子どもの頃のいちばん古い記憶はなに? 友達同士でいつか、そんな話をしたことが私にはある。
「あたりまえだけど、みんなぜんぜん違うの。部屋の中でお父さんに肩車をしてもらってるところだって子もいれば、幼稚園の帰りにお花を摘んで帰った時のことだって子もいるの。親戚が集まってお祝いをしてるところだって子もいれば、お姉ちゃんがニコニコ笑いながらおもちゃであやしてくれるところだって子もいたし、旅行先のフェリーの中でお弁当のお花の形のかまぼこを食べてるところだって子もいて。うまれたばっかりの時に病院でお母さんに抱っこされた時だって子がいた時はみんなで嘘だぁって笑いあったけど、ちょっとだけ申し訳なかったなってなって」
ねえ、あなたは? 瞳を細めるように尋ねれば、やわらかにそうっと返される言葉はこうだ。
「はっきり覚えてはないけれど……まだ三つか四つの頃。家族みんなでグランマのお見舞いに行くことになって。病院だとかお見舞いってことがまだよくわからなくて、いつものお出かけだと思ってはしゃいでて。兄はもうわかってたみたいだから、いつもよりどことなく元気がないのが不思議で」
何気ない記憶の断片は、水底からふわりと浮かび上がるようなたおやかさでありふれた家族のあり方を映し出す。
あたりまえで、ひどくささやかで、だからこそかけがえのない大切なもの。
「あなたはどうだったのか、聞いてもいいの?」
促されるようなまなざしに誘われるまま、私は答える。
「幼稚園の送迎バスで……私がうとうとしてると、隣に座ったカイが起こしてくれるの。いのり、もうすぐおうちだよ。いのり、起きてって。ちっちゃな手で、うんとやさしくさすってくれて。みんなの笑ってる声が微かに聞こえて、窓からは午後の光がきらきら降りてきて」
古い記憶を辿る時、いつだって真っ先に思い返すのは隣で笑ってくれた男の子の姿で。
「ずうっと一緒にいられるって思ってたのよ?」
一生懸命に強気に笑いながら、私は続ける。
「だって、家族だもん。男の子だとか女の子だとかそんなの関係ない。祈吏は祈吏で、カイはカイで。隣にいるのがあたりまえで、大切で。それがただのわがままで、カイのこと傷つけてたなんてちっとも気づいてあげられなかった。お姉ちゃんなのに、ずうっとカイに守ってもらってばっかりだった――」
「祈吏、」
堰を切ったように溢れ出す感情を押しとどめる術なんて知らないまま、少しだけ熱くなった吐息をぐっと飲み込むようにして、私は続ける。
「小学校に入って少ししてすぐに、部屋が別々になったの。なんでって、すごく悲しくなった。カイと眠くなるまでおしゃべりするのが大好きだったのに。怖い夢を見たらどうするのって、隣にいてあげられないと困るでしょって。男の子と女の子だからって、双子だからって。目立って見えるから、じろじろ見てくすくす笑う人もどんどん増えて。なんでって、私のカイのこと、勝手に決めないでってその度にすごく怒ってたけど、カイはやさしいからちっとも怒らないで、ずっと隣で悲しそうにしてた。子どもなのは私だけだったの。カイのこと、あたりまえみたいにずっとこれからも変わらずいてくれるって信じてた。カイはカイなのに、勝手に祈吏の半分みたいに思ってたの。私はカイのこと、ちっともちゃんと見ようとしてなかった」
どうして、とそう思うのに、溢れ出して膨らんで滲んだ想いは、留まることなんてしらないままに流れ出していく一方だった。ずっとしまっているつもりだったのに、きっと傷つけているのに。
それなのに、零れ落ちて広がっていくほどにこんなにも心地よく胸をあたためていくのはなぜだろう。
「祈吏……」
宥めるようなやわらかさで、言葉を告げられる。
「カイは、祈吏のことが誰よりも大切で大好きだよ。そういう祈吏だから好きなんだよ。だから、そんな風に思ってるなんて知ったら、きっと傷つくよ」
「……どうして」
涙混じりの声を震わせるようにして尋ねれば、続けざまに告げられる言葉はこうだ。
「決まってるでしょ。あなたのことも、カイのことも、誰よりも大切だからだよ」
「……祈吏のことも?」
「あなたが良いって、そう言ってくれるのなら」
「そんなこと――」
息を詰まらせるこちらを前に、ふわり、と差し出された掌がやわらかに髪をなぞる。
うんと遠慮がちで、どこか懐かしさすらこみ上げてくるやさしいその感触に誘われるままに瞼をそっと閉じれば、浮かび上がるのは、いくつものとうの昔に通りすぎたはずの過去の断片だ。
いつの間にか繋ぎあった指先がほどけて、どんどん距離が遠のくばかりで――それでも、いつだって穏やかに笑いかけてくれた、世界でいちばん大切な男の子のこと。
ほどけてしまった結び目はまたこうして、違う誰かと繋がっていて――こんな風にまた、結び直すことだって出来るなんて。そんなあたりまえのことを、だからこそずっと気づけなかった。
それをこうして教えてくれたのが、いちばん大切な男の子の、誰よりも大切な相手で。
「……祈吏?」
遠慮がちに投げかけらる言葉を前に、うつむいたままだった視線をそうっと投げかけるようにしながら私は答える。
「あのね、マーティン」
ぐっと息を飲み、精一杯の笑顔で告げる言葉はこうだ。
「祈吏もあなたのこと、好きでいてもいい?」
「……なんで、そんな」
ひどく困ったような顔をして、それでも笑いかけてくれるその姿を前に、続けざまに私は答える。
「大丈夫、カイからあなたのこと取ったりしないから。祈吏はお姉ちゃんだから、大丈夫」
答える代わりのように、差し伸ばされたやさしい掌はふわりとやわらかに髪をなぞってくれる。私はただそのぬくもりに酔いしれるようにゆるやかに瞼を閉じながら、微かな吐息をそうっと吐き出す。
少しだけ熱くなった瞼のむこうでは、うんとちいさな子どもになった私たちが笑い合いながら手を繋ぐ微かな幻が滲んでいる。