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調弦、午前三時

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ついえない光

「ほどけない体温」周と忍、何もない朝。

この子たちの紆余曲折のすえのあれやこれやを3月のイベント合わせの新刊で発行予定です、宜しければそちらにもお付き合いただけると嬉しいです。(宣伝)

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 重い瞼を押し開いてみれば、狭いはずのベッドが予定通り狭かった。

 

 鼻先、すぐ側に見慣れた男の顔がある。微かに震える睫毛、寝息のリズム、ゆるやかに洩らされる、ぬるい吐息。
 しのぶ。
 そう呼びかけようとして、そっと唇を閉じる。起こしてはいけない、ただこのまま見ていたい。柄にもない、と笑われそうだけれど、眠っているうちならそんなのわからない。

 一人住まい用のベッドは、これからもずっとひとりでしか使うつもりなどなかったのだから大の男ふたりで肩を並べれば随分と手狭だ。落ち着かないそのはずなのに、いざひとりになってしまうと狭いはずのベッドの持て余したような空白を前に、途端にものむなしさを感じてしまう。
 慣れとは全くもって恐ろしいものだと周は思う。
 忍が居ない生活なんて、もう考えられない。そのことがこんなにもうれしくて、こんなにも苦しくて、こんなにも、何にも代え難いくらいにあたたかい。


 子どもみたいだな、こうしてるとますます。
 規則正しい寝息をたてる安らかなその姿を前に、思わずそんな感慨にふける。
 日中目にするのよりもうんとあどけない安らかな顔つき、仕草につれてはらはらと落ちる髪、ゆっくりと上下する胸、寝返りの拍子に時折ふいにこちらに触れる、少し熱っぽい指先の無防備な感触。
 繭のような羽毛布団にくるまれたまま、明け方の光が薄いヴェールのようにゆっくりとふたりを包み、目覚めのその時を待ちかまえている。
 静かだな、と思う。
 言葉なんて何ひとつ必要がないたおやかな静けさがいま、ここにある。

 過不足なく満たされていると、ただそう思う。
 手を伸ばせばすぐ触れられる場所に一番そばに居てほしい相手が居て、無防備な姿をさらしたまま、夜が明けるのを待っている。
 目を覚ましたその瞬間、真っ先に目にするのが周の姿で。いつもの調子で少しも照れもしないまま「おはよう」なんて言ってきて。
 なんてあたりまえのありふれた光景だろう、と思う。でも、そんな「あたりまえ」なんて、周には一生かかっても手に入らないはずのものだったのに。 


 規則正しい寝息を洩らす唇が、微かにふるふると震える。何かを伝えようとしているのかもしれないけれど、あいにく言葉は届かない。でも、そのことになぜだか安心してしまう。
 大丈夫、話さなくたっていい。起きたらいくらでも聞いてやる。だからいまはただ、このつかの間の静謐の中に居たい。
 
 少し汗ばんだ額に張り付いた前髪を指先ではらい、ゆるやかにすり抜けていく感触に身をまかせる。
 こんなにもくすぐったくて、こんなにもあたたかい。微かに震わせた指の先から伝う感触から、言葉になんてなるはずもないおだやかさがただ、満ち満ちていく。
 起きているあいだはあんなにうるさいのに、眠っているうちだけはこんなにも静かだ。あたりまえのことをそんな風に思って、思わず意味もなく笑い出したくなるようなそんな衝動に駆られるのに、喉がからからでうまく吐息すら吐き出せないのだから、ひどくぶざまだ。
 水を飲もうか――でも、そのためにはここを離れなければいけない。縫い止められたみたいに視線が動かせない今ではそんなこと、出来るわけもない。

 おまえのせいだぞ。
 喉の奥だけでそう呟き、起こさないようにとそっと気遣いながら、やわらかな髪をゆっくりと掬う。指先をするすると滑り落ちていく感触のくすぐったさと心許なさに、なぜだか胸が僅かに軋む。

 
 幸せだと、そう思い知らされるのはたとえばこんな瞬間だ。
 何も過不足なく、満たされている。こんなにもあたたかだ。それもすべて、忍がこうして隣に居ることを選んでくれたからだ。
 いつの間にか、周の幸せには、忍の存在が不可欠になっていた。もし忍もそうなのだとすれば、だからこそこうして周の傍らを離れずに居てくれるのだとしたら、何よりもうれしい。
 こんなありふれた穏やかな時間なんて、自分になんか一生かかっても得られるはずがない。初めからそう決めつけて、諦めていたはずなのに。
 
 無防備にぱたんと投げ出された指先が、微かにこちらへと触れる。おぼつかないそのぬくもりを前に、ぎゅっときつく握りしめて捕らえてしまおうかと少しだけ悩んだその時、指先の微かな震えに気づき、思わず苦笑いのひとつもこぼしたくなってしまう。
 いまさら、何を恐れる必要があるのだろう。こんなにも大切で、ただそれだけなのに。


 あと何百回、何千回こんな時間を迎えられるのだろう。
 たぶんこんなあやふやな気持ち、いつの間にか色あせてしまって。いまこの瞬間にだってどんどん溶けて流れて消えていってしまうばかりで、すべてを閉じこめておくだなんてきっと不可能で。
 でも、それでいい。この一瞬は永遠にはほど遠くて、だからこそ、こんなにもいとおしい。


 鼻先のすぐそば、息づかいのひとつひとつまで聞こえるそんな距離で、恋人は穏やかに寝息を立てるように眠っている。
 だから周はただ黙ったまま、この途方もない穏やかな時間を長引かせるようにといくつもの言葉を胸の中にうんと深く飲み込んで、無防備な寝顔をじっと見つめながら、世界が光に溶かされるその瞬間を待っている。




寝顔みているとふしぎに音がない。来たくて来た場所はいつも静か
雪舟えま




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