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調弦、午前三時

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おやすみをいうまえに

ジェミニとほうき星、海吏とマーティン。

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「ほら、見てて。もうすぐ転ぶよ」
 タブレットの四角い画面の中では、水色のダウンジャケットにカラフルなリュックサックを背負って画面の中をところ狭しと走り回る小さな男の子の姿が映し出されている。
 気をつけて、危ないよ。画面の外から方々に飛び交う忠告の言葉なんて気にも留めない様子で駆け回るそのうち、案の定と言わんばかりに、重心バランスを崩した彼はこてんとその場に転がり落ちる。
「ジェイ」
 かけ声と共に途端に走り寄る女性――彼の母親だ――を前に、ぱんぱんと膝についた土埃をはらい、うんと得意げににいっと笑いながら彼は答える。
「だいじょうぶ」
 ちいさな掌が、少ししゃがみこむような姿勢で差し出されたそれを、まるで宝物か何かのようにぎゅうっと握りしめる。昼下がりの公園で繰り広げられるそんなありふれた幸福なありかがぎゅうっと詰まった光景を、カメラはただ淡々と映し出す。
「泣かなかったんだ、偉いね」
「根性があるんだよ、こう見えて。将来が楽しみだねってみんなで話してた」
「気が早すぎるでしょ」
 からかうようにそう答えれば、画面をのぞき込む彼のまなざしがいつになく穏やかな色を宿したままそうっと細められているのに気づく。
 何よりも大好きなこの表情を引き出してくれたことに、感謝の気持ちとほんの一匙ばかりの嫉妬心を画面越しの彼に覚えずにいられないだなんて、我ながら大人げないとは思うのだけれど。
「マーティ、マーティ」
 舌っ足らずな発音で呼びかけながら、紅葉の葉っぱみたいなちいさな掌をぶんぶんと振り回すその仕草に思わずこちらまで頬がゆるまされてしまう。
 ぷっくりとした薔薇色の頬、少し灰がかかった青の瞳、どこか得意げに見える満面の笑い顔。
 やっぱりどことなく面影を残しているな、なんてことを思ってしまう。そりゃそうだ、ほんの僅かにでも同じ血を宿しているんだから。


 つい先日三つの誕生日を迎えたばかりだという甥っ子(名前はJairus――ジェイラス――だと教えてもらった)のことを、恋人は随分とかわいがっている。
「すごいよね、子どもって」
 肩を並べるようにソファに腰を下ろしたまま、うっとりとたおやかに瞳を細めるようにして彼は答える。
「ついこないだまであーとかうーとか、意味のない言葉の羅列しか話せないと思ってたのに、会う度にぐんぐん言葉が増えていって。どんどん意志疎通のバリエーションが増えていくんだよ。生きてるってすごいんだなって思うよね。同じ瞬間なんて一秒もなくって、目を離した隙にもう、違う何かに新しく変化して行ってるんだなって」
 まぁ、僕たちもきっとそうなんだけれどね。ひとりごとのようにそうささやきながら、きっちり切りそろえた爪の先を目をこらすようにじいっと眺める。
「君だって、僕が知らないうちに違う誰かに少しずつ変わって行ってるわけだし」
「そんなことないよ」
 答えながら、ぴんと伸ばされた指先に、自らのそれをそっと重ね合わせてみる。
「そんなに気になるなら、どこが変わってるかよーく見て確かめて?」
「言ったね?」
 くすくすと笑いながら、長くてしなやかな指先を、捕らえるようにそっとこちらのそれに絡められる。



 恋人が子どもを好きなのだと知ったのは、こうして一緒に暮らすようになってしばらく経ってからだ。

 一緒に電車に乗った時、赤ちゃんを連れた親子をひとたび見かければ、うんと穏やかな表情をしてじいっと視線を投げかけ、時にはあやすようににこにこと優しく見つめ返している。
 一緒に公園に散歩に行けば、ジョギング中の紳士、犬を連れた散歩中の夫人、ベビーカーを引いた若い夫婦――それぞれとたおやかな会釈をかわし合い、すれ違いざまに小さな子どもが視界の端を通るそのたび、いつくしむようなやわらかさでそうっと視線を投げかける。
 いとおしげに注がれるまなざしを見つけるそのたび、裏腹に、僅かばかりに胸が微かに痛んでしまうのは仕方のないことだと、赦してほしいのだけれど――

「……どうしたの?」
 微かに物憂げに細められたまなざしを前に、ぎこちなく視線を逸らすようにして僕は答える。
「別に、」
「嘘はよくないと思うなぁ」
 いじけたような口ぶりでそう答えながら、しばしばそうするように、ぎゅっと僅かばかりの力を込めて耳を引っ張られる。
「ちゃんと言ってくれたら離してあげる」
「いじわる」
「どっちがそうなの?」
 くすくすと笑いながら耳のふちをなぞられると、それだけでうわずった胸の音が刻むリズムが僅かばかりに早くなる。それがキスをする時によくする仕草なのをわかってやっているんだから、彼の方がずうっと意地悪だ。
 観念した、とでも言わんばかりに、ふかぶかと息をひとつ吐き出し、僕は答える。
「マーティンはジェイだけじゃなくて、子どもがみんな好きだよね?」
「いちばん好きなのは君だけどね」
 答えながら、さわさわと耳をくすぐる指先が髪や頬をなぞる。どこか無邪気さの下に潜めた煽るようなその手つきに、見る見るうちに頬だけじゃなくて、心のうちまで火照らされてしまう。
「――だから、そういうのじゃなくて」
 照れくささからうつむいたまま、せめてもの仕返しみたいにパジャマ越しに、僅かに震わせた指先でぎゅうっと腕を掴む。
「……こんなこと言われても、困ると思うけど。子ども、生めないから」
「カイ、」
 掠れる声で力なく答えたその途端、無邪気さを纏っていた指先が、僅かに力なく震わされるのが触れたその先から伝わる。
 ほら、やっぱりそうだ。でも、それならどう伝えたら良かった? 答えを探したまま無様に口ごもれば、大きな掌がそうっと、しばしばそうするようなやわらかさでふわり、と髪をかきまぜてくれる。

