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調弦、午前三時

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血の味

第一回 #ヘキライ 企画に参加させて頂きました。
お題:吸血鬼

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「貧血ですね」
 眉を僅かにしかめるようにした医師がごく淡々と告げるのは、あらかじめ分かり切っていたそんな陳腐な台詞だ。

 どこかばかげた心地になりながら、目を逸らすようにして胸元の名札をそうっと盗み見る。
 『行村馨一』見慣れない名前だ。いつのまに当直の医師が変わったのだろう。どこかこちらを試すかのような凍てついた瞳がひどく不愉快だ。
「はぁ、」
 ひとまずの生返事で答えるこちらを前に、男は続ける。
「言葉通りの意味でないことはあなたが一番理解されていますね? レバーや青魚を摂取しろだなんてばかげたことを言うつもりはありません。逆を言えば、どれだけ栄養価の高い人間食を口にしたとしてもカロリー以上の栄養源を摂取することは出来ません」
「……どうしてですか」
 わなわなと喉の奥を震わせるようにしながら、力なく言葉を吐き出す。髪の毛一本一本、爪の先、皮膚とその下を流れる血潮、細胞のひとつひとつまで――それらすべては今まで摂取したもので作られている、そのはずなのに。どうして『違う』だなんて、そんな乱暴なことをさも当たり前のように言えるんだろう。
 血の気のひいたように白く、ところどころが剥がれた爪を力なく手の甲へと立てるこちらを前に、ごくあたりまえ、とでも言わんばかりの薄い唇をゆがめるようにしながら目の前の男は答える。
「あなただってご両親からご自身については聞かされているでしょう? 我々は不完全な生命体だ。姿形こそ人間と同じでも、人間食は我々にとってはあくまでも嗜好品に過ぎない。いくらバランスの良い食生活を心がけたとしても、肝心要の栄養素を取らなければ朽ち果ててしまう。この身体の細胞のひとつひとつ、すべてを作り上げているのは血液だ。食事の習慣のひとつとして血を飲むことは少しもおかしいことではありません。いままでだってそうやって生活してきたんでしょう? なぜいまさら血を飲むことを拒否する?」
「いまさら……」
 復唱した言葉を喉の奥で吐き出した途端、わなわなと胸の奥が沸き立つような心地を味わう。いまさら、いまさら。そんなわかりきったような口ぶりで言われなければいけないことなのだろうか。ほんの数分前に会ったばかりの初対面の男に。
「言いますけど、」
 きつく拳を握りしめるようにして、俺は答える。
「頼んでこんな身体に生まれたわけじゃありません。誰もと同じように生きて、同じように日々を過ごして、学校に行って、友達とくだらない話をして、両親と毎日顔をあわせて、時につまらない喧嘩なんてして――そうやって同じようにあたりまえに生きていたい、ただそれだけです。それで充分なんです。化け物の身体でまで生きる必要なんてありません」
「血を飲まないことが静かに死へと向かうことだとお考えですか?」
「そうでしょう?」
「では、今日はどうして診察に?」
「それは、騙されたからで」
 口ごもるこちらを前に、どこかあざ笑うかのような口ぶりで言葉をかぶされる。
「洗面所で気を失った拍子に頭を打って倒れて病院へ運ばれたことが『騙された』ことになるんですね。ご両親がずいぶんと心配をされていたことはご存じのはずだ。やっと診察を受けてくれる機会が出来たと胸をなで下ろしていたことは知っておられますか?」
「そんなのあんたには――」
「私は『あんた』ではありません。あなたと同じように個を識別するための名前があります。私個人をないがしろにした呼び方をされることに不快を表明するだけの権利があります」
 骨ばった指先が、名札を指し示す。『行村馨一』プラスチックのプレートに刻まれた見慣れない名前が、頭の隅でちらちらと揺らぐのを感じる。
「行村先生……」
 渋々と呼びかけるこちらを前に、切れ長の漆黒の瞳でこちらをじいっと捕らえるようにしながら、医者は答える。
「八神颯太くん。美しい名前ですね、とてもよく似合っている」
「――何がわかるんですか」
 わざとらしく反発めいた言葉を投げかけて見れば、1ミリたりともひるむことなどあるはずもない、と言った様子の答えがかぶせられる。
「見た目から受ける印象と名前との結びつきが。それ以上のことは、これから追々知っていけばいいでしょう?」
