーブを描く一重まぶたの瞳に、つやつやしたローズピンクの薄めの唇、すこし控えめな笑い方に、ウイスキーのかけられたバニラアイスみたいな甘くてすこしだけくすぶった声色。
 ――品定めめいた言い方をさせてもらうことがどれだけ不躾なことなのかは承知の上で、申し分ない相手だった。ほんの数分のやりとりでも、じゅうぶんすぎるほどに『それ』は伝わる。
 向こうからこちらへとしきりに注がれていた期待に満ちたまなざしだって、そりゃあまあ。

 いい子だった、すごく。そりゃあ勿体ないほどの。
 さて、どうするのだろう、これから。
 自らに降りかかったことのはずなのに、どこか他人事めいた感慨にふけりながら手にしたスマートフォンの暗転させたままの画面をじいっと眺める。

 手順なんて、説明されなくたって知っている。帰りの電車の中からでも『きょうはありがとう、よろしくね』なんて早速連絡を送って、まずは性急になりすぎないように気遣いながら次の約束を取り付けて――昼間のうちに、どこか馴染みの場所でコーヒーでも、なんて。
 それから、それから――
 幾度となく繰り返してきたはずの『正解』を前に、どこか呆けたような心地を味わう。
 それでいいんだろうか、本当に。
 ――そうしてきっと、また繰り返ししてしまうのは目に見えているから。
 恐れていたって何も変わらない。変わるつもりがないことを言い訳してしまうことの無意味さだって、そりゃあもう、痛いくらいに。
 だめだなあ本当に、始まる前からもう『終わる時』のことなんて考えている。
 こんな気持ちなんてきっと、自分のために過ぎないものなのを知っている。

 迷いを振り払うようにぶん、と乱暴に頭を振って、ぐるりを見渡す。
 ふいに視線の片隅に留まったのは、壁際にもたれかかるように所在なさげに佇む、見慣れない顔だった。
 ――誰だっけ。確かさっき誰かに話しかけられていた気がするけれど。
 ぱちぱち、とまばたきをしながら、遠目にぼんやりとようすを伺うようにしてみる。
 滑らかに削り出された石膏像みたいに整った顔立ち、洗いざらしのくせのない黒髪の隙間からそっと覗く、伏し目がちにされた切れ長の瞳、しゃんと伸びた背筋に、目立ったところはないけれど、すらりとした体躯にすっきりと馴染んだ、きちんと選び抜かれたことがわかる、清潔感がありながら適度に着崩された服装。
 よくよく目にしなくたっていかにも女の子たちが放っておかなそうなように見えるのに、わざとらしく自らの存在感をかき消しているかのように見える静かな翳りを纏うその姿は、いやにくっきりと浮かび上がって見える。
 ――話しかけてみようかな、絶対警戒されるだろうけど。
 一歩踏み出そうとしたそのタイミングで、絶妙に間を読んだかのようによくよく見知ったその姿が覆いかぶさる。

「シューウ」

 雑踏の中でもはっきり届く耳に馴染んだ声を聞いた途端、あやふやだった像がくっきりと影を結ぶ。
 そうそう――『シュウ』
 生真面目でぶっきらぼうだけれどいつでもすごく優しくて面白い子――歳は確か同じ、大学の四回生。
 ほら、ちゃんと見つかった。きっかけが。
 ひらひらと軽やかに手を振りながら消えていく影をきちんと見送ったその後、そろりそろりと近づく。

「ねーねー」
 努めて明るく尋ねれば、警戒心に揺れるまなざしがじいっとこちらを捉える。そりゃそうだよね、わかってるけれど。
 ふるふる、と音もなく震える澄んだ瞳(灰色がかった深い焦げ茶は、カラーコンタクトでは現せない深みのある色でとても綺麗だ)を怯まずじいっと見つめるようにしながら、あらかじめ用意しておいた質問を投げかけてみる。
「シュウってさ、どんな名前なの?」
 途端に怪訝そうに瞳を逸らされ、口ごもられる――ここまでは、概ね予想通り。
「ねー聞いてんじゃん? シュウタロウ? シュウゾウ? シュウジ?」
 怯まずに問いかけをかぶせれば、いかにも億劫そうに、ぽつりと投げ捨てるように目の前の彼は答える。
「あまね」
 円周率のシュウで、周。おそらく何千回も繰り返してきたであろう自己紹介を耳にしたその途端、ぼんやりとピントが霞んでいた像はたちまちに身を結ぶ。
「いい名前なのにね、勿体無くね?」
 字面も含めて目の前の彼にはすごく似合っているのに――シュウタロウだなんて予想よりもずっと。
 しげしげと『シュウ(仮名)改め周』をじいっと見つめれば、固くひき結んだ唇が頑なに言葉を閉ざすのとは裏腹に、切れ長の澄んだ瞳はまじまじとこちらを捉えている。
 ちくりと突き刺すような鋭いそのまなざしは、それでも不思議と心地よい。

