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調弦、午前三時

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プリンセス・ドゥ・フルールの花咲く午後(『蒼衣さんのおいしい魔法菓子』二次創作)

服部匠さん「蒼衣さんのおいしい魔法菓子」二次創作。
「ほどけない体温」番外編に登場するりんちゃんと忍が魔法菓子店ピロートに遊びに行くお話です。

※非公式二次創作です。
※作中の「ふわふわシュークリーム」と「プラネタリウム」以外のケーキは作中には登場しない創作魔法菓子です。
※今作における愛知県と東京都の距離感は大阪と滋賀県程度とお考えください。笑





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「わあー! きれーい!」
 昼下がりのピロートの店内に、りん、と鈴の鳴るような高く澄んだ歓声が響きわたる。お客様は等しく大切な存在、とはいえ、やっぱりこれだけ素直な感動をありのままに表現してくれるのはやっぱり特別にうれしい。にこやかにまなじりをゆるめるようにしながらちいさなお客様の一挙手一投足を見守る八代を前に、傍らの保護者らしき男性からは飾り気のないおだやかな会釈が返される。
「忍くん、これは?」
「これはねえ、食べるとクリームの魔法でからだがふわふわ浮かんじゃうんだって。すごいねえ」
「雲みたいねえ。すごいねえ」
 ちいさな指先でショーケースを指さす傍ら、しゃがみこみながら添えられた説明文ひとつひとつを読み上げてくれる光景はまるで、絵本の読み聞かせの場面のようにも見える。
「すみません、お騒がせしちゃって」
 ぺこり、と恐縮したように頭を下げてみせる姿を前に、にっこりと満面の笑みで八代は答える。
「いえいえ、お気になさらずにどうぞ。迷ってもらえるだなんて光栄なくらいです。パティシエだってきっと喜びますよ。あとでお呼びしますので」
 にこり、と柔和な笑顔で応えてくれる姿に、こちらもまた心を温められるような心地を味わう。
 みたところは八代やパティシエである蒼衣ともさほど変わらない年代だろうか。程良く肩の力の抜けた装いや柔和な笑顔は、青年と呼んだほうがふさわしい印象を与えてくれる。
「お嬢ちゃん、いくつか聞いてもいい?」
 目配せをしながら尋ねてみれば、にいっと得意げな笑顔とともに紅葉の葉っぱのようなちいさな掌を折り曲げてのとっておきの『よい子のお返事』が返される。
「りんはよんさーい!」
 元気いっぱいのお返事に、思わず笑みがこぼれおちる。
「へえ、四歳かぁ。おじさんのところにもねえ、りんちゃんと同じくらいの年の娘がいるんだよ」
「おにいさんもパパなのね?」
 おおきなまぁるい瞳をきらきら輝かせて答えてくれる姿を前に、どこかこそばゆいような気持ちがこみ上げる。年齢不詳が代名詞のパティシェならともかく、自分のほうがそんな風に呼んでもらえるだなんていつ以来だろう。親御さんの教育が届いているというのか、なんというのか。
 まんざらでもないような気持ちを必死に覆い隠すようにしながら、続けざまに八代は尋ねる。
「りんちゃんは魔法菓子を食べたことはある?」
「幼稚園のお祝いであります」
 にっこりと得意げな笑顔とともに、ちいさなお姫様は続ける。
「ケーキの上でピチチチって鳥さんが歌をうたってくれてね、すっごくきれいですっごくかわいかったの。忍くんにもみせてあげたいなってりんはずうっと思ってたの」
 はにかんだように笑いながら、『忍くん』は答える。
「結婚式とかお祝いの席なんかで何度かお目にかかったことはあるんですけど、専門店ってなかなかないでしょう? こちらのことは何度かネットでみたことがあったんですけど、近くまで来ることになったんでちょうど良い機会だなって思って」
 お姫様の手をしっかと握りしめたほうとは反対側には、まだオープンしてまもない大型テーマパークのロゴ入りのビニールバッグが揺れる。
「わざわざご足労ありがとうございます、遠かったでしょう?」
「いえ、そんな。僕の方もずっと楽しみにしてたんで、移動のあいだもずっとわくわくしてたくらいで」
「きーめたっ」
『大人の話』が繰り広げられる傍らでは、ショーケースを見つめるきらきらと輝く瞳が、きょうの主役に決まったらしいケーキの前でいっそうと光輝く。
「おにいさん、りんはこのケーキがいいです」
 忍くんは? きらきらと瞳を輝かせて尋ねるお姫様を前に、とっておきの笑顔とともに「俺はこれかな」と指をさして答えて見せる姿に、思わずこちらまで笑みがこぼれおちる。
「お席までご案内します。あと、あちらに小さいお子さま向けの絵本もおいてあります、よろしければお好きなものをお選びください」
「ありがとうございます」
「はあい」
 高く澄んだ声で弾けるように明るく返される『いい子』のお返事に、ふわりと心が高鳴るような心地を味わう。
 いい子なんだな、ほんとうに。どれだけ愛情をかけられて育てられているのかなんてことが、これだけで伝わるようだ。



