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調弦、午前三時

小説と各種お知らせなど。スパム対策のためコメント欄は閉じております。なにかありましたら拍手から。

グッドモーニング


生活力のない男をなんの縁か拾って飼いならす男のお話。









「いただきます」
 ぱちん、と手を鳴らして一声そう声をかければ、目の前の男はといえば、どこか落ち着かない様子でちらちらとこちらを盗み見るような視線を投げかけるばかりで。
 ……真正面にいるのになんなんだか、その態度は。
「ほら」
 促すようにくい、と顎で答えれば、渋々と言った様子で蚊の鳴くような声で決まり文句がこぼれ落ちる。
「……いただきます」
 これでも随分と進歩した方なのだから、なんというかまぁ。

 レーズン入りのベーグルにパストラミビーフとレタスを挟んだサンド、スクランブルエッグ、残り物のクラムチャウダー、それに、蜂蜜入りのミルクティー。
「コーヒーじゃないの」
「豆、切らしてるから」
 本当は胃を荒らしている誰かさんの為に隠しているだけだけれど。
(放っておくと一日何杯も飲むのだ。カップを使い果たした末に湯呑みやどんぶりで飲む程度には)
「……あまい」
 言葉とは裏腹に、まんざらでもなそうなこの態度は気に入っている証だ。
 感情の色というものを表情に乗せないこの男は、それでもどこか冷めた眼差しの奥に、かすかな色を覗かせることがある。それに初めて気づいたのはいつだったかなんて、もう忘却の彼方ではあるのだけれど。
「喉に良いんだよ、蜂蜜は」
「蜂が頑張って集めてるの、横取りなのにね」
 ずずっ、と音を立てて啜る(やめろ、と言ったのにこれは中々直らない)姿を前に、唇についたケチャップを乱暴にぬぐいながら俺は答える。
「そんなこと言ってたら何も食えないだろ」
「食べなくていいよ」
 言葉とは裏腹に、カチ、カチ、とスプーンをせわしなくスープ皿にぶつける音を響かせながらクラムチャウダーを啜り、その合間にとドレッシングとブラックペッパーで口の周りを汚しながら引きちぎるようにベーグルサンドを咀嚼する姿はそれほどつまらなくもなさそうだ。


 食に関心が薄い上に偏食気味だったこの男も、この数ヶ月の暮らしの中で随分と着実に進歩してきてはいた。

・生のトマトは顔をしかめて嫌がる程度には受け付けないけれど、トマトスープや火を通したものは食べられる
・香りの強い物はあまり好まない
・辛いものが好きらしく、加減しないのでタバスコと唐辛子は置かないことにした
・好きな野菜はどうやらアボガド
・噛むのが面倒くさい時はスープ類を出せば残さず飲み込むらしい

「醤油」
「なんにかけるつもり」
 念のため、と尋ねれば、くい、と箸でスクランブルエッグをさして見せられる。
「そういうの、みっともないからやめろって」
「俺とあんたしかいない」
「外で出るんだよ」
 大げさに顔をしかめてやりながら、それでも渋々と食卓を立ち上がるこちらを前に、男からかけられるのはこんな一言だ。
「ついでに蜂蜜とってきて、舐めるから」
「……あまいからいらないって言ったろ」
 大体なんなんだ、舐めるからって。
 呆れて横目に睨みつけるこちらを前に、ぺろ、と指先を舐めながら男は答える。
「蜜蜂さんの気持ちになってみたくて」
「……なにいってんだよ」
 ああ朝から頭痛がする、ロキソニンはどこにしまってあったっけ?(ラムネ菓子みたくボリボリ気軽に飲む姿を見て以来、隠してある)



 やけに綺麗な背骨だな。
 男相手におかしいと笑われるだろうが、初めて目にした時の印象はそれだった。

 洗面台の前で、やけに苦しげに肩で息をしながら突っ伏すその後ろ姿、薄い生地のTシャツの、汗を吸って透けた背中の骨。
 均整の取れた持て余したように長い手足に、ところどころ破けたジーンズと履き古した革靴。
 グシャリと折り曲げた紙の模型みたいな体つきにたちまちに立体感を与える背中の骨と、肩甲骨。ほんの僅かに見えた、頬骨の浮き上がった青白く痩せた顔。
 ここらには掃いて捨てるほど良くいる身を潰した男――と、切り捨ててしまうには割り切れない、どこか不可思議な存在感が滲んで見えた――というのは、買いかぶりというやつだろうか。
「参っちゃうよね」
 ゲエ、と潰れたカエルみたいな無様な吐息を漏らす合間、焼けついたような掠れた声で男は囁くようにいう。
「手加減してねって言ったのに、すげえ奥までくんだよ。カロリー足りてないって言っても、空きっ腹にはきつすぎ」
 はぁ、はぁ。苦しげに息を吐きながら、たらたらと口元から垂らされた雫は伸びきったシャツの胸元を濡らしていく。
 一体誰に話してるつもりなんだか。顔を合わせないようにして、流水でざぶざぶと手を洗う。この場にいるのはこの男と自分だけなのだから、話しかけられているのは確かなのだろうけれど、答えてしまえば途端に負けになる。
「おにーさんさぁ」
 ハンカチを、とポケットに手を突っ込もうとしたところを、じろりとこちらを睨みつけるかのようなまなざしが捉える。
「煙草持ってるよね、いっぽんわけてくんない? 口直してからもうひと稼ぎしたいんだけど。あ、それともおにーさんが買ってくれる? 予算次第だけど、案外融通効くよ?」
「……悪趣味な輩と一緒にすんなよ」
「なあんだぁ」
 吐き捨てるように一言だけ答えれば、裏腹にいやにうれしそうな声が返される。
「喋れないのかなーって思ったから、安心した」
 苦み走ったかのように見えていた表情の奥に、どこか子どもじみた無防備な色が覗く。
 やわらかそうな、無造作に伸びたくしゃくしゃの髪から覗いたまなざしは、くすんだように見えるのにどこかこちらを貫くかのような透明な色を宿し、なににも染まらない意志の強さを確かにのぞかせる。
 野良猫みたいな男だ、と思った。
 がりがりに痩せて骨の浮いた体を、それでもいやにしなやかにくゆらせて、ぎらぎらと瞳の奥をいやに輝かせて。