 円周率の周で、あまね。
 なんていい名前だろう、口に出して呼びたい。ほかの誰かに呼ばせないようにしているのだとしたら、なおのこと。






 当たり前に過ぎていくかのような季節をいとおしむように数えるようになることは、共に過ごしたい大事な相手がいることの何よりもの証だと思う。
 隣を歩く相手の横顔をぼんやりと見上げながら、気づかれないようにふっとため息を吐き出す。
「よかったよね、こんだけいい天気で。今年は雨も降んなかったもんね」
「だな」
 浮き足立った気持ちを抑えられないまま、スニーカーのつま先でちいさな石ころを蹴る。
「こんだけいい日だと投票率あがんだろね、お花見のついでにちょっと寄ってこっかなって気分になんじゃん。そゆのでいいんだよね、きっと」
 選挙への参加は国民の権利で果たすべき義務――とはいえ、億劫に感じない時がなかったと言われたら嘘になる。あいにくな悪天候に見舞われでもしたら、そりゃあまあ容赦なく。
「かもな」
 言葉少なに答えながら、漂う目線はひらひらと風に舞うかすかに色づいたはなびらを追いかける。
「小学校ってさ」
 まぶしげに目を眇めるようにしながら、恋人は答える。
「こんななにもかもちっさかったんだなって。そんだけ大人になった証だってわかっててもなんかおかしいなって。縁もゆかりもないとこに勝手に入っていいっていうのもなんかおかしな感じだよなって、いっつも思う」
 数年前の統廃合で廃校になったのだという小学校はもう通う子供たちもいないはずなのにどこもかしこも白々しいほどに綺麗で、遊具の撤去された跡がくっきり残るがらんどうのグラウンドや、数年前までは長きにわたって幾人もの子供たちを見送っていたのであろう満開の桜が悠然と咲き誇るさまは、身勝手な感傷とはいくらわかっていても、どこかうら寂しい気持ちを駆り立てさせる。
 壁にかけられた卒業生による石版画には『昭和●●年』の文字が刻まれていた。あの子供たちはもう、とっくの昔にりっぱな大人になっているはずだ。
「花壇とかもすごい立派だよね、ぜんぶ綺麗に咲いてんじゃん。誰が世話してんだろう。近所の人とか? 先生じゃないよね」
 誰かの手入れが施されなければ、守るべき人間がいなくなった空間はあっという間に朽ち果てる。
「……やさしいよね、なんか」
「あぁ、」
 本来の役割を終えたがらんどうの建物を、それでも守り続けている人たちがいること、こうしてたくさんの人が訪れる特別な一日の役割を与えられていること、そのすべてが。

 また次の選挙の日に、きっと。
 さざめき揺れる花を見送りながら、もう誰も通わなくなった校門をそっとくぐり抜ける。
 ふたりで過ごす三度目の春はまたこうして、穏やかに過ぎていく。

