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調弦、午前三時

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てとて

ハンドマッサージのお話。(あましの)



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 まどろみの隙間をたゆたうようにしながら見つめる恋人の横顔は、いつもに増してやわらかく、たおやかなぬくもりに満ちている。

「なあ、」
 遠慮がちなささやき声を落としながら、とろりと肌の上を滑り落ちるパジャマのすそから姿をのぞかせた掌にそっと触れる。
 こちらのそれと、さほど大きさは変わらない。しっとりとなめらかだけれどほんのすこしだけかさついて骨ばっていて、ところどころに残されたちいさなかすり傷の感触のひとつひとつにすら、ゆらりと立ち昇るようないとおしさがにじむ。
 この指の長さを、綺麗に整えられた爪のおおきさを、いびつな骨の形を――ささやかなそのひとつひとつをこの掌はきちんとおぼえている。それを確かめられるこんな時間は、ひどく幸福なことだと思う。
「ね、どしたの周」
 わずかにとろりと落ちかけた瞼をしばたかせながらかけられる言葉を前に、にっこりと強気に笑いながら答える。
「ちょっと待って」
 ぱちぱち、とまばたきで答えてくれる恋人を前に、ヘッドボードの上をらんぼうにたぐり、お目当てのものをそうっと手に取る。
 シルバーのチューブに入ったクリームをたっぷりと指先へと伸ばすと、まずは手の甲へとじっくりと馴染ませていく。包み込むように手の甲をさすり、しっかりととろけさせた後は、指の付け根から指先まで、いっぽんいっぽんを丁寧に手にとってはくるくるとらせんを描くようにしながらもみしだく。指の間をぎゅっとゆっくり押した後は、骨の形を確かめるようにしながら指先から甲へと親指を滑らせていく。
 ぬくもりを分け与えてもらうようにぎゅうっと重ね合わせ後は、裏返しにした掌にも、継ぎ足したクリームを丁寧に刷り込むようにして馴染ませていく。
 親指で強く掌の真ん中を押したあとは、指先を絡め合うようにしてきつく握りしめる。
 幾度となく繰り返してきた『それ』と、まるでおなじはずなのに――そこに込められた色合いや想いはどこか違う。わずかな戸惑いとおだやかな喜び――その両方を溶かし込んだまなざしがまっすぐに周を捕らえる。