 命をもたらすことを伴わないセックスが無意味だなんて、そんなばかげたこと、ひとかけらも思ったことなんてありはしない。
 どれだけ愛しているのか、どれだけ繋がり合いたいとそう願っているのか。ただの快楽の享受のためなんかじゃない、いつくしみと安らぎと、耐え難いようなよろこびと――見せあえるはずもない心のぜんぶを預けあえる、そんな時間に出会いたくて求め合っているだけだから。それだけで十分だと、ちゃんと知っているから。
 頭ではそうわかっているのに、時々どうしようもなくもどかしくなるのは、仕方のないことのように思えた。
 こんなに愛してるのに、こんなに愛してもらってるのに――彼が望んでいるかもしれないものを残してあげられないだなんて、無力だと思わずには居られない。

「カイは、子どもがほしかった?」
「わからない……」
 力なく答えたきり、僅かに唇を噛みしめて、ぶんぶんと首を横に振る。だってそんなこと、考えたことがなかった。両親がそうしてくれたみたいに、いつか一人前の大人になれた時、自分も新しい家族を築いているのだろうかなんて――ありがちな未来像のあり方のひとつとしてそんな光景を思い浮かべなかったのかとそう言われれば、嘘になるけれど。 
「君は……」
 うんと頼りなく囁けば、僅かに震わせた唇の上を、優しい指先がやわらかにそっとなぞってくれる。
 ゆるやかに首を横に振り、返される言葉はこうだ。
「子どもならもう居るでしょ? うんと大きくて、うんと手のかかる子がひとり」
 得意げに語るやわらかな口ぶりに、胸がつまされるかのような心地を味合わずに居られない。
「……マーティン」
 震わせた掌に込めた力をぎゅうっと強めれば、大好きなあのやわらかな笑顔と共に紡がれる言葉はこうだ。
「残念じゃないって、そう言えば嘘になるよ? ジェイが生まれてからは、余計にそう感じるようになったところはあるよね。でも、それが不幸だなんて誰が決めるの? 大事なものならもう、君に全部もらったよ」
 音もなくほろほろと崩れ落ちていく想いがはらはらと溶けて、彼の掌の中でもう一度形づくられていくのを僕は感じる。
 こんなにも愛してる。こんなにも愛してもらえている。一生かかっても返せないだけの目に見えない宝物が、頼りないこの掌の中に託されている。

 遠慮がちに目を伏せながら、たおやかに言葉が告げられる。
「どうしてもってそう思うなら――養子を貰うのはどうかなって」
 やわらかに、それでもはっきりと意志を込められたことが伝わる言葉を前に、さわさわと心ごとくすぐられるようなあたたかな想いがこみ上げてくるのを感じる。
「……お父さんがふたりだよ、それでも平気なの?」
「愛の多様性を知るのは大事なことだよ」
 あんまりにも「らしい」そんな言葉を前に、うっとりと瞳を細めながら微かに触れるだけの淡い口づけを数度、そっと落とす。

「これから先ずっとふたりきりだったとしても、僕たちは僕たちだよ。それだけで幸せだよ。もし君もそう思ってくれるなら、何よりもいちばんうれしい」
 ちゃんとそう思ってもらえるように、これからもずうっと努力するから。笑いかけながら、少し熱くなった耳や頬、鼻先に微かに、触れるだけの口づけをやわらかに落とされる。
「もしほんとうに家族がほしくなったら、その時にまた考えよう? 時間ならまだいっぱいあるじゃない。僕たち、これからもずうっと一緒に生きていくんだから」
 きっぱりと答えてくれるその言葉には、迷いなんてひとかけらもありはしない。
「ねえ、そろそろ寝ようか?」
「……もう少しだけ、話がしたい。それとね、」
「なあに?」
 細められたまなざしを、じいっと見つめ返しながら僕は答える。
「……いっぱいキスしたいし、キスしてほしい」
 照れくささから僅かに火照った顔をじっと伏せれば、答える代わりみたいに、口元へと引き寄せた手の甲に数度、いつくしむように淡い口づけが落とされる。
「――続きは寝室で、いい?」
「うん」
 掠れた声で答えれば、引き寄せるようにそっと、やわらかな手つきで手首を捕らえられたまま、その場を立ち上がる。

 なにも恐れなくていい。なにも不安になんてならなくていい。だって、こんなにも愛している、こんなにも愛されている。こんなにも満たされている。こんなにも、ふたりでいることが大切なのを知っている。




 これから先もずっと続いていくはずの、ふたりで過ごす未来。そこに違う「誰か」がいるのかもしれないだなんてこと、まるで考えたことなんてなかったけれど――それもまた、悪くない可能性のひとつなのかもしれない。

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