 遠回りをするようにゆっくりと歩きながら、春の空気をたっぷりと胸いっぱいに吸い込む。
 普段なら足を運ばない団地の周りにも、古ぼけた遊具が並ぶ公園にも、見知らぬ誰かの家の軒先にも――あちらこちらに点在する桜は、みなそれぞれにめいっぱいに咲き溢れては、目にする世界をあたたかな色で染め上げてくれる。
「走馬灯ってあるじゃん」
 かすかな風にゆらりと揺れる花を見上げながら、忍は呟く。
「周のこといっぱいみんだろなきっとって思って。佳乃ちゃんとかみんなには悪いんだけど」
「……どしたんだよ、いきなり」
 動揺を隠せないようすの横顔をじいっと見上げるようにしながら、ぽつりとかすれる声で答える。
「なんかほら、桜ってそんな感じしない? はなびらがふわって散って、雪みたいになってる時とか」
 白い光の中でちらちらと舞い、その身を果てさせるその姿はどこかしらぞっとするような美しさで、終わりの景色を連想させるかのように見えるから。
「最初に会った時さ、周すごい警戒心丸出しの顔してたじゃん。そりゃそうだよなって思ったけど――じいってこっちのこと見てて、黙ってんだけど、瞳の奥にチリって光ってるみたいな鋭い色が見えて、綺麗だなって思って」
 ――もうとっくの昔に、あのちりちりと焼け焦げるように熱く、それでいて燻んだ冷たさを孕んでいた冷徹な色は消え去ってしまった。
 あの瞬間、あの時だけの周にはもう二度と会えない――あれはそう、『一度目の秋』の始まりだった。
「思い出すんだろなって思った。あん時の周と、それから後と、いちばん新しいいまの周と、ぜんぶ。いっぱいあるからさ、どれにしたらいいか悩むんだろね」
「……選べるもんじゃないだろ」
「でもさぁ」
 かすかに浮かんで見えた憂いを打ち消すように、強気に笑いかけながら続けざまに言葉を投げかける。
「絶対わかってるもん、ぜんぶおぼえてたい時間だから」
 傷つけたことも、取り返しのつかないことも、そのすべてを許してくれた途方も無い優しさも、みんなすべて。
「おぼえてるよ」
 ――いつか会えなくなってもちゃんと。夢のように美しく彩られた、ふたりだから描けた日々を。数え切れないほどの分け与えてくれたものを。
「きれいだね」
「……ん、」
 立ち止まり、じっと満開の花々を見上げたまま、ぼうっとため息を漏らす。
 これが三度目の春で、三度目のふたりで見る桜で――これが『最後の春』にならないだなんて確証は、どこにもなくて。
 ぎこちなくまなざしを逸らすようにすれば、すこしだけ震えた指先はこちらのそれを緩やかに絡め取る。
 ――捕らわれている、と思う。きっと、あの時からずっと。
「すごいよな、春って」
 感慨めいたようすでぽつりと、恋人はささやく。
「こんなふつうに通る道でもきれいになんだからさ、すごいなって」
「……ねえ」
 ちらり、とすこしだけ周囲を伺うようにしながら、絡められた指先に力を込める。誰かに見られたらどうしよう――それでもいっそ、誇らしかった。
「来年はどっか行く? お花見。いつも近場で済ましちゃってたじゃん。うちの地元にね、ちっちゃい頃よく連れてってもらったお祭りがあってさ。川沿いでぶわーって一面いろんな桜が咲いててね、すごいきれいなの。屋台とかもすごいたくさん出てて。たのしーよ?」
「遠いだろ」
「日帰りできる距離でしょ、でも。なんならうちの家族みんな呼ぼうよ、瀧谷家全員集合」
「他人だろ、俺だけ」
「周は俺の家族だよ」
 当たり前のように答えれば、すこしだけ冷たくくすんだまなざしが注がれる。
 誰かに決めつけられた枠組みに捕らわれる必要なんてないことくらい、お互い痛いほどにわかっているけれど、それでも――
 答える代わりのように、じっと見つめ合う。

「来年な、」
「すぐだね、きっと」

 疑いなく信じられる未来があることは、こんなにもあたたかい。

 いつかこの日々は終わる。それがどんな形でも、きっと。
 降り積もるはなびらのように積み重ねた断片はきっと少しずつ『ほんとうの色』とは違うものへと移り変わって、そのかけらをほんの少しずつだけ抱いたまま、何もかもが雪のように真っ白に儚く消えていく。
 それでも、はじめからなかったものと、たしかにここにあったものはまるで違う。そのすべてをみんな、ちゃんと知っている。
 いつか訪れる終わりがあることは寂しいことだけれど、決して悲しいことではない――いまの自分たちは、それを知っている。

 どうかこれはまだ、最後ではありませんように。
 祈るように見上げた桜は、風に揺れながらやわらかなはなびらを音もなく落とす。
 ちかちかとさざめく白い光の中で揺れるその光景はまるで、すこしだけこの世界から切り離された夢の景色のようだった。



いつの日か最期の春が訪れる君の祈りを連れ去るような








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