 だいじょうぶ。ありがとう。受け取って、どうか。お願いだから。

 まるでおまじないを唱えるかのように、泡のようにしずかに浮かび上がっていくいくつもの言葉を胸に抱きながら、指と指を絡ませ合ったままじっとまなざしをそそぐ。
 ふたりぶんの体温でなめらかに溶けていくクリームはふわりと立ち上るような穏やかな香りの余韻とともに、なめらかな膜でふたりの肌を包み込んでくれる。
「周、これ」
 どこか戸惑いを隠せないようすで投げかけられる無防備な言葉を前に、やわらかに尋ねる。
「痛かった? もしかして。だったらごめん」
「ちがう、ごめん」
 ぶん、と首をふり、とがめられた子どもみたいに答えるそぶりがあんまりかわいくて、なだめるような手つきでやわらかな髪をすくいながら周は答える。
「こないだ美容院で教えてもらって、ハンドマッサージ」
 いいかなって思って。ゆっくりとしばたかれる瞼やかすかに潤んだ瞳、睫毛の震え、はにかんだようなやわらかな笑顔は、言葉以上に如実に手に取るようにこちらへとさまざまな想いを運んでくれる。
「こっちもする?」
 もう片方の手首へとやわらかに触れながらそう尋ねてみれば、ふるふる、としずかに首を振ったのち、裏腹な言葉が洩らされる。
「……いいけどだめ。やじゃないけど」
 くぐもったあまやかな声は、ひたひたと肌身にしみこむようなぬくもりに満ちている。
「どした?」
 ますますとろりと熱を帯びたまなざしをじいっと傾けるようにすれば、たおやかに滲んだ声がぽつり、と落とされる。
「だってそれしたらさ、眠くなっちゃうじゃん。だからだめ。いいけどやだ」
 重たげに震えるまぶたは、言葉以上にその『効能』のありかをこちらへと教えてくれる。いじけた子どものようなそぶりはすっかり馴染んだいつものことで、どんな言葉や態度やまなざしよりも、自らがこんなにも赦されているのだということを周に教えてくれる。
「いいよ、俺は。疲れてんだろ? ならもういいじゃん」
「大人の時間はこれからだよ?」
 言葉に秘められた意味合いとはまるで裏腹なはずの子どもじみたおぼろげな口ぶりに、ぎゅっと胸の奥を掴まれるような心地を味わう。まったく、これだからもう。
「……忍、」
 たしなめるような心地でちいさく囁きながらやわらかな髪をすくい上げ、ほんのりと熱くなった耳に触れる。わずかに身をよじらせるようにしながらこちらを見つめるまなざしの奥ではこらえようのない安堵と陶酔、その両方の色が綺麗なマーブル模様を描いていて、募るようないとおしさをぐん、と高めていく。
「だいじょぶだって、無理すんな。もっと元気な時でいいじゃん。きょうはゆっくり寝ればいいだろ。明日またいっぱい遊ぼ? な」
 もちろん、たっぷり残された『宿題』を終わらせてから、は必須条件ではあるけれど。
「でも減っちゃうじゃん、もったいないよ」
「減らないって」
 とんとん、と頭を撫でながら、無防備にシーツの上をたゆたう掌をぎゅっと握りしめる。いつものようにそっと指先を絡めれば、あたりまえのようによくよく見知ったそれは、こちらの指をぎゅっときつく握り返す。なんのためらいも感じさせないなんの気なしのそんな仕草に、心ごと包み込まれるような心地よさがひたひたと押し寄せる。
「周、ほんと?」
「嘘ついてどうすんだよ」
「……ん、」
 くしゃくしゃに笑いながら、やわらかく潤んだ掌はぎゅっとこちらのそれを掴んでくれる。
「おまえ頑張ってたもんな、今週も。あんま無理しないでいいからな」
 答えながら、もみしだくようにそっと、指先いっぽんいっぽんを包み込んでいくように触れる。
 すこしかさついているけれどいつだってやわらかく滑らかな肌、薄い皮膚の下で息づく骨の感触、滑らかに整えられた爪。この手で触れることが赦されたそのひとつひとつの在処をこんなふうにしてたしかめるほどに募るいとおしさがあることを、こんな夜を幾度も繰り返してきたからこそ知っている。
「あまね、」
「うん」
「……きもちいい、ありがと」
「ああ、」
 くぐもった吐息まじりに洩らされる言葉を前に、瞼を細めるようにしながら、かすかな照れ笑いで答える。
 なまめかしさだってそりゃあ一匙くらいは感じるのに、それらを遙かに上回るいとおしさや安堵感は見るみるうちに心を埋め尽くして、あたたかな色で胸の内を染め上げていく。
 こんな気持ちのことは、いったいどんな風に言葉にすればいいんだろう。

「あのね、周。あしたさ」
「うん」
「いっぱい遊んでくれる? また」
「あたりまえだろ」
 答えながら、やわらかに潤んだ小指をそっと絡めあい、次第にとろりと落ちてくる瞼の重みに身を任せる。
 なめらかに肌に馴染んだシーツと上掛け、わずかにふれ合う体を伝いあう熱、くすぶったとろけそうな声が耳朶を震わせるやさしい感触。
 幾度となく繰り返されてきたそれに、こんなにも安心して身をゆだねられるのだということ。きっとこのささやかな瞬間は、これからも何度も得られるたしかなものだと信じられるのだということ。
 あたりまえのいとおしさは、真綿のようなやわらかさできょうもまたこうして、ふたりをおだやかにくるんでくれる。

 明日の朝もきっと、この手がまっさきに触れるぬくもりは、この腕の中で身じろぎをする身体だ。いつの間にか手にしていた『あたりまえ』は、いつだって途方もない温もりをこの身体と心、その両方に手に取るように教えてくれる。

「しのぶ、」
「……うん」
「おやすみ」
「ん、おやすみ」

 あまい夢がまたひとつ、手の中でしずかに溶け落ちる。



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