「これからって、」
 これ以上世話になる気なんてさらさらないのに。下唇をきつく噛みしめるこちらを前に、続けざまに投げかけられる言葉はこうだ。
「名前で呼んだ方がいい? 口調も、すこし柔らかくした方が? 威圧感を与えていたのなら申し訳ない。この年頃の子は難しいでしょう? 砕けた話方をすれば子ども扱いをするなと言われ、大人の患者に接するのと同じように心がければ他人行儀だ、心がこもっていないと言われる。枠組みだけを見てカテゴライズするのが間違っていると言われれば否定は出来ない。あなたには美しい名前があるというのに、その名前で呼ばなかったことを謝ります、傷つけてしまったのなら申し訳ない」
「はぁ」
 わざとらしく荒々しく言葉を吐き出すようにして、きつく目を逸らしてみせる。医者というのは頭の良い人間だけがなれる選ばれた職業だと思っていたのになかなかどうして、こうも遠回りばかりのピントのずれた言葉を投げかけてくるのだろう。知能と会話を組み立てる回路とは別ものなのだろうか。
「話を、戻します」
 ごくり、と僅かに息を飲むようにしたのち、医者は続ける。
「いいですか、颯太くん。我々は化け物ではありません。人間です。颯太くんはニンニクや十字架に怯えますか? 日光を浴びることを恐れますか? 棺桶で眠ることは? 毎朝鏡を見て身支度をする時、そこに自分の姿が映らないことはありますか? あなたのおじいさまやおばあさまは数百年の命を持っていますか? 答えはすべてノーのはずだ。我々吸血種は特殊な体質を生まれ持っただけの、脆弱な人間です。物語の中で語り継がれる吸血鬼とは全く異なる生き物です。化け物だなんて自身を卑下する言われはどこにもない。そんなこと、ばかげている」
「我々って、」
 びくり、と眉根を寄せて答えるこちらを前に、涼しげなまなざしを揺らすようにしながら、医者は答える。
「聞いてはいませんでしたか? 私もあなたと同じ、吸血種として生まれた人間です」
 白衣の袖を僅かにめくって見せ、血の気の引いたような青白い肌の上を蓋をしたままの万年筆の先でするりとなぞりあげるようにしながら、医者は続ける。
「我々は人間の血液からしか生きるための栄養分を摂取することが出来ない。この皮膚も髪もすべては、この肌の下を流れる血に含まれる成分で出来ています。不思議な物です。私たちが何のために生まれ、こうして生きながらえているのかなんてことはどれだけ学者たちが研究を重ねても答えは明らかにはならない。それでも、長きに渡って先人たちが積み重ねた途方もない苦労の末に、私たちはこの社会で同じ人間として、違いを受け入れあいながら日々を過ごしています。血を飲むことを絶てば、私たちの身体にはたちまちに栄養が行き渡らなくなってしまう。まず視力が低下し、次第に全身に力が入らなくなる。頻繁に立ちくらみやめまいが起こるようになり、集中力が途切れる。睡眠が細切れになり、その結果心身が衰えていく。物を持つことすら出来なくなり、次第に手足の指の先から壊死していく――」
 ごくり、と息を飲み込む自らの立てる音が、静寂の中で静かにしみ入るように響きわたる。こちらを見据えるようにしたまま、少し伸びた艶ややかな黒髪の隙間から顔を覗かせた澄んだまなざしでこちらを射るように見つめたまま、続けざまに紡がれる言葉はこうだ。
「陽の光を浴びてまぶしいと瞳を細めること、鳥の歌声やピアノの音色の美しさに、大切な相手のやわらかな笑い声に耳を傾けることが出来なくなります。映画や本の世界に触れて、まだ見ぬ新たな世界の扉を開くことも――だってそうでしょう、視力の衰えだけではなく、集中力も途切れます。全身を酷い倦怠感が襲い、まともに起きあがることすら出来なくなる。苦しい時に声をあげることすら出来なくなる。そうして苦しみながら、身体が腐り落ちていくのをただ待つだけです。それを見せられるあなたの家族のお気持ちを考えたことはありますか? それでもあなたは自身の身体が、命が自分だけの物だとそう断言することが出来ますか?」
「そうなる前に――死ねば、」
 喉の奥を震わせるようにして告げた言葉を前に、嘲り笑うかのような冷たいまなざしが注がれる。
「死ぬ? それは自分の手で? この期に及んで、自分の命を自分でコントロール出来るとでも?」
 答え終わるのとほぼ同時に、手にしていた万年筆をこちらへと差し出される。