「お待たせいたしました。プリンセス・ドゥ・フルールとプラネタリウムをお持ちいたしました」
 純白のコックコートにトレードマークのさらりと流れ落ちる蒼い髪を揺らすようにしながら現れたパティシエ・天竺蒼衣の姿を前に、ぱちりとまばたきをしながら青年は答える。
「パティシェさんが自ら給仕してくださるんですね」
 感心を込めた様子で告げられる言葉を前に、どこか照れたように肩を竦めながら蒼衣は答える。
「うちはこの通りちいさい店でしょう? それにまだ出来てまもないんで、人を雇う余裕もなくって。いまのところはオーナーと僕のふたりで回しているんです」
『大人の会話』を横に、瞳をきらきら輝かせるようにしながらちいさなお姫様は尋ねる。
「おにいさんがケーキを作ってくれたおにいさんなの?」
「そうだよ。きょうは遊びにきてくれてありがとうね」
 にこり、と柔和に微笑みかけながら、蒼衣は続ける。
「すみません、ご挨拶が遅れまして。パティシエの天竺蒼衣です。本日は遠いところをご足労いただき、誠にありがとうございます」
「いえそんな」
「魔法のケーキ屋さんだからね、忍くんといっしょにこれるのがすっごく楽しみだったの」
 満面の笑みで告げられる、花びらのこぼれ落ちていくようなやわらかな言葉に、思わずその場のみなにも満開の笑顔が花開く。
「ケーキと紅茶です、どうぞ」
 ことん、とちいさな音を立てながらケーキのお皿と紅茶のカップ、フォークを順に並べていけば、わぁとちいさな歓声があがる。
 定番商品のドーム型のつやつやとしたチョコレートケーキに、この季節の限定商品の桃のレアチーズケーキ。イートインのお客様用にと季節のフルーツと一口サイズに盛りつけたジェラートを飾り付け、チョコレートソースで模様を描いた特別なあしらいは目にも華やかだ。
「いまからお客様のケーキに特別な魔法がかかります。お手元のフォークでケーキにそっと触れていただけますか?」
 ちいさなお姫様への特別サービス、とばかりに芝居がかった声をかけながら食器を手に取るように促せば、傍らの『王子様』からは、さっと手をあげながらの制止の声がかかる。
「すみません、これって動画なんかは撮ってもいいんですか?」
「あまねくんに見せてあげるの?」
「パパとママにも見せてあげようよ?」
 とっておきの提案を前に、みるみるうちに満面の笑みが広がる。
 机の隅に裏返しのままことんとおかれたスマートフォンを見つめながら、蒼衣は答える。
「もちろんですよ。よろしければSNSにもアップしていただければうれしいです」
 オーナーである八代にさんざん教えられた決まり文句――何でも、拡散効果とやらでめっぽう宣伝になるらしい――を告げれば、返事の代わりのようににっこりと穏やかな笑みが返される。
「では順番に。りんちゃん、そのフォークでケーキの花びらにそうっと触ってもらえますか?」
「はぁい」
 よいこのお返事とともに、きゃしゃな指先に握りしめられた金色のフォークがそうっと桃の花びらに触れれば、レアチーズケーキのステージの上では淡いピンクの桃の花びらがそうっと花開き、ふわりと姿を現した砂糖菓子の踊り子はくるりときれいなターンを描き、丁寧なおじぎをして見せてくれる。
「わぁー!」
「へぇー」
 たちまちにこぼれ落ちていく歓声と、心からの驚きと感激に満ちた笑顔。なによりもかけがえのない贈り物を前に、思わず感嘆のため息を漏らしてしまうことは、いつまで経っても変わらない。
「きれいねえ、かわいいねえ」
 きらきらと瞳を輝かせて答えてくれる姿を前に、にっこりと笑いかけながら蒼衣は答える。
「桃の花のお姫様のケーキだからりんちゃんにぴったりだね。いまが旬の桃の果汁がケーキにもたっぷり使ってあるから、どうぞゆっくり食べてね」
 向かい側でスマートフォンを構えた王子様からは、感嘆に満ちた様子のため息がほう、とこぼれおちる。
「こんなに凝ってるのにふつうのケーキとそんなに値段も変わらないんですね」
 大人ならでは、な意見を前に、ぱちり、と目配せを送るようにしながら蒼衣は答える。
「うちは庶民的なのが売りの店なので。仕入れルートなどにもこだわってコストを抑えられるように工夫はしていますが、もちろんその分質が落ちるだなんてことはありません。魔法菓子が晴れの場のための商品なのは確かですが、もっと日常的な楽しいおやつとして選んでもらえるようにしたい、というのがオーナーのコンセプトなんです。よろしければ、そちらのケーキの魔法もお目にかかってもらえますか? 撮影はこちらでさせていただきますので」
 促すようにしてフォークを手にとってもらい、「お借りします」の一言とともにスマートフォンを構える。
「わぁっ」
「きれーい」
 ドーム型のつやつやとしたチョコレートケーキの表面に触れれば、たちまちに星図が浮かび上がる。
「ほんものの星のかけらを使ったグラサージュを振りかけてあるんです。口にしていただければ、視界の端にも星が浮かび上がります。事前にオーダーをいただければ食べられる方のお誕生日の星座が浮かぶようにも出来ますよ」
「ねえしのぶくん、この星座はなあに?」
「射手座だからあまねくんの星座だねえ」
「……あまねくんなのね」
 どうやら共通の知人らしいその名前を王子様がとびっきりの笑顔で口にした途端、満開の花の咲きこぼれるようなお姫様の笑顔がほんのわずかに曇る。
「りんちゃんもチョコレート好きだよね。こっちもちょっと食べてみる?」
 お姫様の不機嫌に気づいたのか、途端にフォローの言葉がかかる。
「じゃありんのもひとくち忍くんにあげるね。交換よ」
 ぱちり、とウインクしながら告げられる言葉は、ちいさくたって立派なレディのそれだ。
「じゃあ忍くん、りんがあげるのであーんしてください」
「はぁい」
 ちらりとこちら側へと目線を向けながら、すこしだけ照れたような笑顔が向けられる。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
 デートのおじゃまをするのは無粋ですので、わき役はこの辺で退散とさせていただきましょう。
 そろりと背を向けて厨房へと足を進めれば、はらりとコックコートの上を流れ落ちる艶やかな髪はぼんやりと青く光る。
「おいし~」
「すごいねえ、おいしいねえ」
 飾り気なんてかけらもない心からの言葉たちとともに、蒼衣の心にいくつもの温かな思いが流れ出してくる。
 おいしい、うれしい、楽しい。一緒にいられて楽しい。大好き。
 ――すこしばかり気まずくなくもないのだけれど、それでも。言葉以上の喜びをありありと感じさせてくれるこの瞬間は、なににも代え難いほどうれしい。



