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調弦、午前三時

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欠けたままでいてもいい

夕食に焼き魚が出た時、流しの三角コーナーに骨を捨てるたびに寂しい気持ちになる。
飼い猫にごみを漁られてしまうため、長らく三角コーナーに直接魚の骨を捨てることはなかったからだ。

18年前、父の知人が公園で捨てられていたのを拾ってきたという猫のきょうだいの中で、いちばんいたずらっこで元気いっぱいだったという猫の男の子が我が家にやってきた。
とてもとても元気ないたずらっこは家の中を駆け回り、その際にかぎしっぽの先をあちこちに引っかけ、夕食に魚が出れば食べるのを妨害し、三角コーナーの骨を漁り、虫が出れば襲いかかり、パンやお菓子を出したままにしていればかじりつく。
野生の狩猟本能を忘れてたまるかとばかりに元気にすくすくと育った世界一かわいい猫は人間とは生きるスピードが違うため、いたずら盛りのやんちゃ坊主はいつしか晩年を迎え、日がな一日寝てばかりいるようになった。
昔のように機敏に走り回ることはなくなり、ジャンプが出来なくなり、数日おきにしかご飯を食べることもなくなった。
腎臓の病気により点滴に通うことになった時、この子は寿命だから今年いっぱいはもたないと言われた。
毎日あたりまえのように寝て起きて、あたりまえのようにのんびり暮らしている猫を見ると、そんな実感はすこしも湧かなかった。

いつしかすこしずつ弱っていった猫はいつのまにかすっかり痩せて、軽々と抱き上げられるようになっていた。
そこからは急激に坂道を転げ落ちるように容態は悪化する一方で、耳が聞こえなくなり、目が見えなくなった。
そしてある日突然腰を抜かして歩くことが出来なくなり、寝たきりになった。

ある日の夕食後、いつものように魚の骨をビニール袋にまとめていたころ、「もう動けないからそのまま捨ててもいいんだよ」と母に言われた時、むしょうに悲しくなった。元気だったころのように流し台に飛び乗って、三角コーナーの骨を盗み食いすることはもうないのだ。
まもなくして、猫は息を引き取った。

あたりまえのようにいつもいたはずの猫がいなくなったある日の夕食後、いつもそうするように魚の骨をビニール袋に入れている自分に気づいた。
もうあのこはどこにもいないのだから骨はそのまま捨ててかまわないのに。18年染み着いた習慣はそう簡単には直らない。
わたしはいまでも魚の骨を捨てるたびにあの子のことを思い出す。それでいいのだと、そう思う。
あの子の好きな魚はあじの干物と舌平目だった。


(直接関係のある話ではないけれど)
誰しも大なり小なり、自分を支えてくれた大切なものを手放したことや、いつのまにか無くしていたことに気づくことはあると思う。
生きていくことは、喪ったものを心の片隅で弔いながら歩み続けることなのだろうかと時折思う。

自分にとっての大切な宝物のように胸にしまって抱き続けているつもりだったものを失っていたことに気づいた時、ひどい喪失感に襲われたことがある。(いまにして思えば、子どもじみた身勝手な感傷に過ぎないのだけれど)
はじめから「なかったこと」にするにはどうすればいいのだろうと考えては、それをなせないことがほんとうにほんとうに苦しかった。
子どもではいられなかったから、なくしてしまった。それならば幸福な記憶ごとすべて消し去ってしまいたかったのに、それが叶わないことが何よりも悲しかった。
入れ替わり立ち替わり現れる行き場のない苦しさをやわらげてくれるものを、いつも探していた気がする。
たぶんこれからも追い求め続けるのだろうと思う。

(私自身のおろかさやいたらなさがありきのものであって、大半が「誰か」のせいではないのだけれど)
悲しいことや苦しいことや怖いことがたくさんあることも、苦しかったことがいつまでも忘れられないことも、それでいいのだとようやくそう思えるようになった。
欠けたものは無理に埋めなくたってかまわない。
いつまでも苦しくても怖くても、無理に乗り越えようとしなくたってかまわない。
何かに守られ、救われながら人生は続いていく。


ところでわたしは小沢健二のライブアルバム「我ら、時」に収録されている新曲「時間軸を曲げて」がとても好きなのだけれど、自分自身のこういった感情に胸をひきずられている時にたびたびこのうたのことを思い出す。
たくさんの時間を乗り越えた先にいまがある。
やけどのように消えず残り続ける気持ちの在処とともに。


ほんとうなら胸にしまったままでいるべきことのほうがたくさんあって、取り出して書き残そうとする自分のことをばかだと思う。
それでも、書き残していくことに安心するのは確かなのだから、自分でもなんだかおかしい。
単純に、言葉で書かれているものが好きだからというだけかもしれないけれど。
言葉があったこと、それを使うことが出来ることをよかったな、ただそうと思う。

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