 生き物なんて飼う趣味はない、そのはずだったのに(子どもの頃に金魚を死なたことと、サボテンを枯らせたことでとっくに懲りていた)――なぜかこの野良猫のような男を『飼っている』という目の前に立ちふさがった現実は、全くもって偶然としかいいようがない。
 ……魔がさした、の方が正しいのか。たぶん。

 その間、猫は目覚ましく成長を遂げている。
 空腹を訴えるようになり(食べることすら億劫がって動けなくなるまで放っていることばかりだったというのだから進歩だ)、食器の正しい使い方をおぼえ、「いただきます」と「ごちそうさま」が言えるようになった。最近は食器を洗うことすら覚えたのだ。
 少しずつ毛艶は良くなり、皺くちゃに枯れた声は色を帯びて、土色をした肌は僅かに赤みを帯びて。それでも、くっきりと浮かび上がったなめらかな背骨はそのままで。


「なんでいつもいれるの、これ」
 クラムチャウダーの中のブロッコリーをめざとく掬い上げてこちらに見せつけるようにしながら、男は尋ねる。
「うまいだろ、栄養もあるし」
 嫌いなのは百も承知の上で。
「……口の中でもそもそする」
 それでもきちんと残さず食べるようになったのだから、進歩したものだ。
「食わないと捨てるからな」
「出来ないくせに」
 ぼそ、と告げられる言葉はそれでも、核心を突いているのは確かで。
「ていうかいいの? そういう言い方」
 ずず、とスープを啜りながら、男は尋ねる。
「自分のこと、物みたく言うなっていったのはあんただろ」
「……悪かったな」
「素直なのは長所だね」
 ――褒められても全くもって嬉しくないこちらの心持ちはどうしたものか。
「……ごちそうさま」
 空になった食器を手に立ち上がろうとすると、きっと睨みつけるようなまなざしに追いかけられる。
 目の前の男はといえば、残り少なくなったベーグルサンドを無理やりに口に詰め込み、流し込むようにクラムチャウダーを音を立てて啜る。
「ごちそうさま」
 ムキになったように答えられると、思わず笑い出したくなる。
「……急がなくていいから、よく噛んで食えって」
「置いていくからでしょ」
 子どもじみた目が、きっとこちらを睨みつけてくる。
「……誰が」
 ずとこうだったのだろうか、と時折思うことがある。
 少しも懐こうとしないこの猫は、いつでも誰にもとらわれないような奔放なそぶりを見せるくせに、時折こんな風に、いやに焦ったようにこちらの様子を伺っては、試すような瞳でじっとこちらをにらみつけてくるのだ。
 ……なんというかまぁ。
「いいから、ゆっくりで。ちゃんと付き合ってやるから」
 答えながら、テーブルの下で少し引きつった指先を、差しのばしてもいいものかどうかとためらう。


 買い上げたつもりもない、所有物だなんて思ってもいやしない。たまたまここにいて、こんな風に生活を共にしている。ただそれだけだ。
 恋でも愛でもなく、理由もない不確かな『縁』で偶然ここにいるだけで。
 これを結びつけておくのには、果たしてどうすればいいのか。首輪でもつけて繋いでおく、だなんてわけにはいかないし――。
 まぁ、それはそれとして。

 ふぅと、大げさに息を吐くようにしたのち、俺は答える。
「なぁ、手、出して」
「何するの、講和条約?」
「じゃなくて、じゃんけん。負けたら食器洗いな」
「俺が買ったら食洗機買うってのは」
「金出すの、俺だろ」
 呆れたように答えながら、握りしめた拳に少しだけ爪を立てる。渋々と台所に立って食器を洗う姿をぼんやり眺めているのが好きだから、なんてことは、もちろん言うわけもない。
「まぁいいよ、勝つの、俺だし」
「決めんなよ、まだしてないだろ」
「じゃあ勝ってよ?」
「んなこと言われても」
 挑発的な物言いに、カッと胸の奥が僅かに熱くなる。そもそも勝負事は好きではないのに、というのは置いておいて――

「さーいしょはグー」
「ジャーケンーポンッ」




 さてはて、突然のこの勝負の行方がどうなったのかといえば――
 その後もこの男が暫くこの家に居るというその事実から察してくれ、としか。






TLで「生活力がなくて食に無頓着な受けが料理の上手の攻めに懐柔されて~」なBLの話になったので勢いで書きました。個人的にはこの人たちは肉体関係なしだといいなと思うのですが、(猫くんは寝袋かなんかで寝てる)ばりばりそういう関係でも別にいいです。

度会と恩田の時も思ったんですが、冷静な突っ込み役とぼけっぱなしの子供じみた言動の男って周くんと忍じゃねえかよって百回くらい思いました。
忍は生活力あるし、ご飯も自分で作りますよ…(そういう問題じゃないです)
ある種のテンプレなのかもしれないなぁと思います。


お付き合いありがとうございました。



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