「ケーキのおにいさん、きょうはありがとうございました」
 ぺこりと丁寧におじぎをして見せてくれる姿に、思わず笑顔がほころぶ。とっておきの笑顔での「ごちそうさま」の後にこんなにも丁寧なお礼のご挨拶までついてくるだなんて、行き届いた教育のたまものというのか、なんというのか。
「ほんとうにありがとうございます。来られてよかったです」
 満足げに微笑みかけてくれる王子様の手には、おみやげにと買い求めてくれた焼き菓子のずっしり入った紙袋が握りしめられている。
「おにいさんたち、ふたりでお店するのたいへんでしょう? りんが大きくなったらケーキやさんのお手伝いさんになってもいいですか?」
 じいっと上目遣いに告げられるとっておきの提案を前に、目線の高さをあわせるようにしゃがみこむようにしながらオーナーである八代は答える。
「そっかぁ、じゃありんちゃんが大きくなるまでがんばって続けないとなぁ。でもりんちゃんもこれからいろいろしたいことが見つかるだろうからね。これからしたいことはいっぱいある中から選んでいいんだよ。忘れないでね?」
「はあい」
 とびっきりのよい子のお返事を前に、思わずほころぶような笑顔がこぼれ落ちる。
 これからの無限の可能性を信じて疑わないその態度と、それらをまっすぐに見守ってくれているのであろう周囲のたくさんの大人たちへと思いを馳せるように、思わずうっとりと瞼を細める。
「またいつでもいらしてください、何かのご用時がある時で構いませんので」
「ええ、もちろん」
 にこやかに笑いかけるようにしながらかける蒼衣の言葉を前に、きらきらと星のかけらがあふれ出すような笑顔が返される。