「頸動脈を刺せば致命傷となります。なんならメスを貸してあげても構わない。ここは病院です。死体の処理なら手慣れたものだ。私が第一発見者になるのならご家族よりもよっぽどいい。くれぐれも飛び降りや電車のホームへ飛び込むことは行わないでください。どれだけの賠償金がかかり、残された遺族だけでなく、周囲に居合わせた人たちへダメージを与えることになるかを考えればおわかりでしょう? 死にたいのなら私の前で死んでください。教えてあげましょうか、ここですよ」
 首筋へと差しのばされた指先が、するりと血管をなぞりあげる。ひどく冷たいその感触を前にすれば、ぞわぞわと痺れるような凍てついた感覚がたちまちにこちらを襲う。
「……正気かよ、あんた医者だろ?」
「そうですよ」
 わなわなと瞳を揺らすこちらを前に、感情の色を悟らせようとしない、冷たくくぐもったまなざしを傾けるようにしながら、男は答える。
「颯太くんのような死にたがりのおろかな子どもに死を恐れる感覚を思い起こさせるのも、医者としての大切な仕事の一つです。死を知ることは、逆説的に生きる力を呼び起こすとは思いませんか?」
 深夜のラジオから聞こえるそれによく似た、一定のトーンを崩さない酷く冷徹な響きを携えた声が、滞ったかのように見える部屋の空気を静かに震わせていく。その間も、氷のように冷たい指先は、血の流れを辿るかのような滑らかさで血管の上をすべらかになぞりあげていく。
「近頃、黒板の字が霞んで見えるようになってきたでしょう。教科書や参考書の文字が読みづらくなったりは? 毎週読んでいたマンガ雑誌の文字が読みとりづらくなってきてはいませんか?」
「……」
 口をつぐむこちらに構わず、医者は続ける。
「友達と話をしていても集中力が続かない。あれほど楽しんでいたはずの毎週放送していたドラマを見ていても、内容が頭に入ってこない、身体が重く起きあがりづらい、断続的な偏頭痛やめまいが起こる、耳鳴りがして、聴力が衰えていく――すべては正しく必要な分だけの血液を摂取すれば改善されます。颯太くんの身体が、必要とするものを求めていると危険信号を訴えているだけです。すぐに取り戻すことは出来ます、いまなら遅くありません。こうして診察を受けられたことを、幸福だとは思えませんか?」
「――言ったじゃないですか、化け物の身体で生きたってこの先なにも」
「どうして?」
 血管の上をなぞりあげていた指先でそっと、耳にかかった髪にやわらかに触れながら医者は告げる。
「どうして自分を化け物だなんて言って、その先にあるはずの可能性を踏みにじってしまえる? あなたに生きる希望や夢を持ってほしいと思ってここまで育ててくれたご両親にも同じことが言えますか? 彼らも颯太くんと同じ特異体質を生まれ持ちながら家庭を築き、命を育んできたのに?」
「そんなこと言ったって――」
 ぶん、とかすかに首を降り、微かに震わされた指先でそっと、少し伸びた前髪をかきあげるようにしながら医者は答える。
「思春期に悩みや不安を抱えることは誰にだってあります。特に、持って生まれた体質が異なる我々はより一層と孤独や不安を抱えやすい。それらに向き合うために様々な芸術作品に触れ、夢中になれる何かに打ち込み、心を許せる相手と語らう――写し鏡となってくれるものを探し求め、安らぎを、生きる力を得ようとする。私が医師の道を選んだのも、同じように悩みや不安を抱えて生きる人たちや、この社会で共存する自分を生かしてくれる隣人たちに何か役に立てればと、そう思ったからです」
「自分が立派に生きてるからって、お説教のつもりですか」
「そう聞こえたのなら申し訳ない。ただの一例だと思ってもらえればと思ったのですが、どうにも私は昔から話すことは得意ではないようです」
 困り笑いを浮かべながら静かに細められた瞳の奥に、いつしか滲むようなやわらかな光が宿されていることに、いまさらのように気づかされる。
「話してくれませんか? 何があったのか。口にしてみれば、少しは気も晴れるかもしれませんよ?」
「……笑わない?」
「患者の深刻な話を聞いて笑う医師がどこにいますか?」
 ゆらぐまなざしの向こうで、溶け出しそうな感情を綻ばせた自身の影が微かに揺らぐ。
 幼い子どもなだめるような手つきで髪を掬っていた指先へと、払いのけるかのようにそっと手をかけ、俺は答える。
「夢をみたんです。よくある夢です。夢の中で、俺にはおとぎ話の中に出てくる狼男のような牙が生えていて――その牙で、相手に噛みついていた。肌に歯をあてて吸う血の味はずっと濃厚で鮮烈で、身体中の隅々にまで染み渡るようで――食らいつくしたい、死ぬまですべて吸い上げてやりたい、どす黒い欲望に支配されて、気が狂いそうだった。あんなに興奮したのは初めてで――身体中の血が逆流するようで。夢だなんて、目が冷めた後も到底思えなかった。本気で頭がおかしくなったんだ、自分の中の本性が目覚めたんだと思いました。血を吸っていた相手は、好きな女の子です」