「ケーキのおにいさんたち、まったねー!」

 こちらを振り返りながら元気いっぱいに手を振ってくれるその姿を、蒼衣と八代はただ黙ったまま、うんとちいさな影がすっかり見えなくなるまでじいっと見つめていた。




「親子って感じじゃなかったよな、あのふたり。親戚のお兄さんか何かかな」
 午後十九時の閉店を終えた後、シャッターをおろしたあとの魔法菓子店ピロートでは毎日恒例の閉店後の雑務がそれぞれに繰り広げられる。
 いつものように厨房のモップがけに精を出す蒼衣を後目に、売り上げ表の確認をしながら八代はぽつりぽつりと、昼間に訪れたかわいらしいお客様の話題に花を咲かせる。
「いいよなあ、休みの日に遊んでくれるお兄さんがいるってのは。子どもってのは元来地域のみんなで育てるもんなんだしな。まぁこのご時世じゃ難しいんだろうけどな、そういうのも」
 子連れの客自体はさほど珍しくなくとも、娘と同じ年頃の、それもどうやら父娘ではないらしい(「パパとママ」という言葉が出てきたあたりからもそれは確定だ)ふたり連れとなれば興味が湧くのも致し方あるまい。
 ――客商売だなんて、休日に子どもと遊んでやることが難しい職務に就いているのだからそれはまぁ、よけいに。
「それもちょっと違うと思うけどね」
 きゅっきゅっ、と音を立てての床磨きに精を出していた手を止めて答える蒼衣を前に、すこしばかりのけげんそうな返答がかぶさる。
「どういう意味だ、それ」
 首を傾げるオーナーを前に、ぱちり、とまばたきをしながら告げる返答はこうだ。
「教えてくれたんだよね、お兄さんがいない時に。『しのぶくんはりんのかれしなのよ』って」
 お手洗いに、と王子様が席を離れたタイミングを見計らうようにしてちょいちょい、と手招きをして耳元で告げられたとびっきりのかわいい「告白」を思いだし、思わず頬がゆるむ。
「なるほどって思ったんだよね。あの子、忍くんが自分のほう見てくれるたびに照れたみたいにちょっとだけ赤くなってニコニコ笑っててさ」
 こちらに向けられるのはあからさまに異なった色に染め上げられたその笑顔は決して、気心の知れた相手だからこそ、というのとは異なっていた。
 もちろん、そんなお姫様のそぶりのひとつひとつを見逃さずに掛け値なしの笑顔で応えてくれる『王子様』のとっておきの態度がきらきらと輝いて見えたのは言うまでもない。
「……彼氏とデートだったわけかぁ、なるほどねえ」
 キャンディモチーフのヘアゴムでふたつ結びにした髪に、猫のアップリケのついたTシャツ、三段フリルのデニムスカート、黄色いリュックサック。
 あの年頃の子どもなりの精一杯のおしゃれに身を包んで周囲はじけるような笑顔で傍らの相手をじいっと見上げていたあの態度にも納得がいくというものだ。