 吐き出した途端、胸の詰まるような息苦しさと羞恥でぐらぐらと視界が揺さぶられる。ほら、吐き出したってちっとも楽になんてならない。それでもたぶん、ありのままを伝えないとここから抜け出すことすら出来ない。それならもう――痛む頭を抑えつけたまま俯いていれば、大きな掌が数度、ふうわりとかすめるように頭を撫でてくれる。
「それがショックで、血を飲むことを恐れるように?」
「……恐れてなんかない。ただ、気持ち悪いと思って」
 震わせた言葉を封じるかのように静かに首を横に振れば、ひどくおだやかな口ぶりで言葉を覆い被せられる。
「相手を欲する気持ちは誰だって持っている物です。恥ずかしいことではありません。吸血種なら、恋人の血を飲むことはよくあることです。好きな相手に自らを受け入れられているだなんて状況となれば、自分を抑えられなくなるのは当たり前のことです。それに、それは夢でしょう?」
「願ったから夢を見たんだ、そんなこと、願うべきじゃないのに――あんな、化け物みたいなこと」
 俯いたままのこちらをのぞき込むようにしながら、やわらかな言葉がそっと降り注ぐ。
「――その子には、思いを告げる予定は? ありのままの話せば受け入れてくれるかもしれないと、そう考えたことは?」
「……好きな相手がいるって、本人からそう聞いたばかりで。自分なんかじゃ比べものにならない相手で――ふつうの、まともな人間で」
 吐き出す先から言葉はどんどんぐずついて、形をとどめることも出来ないまま崩れ落ちていく。どうして、とそう思うのに、もはや意志よりも先に唇からみるみるうちにこぼれ落ちていく言葉は、わだかまった心をぐんぐんと溶かしていくかのようだ。
「いいんですよ、苦しんでも」
 血の気を失った指先を温めるようにそっと指の先でさするようにしながら、医者は告げる。
「人は簡単に死ぬことは出来ません。我々吸血種もまた同じです。肉体が朽ちるのを待ったとしても、そこに待ちかまえているのは途方に暮れるほどの苦痛だけです。命を絶つことではなく、人として生き延び、そこで喜びを見つけていく方がよっぽど傷つかないで済む。この世界はとうの昔に我々を受け入れてくれていることくらい、颯太くんがいちばん知っているでしょう? 願望を持つことは自由です。それを胸にとどめるだけの理性が颯太くんにはある。あなたは知性的で立派な誇らしい人間です、自身を卑下する必要はいっさいありません」
「先生……、」
「栄養剤をいくつかと、摂取用の血液のアルミパックをお出しします。長い間飲んでいなければ少し過敏な反応が出る場合があります。症状を抑える薬を共に処方しますので、忘れずに服用してください。また、定期検診には必ずいらしてください。受付で次回の予約を取らせて頂きます」
「せんせい、」
 ゆっくりと顔をあげるようにして、俺は尋ねる。
「おかしなことを聞いても、赦してはくれますか?」
「なんでしょうか?」
 ごく、とちいさく息を飲み、告げる言葉はこうだ。
「先生は――好きな人の血を、飲んだことがあるんですか?」
「昔の話です」
 まなざしの奥で、焼け焦げるかのようなくすぶった熱が僅かに揺らぐ。
「……とくべつに美味しかった?」
「あなたもいつか知ることです。そう近くない将来に、きっと」
 どこか不器用に目を逸らすその仕草に目を凝らすようにしながら、白衣の下のカッターシャツの襟元から覗く隆起した喉仏やかすかに血管の浮き上がったほっそりとした首筋を、ただ黙ったままじっと見つめる。
 白く滑らかなそれは息を潜めた獣にどこかよく似ていることに、今更のように気づく。

「……どうかされましたか?」
 深夜のラジオ放送から聞こえてくるのによく似た、滑らかで均質な声色。心のひだをなぞるようなその滑らかさに、鼓膜をくすぐられるかのような不可思議な、それでいてひどく惹きつけられてしまうかのような心地よさを覚えてしまうのはなぜだろうか。
 
 どく、と僅かに血の巡りが早まるのを感じながら、かさついた唇をそっと噛みしめる。
 僅かに滲んだ血を舐めとった時に感じる生温かさの奥で、芽吹きかけた感情の炎が微かに揺らぐ――  くすぶったその熱に秘められた熱さのほんとうの意味を知るのは、まだきっと先の話ではあるけれど。








きみたちが付き合えばいいんじゃないかなって。
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