 ありがとう。うれしい。おいしい。しのぶくん、だあいすき。

 きら星のようにまたたくいくつものうれしい・楽しいの気持ちのかけらは蒼衣にはきちんと届いていた。もちろん、それらに応えてくれる『忍くん』のあたたかな気持ちのひとつひとつだって。
「八代もどうする? 恵美ちゃんが『かれし』だって、あんなうんと年上のお兄さんでも連れてきたら」
 ほんのすこしばかりのいたずら心を込めて尋ねてみれば、途端にうろたえた様子での返答が勢いよくかぶさる。
「いやいやいやいや、まだ早いだろ幾らなんでも。や、あの子が親公認なのはわかるよそりゃあ。そうじゃなきゃこんな遠くまではるばる連れ出さないに決まってんだろう。だからってまだそんななぁ。幼稚園にだって好きな男の子がいるかどうかだなんて。や、テレビでアイドルのどの子がかっこいいだのそういうのは言ってるよ? まぁだからって相手が男の子じゃなきゃだめだなんて俺は思わないし、そこはまぁ恵美の選ぶ相手なら恵美の気持ち最優先だからな。それにしたってなぁ」
「……八代」
 そこまで言ってないのに、というのは無粋だろう。
「ちょっと落ち着いて。計算、間違えたら一からやり直しでしょう?」
「誰のせいだと思ってんだ、動揺させやがって」
 本心ではない、ということがちゃんと伝わる軽口めいた口調で答えながら、いつものように無造作にばんじゅうへと手を延ばし、売れ残りのケーキを豪快に手づかみでわしわしと口へと運ぶ。
「やっぱりざわざわした時はうちのパティシエ様の世界一のケーキに限るなぁ。俺の精神安定剤だもんなぁ」
「八代は何につけても大げさなんだよ」
 照れ笑いとともに肩をすくめれば、流れ落ちる髪はいつものようにぼうっと明るく蒼く光る。
 豪快に笑いながらうれしそうにケーキを口にしては子どものように無邪気に魔法効果に驚いてみせる、すっかり見慣れてしまった『相棒』のその笑顔とともに、いくつもの感情がたちまちに蒼衣の中へと流れ込む。

 蒼衣のケーキがきょうもとびきり美味しい。きょうもたくさんの人に喜んでもらえてうれしい。娘にもまたいつか好きな相手が出来ていくことを思うと、すこしだけ寂しい。

 いつも感じるそれとはすこしだけ趣を変えた最後のひとつに、なぜか蒼衣まですこしだけ胸が痛んだのはここだけの秘密だ。





「ほら、ここだよ。かわいいでしょ」
 聞き覚えのある明るい声とともに、自動ドアがそうっと押し開かれる。
 途端に現れるのは、数週間前にもちいさなお姫様の手を引いて訪れてくれた『王子様』その人だ。
「いらっしゃいませ――あ、」
 接客のためにと喫茶スペースに立っていたオーナーに成り代わりカウンターでの業務をこなしていた蒼衣を前に、にっこりと気さくに微笑みかけながら王子様は答える。
「こんにちは、お久しぶりです」
「またきてくださったんですね、はるばるありがとうございます」
「いま市立美術館でモネの企画展がやってるでしょう? テレビで見ていいなって思って、そのついでに」
 にっこりと笑いながら図録が入ってるらしいビニールバッグを掲げて見せてくれる傍らには、こないだとは打って変わって、同世代らしい青年の姿が望まれる。
「きょうは大人の会ですけど」
「こんにちは」
 すこしかしこまった様子のぎこちない笑みに、思わずこちらもまた、背筋が引き締まるような心地を味わう。
 ――これはまたまた、絵になるおふたりさんというのか、なんというのか。
 しゃんと伸びた背筋、手前の彼の随所に遊び心の感じられる装いとは異なった、飾りの気のないシンプルで、それでいて仕立ての良さそうな服装、石膏の彫刻やガラス像を思わせるどこもかしこも研ぎ澄まされた鋭利さを覗かせる風貌はいかにも人好きなオーラを放つ手前の彼とは一見正反対なように見えるのに、どこかしら不思議な調和を感じさせてくれる。
 さながらふたりの王子様のご来店だなんて言ってもおおげさではあるまい。
「ほら、ここのケーキどれもすっごい綺麗でしょ? そんでねえ、いっこずつ食べるときに魔法がかかるんだよ。すごくない?」
「魔法菓子ってもっと高価なものかと思ってたんですけど、どれも手頃なんですね」
 ひとつひとつの値札に書かれた効能を前に首を傾げる彼を前に、いつもの通りの決まり文句を蒼衣は告げる。
「当店のお菓子はあくまでも日常に花を添えるものとしてお作りしておりますので、敷居が高くないのが自慢なんです。お味ももちろん折り紙付きですから、どうぞごゆっくりお選びくださいね」
「ね?」
 得意げに笑いかけながら答える姿を前に、こわばっていたかのように見えた彼の顔には、またたくまにほがらかな笑みが広がる。

 ああ、これはきっと、傍らに寄り添う『王子様』だけがかけられるささやかな魔法だ。



「お待たせいたしました、ゴールデンタイムミルフィーユとそよ風シフォンケーキをお持ちいたしました」
「そんでね周――、」
 にこにこと上機嫌の様子の笑顔で繰り広げられる会話に割りいるような形で、シルバーのトレイを持ったままそうっと立ち寄る。
 途端に耳にした聞き覚えのある名前を前に反応してしまったのは、いわば『事故』としかいいようがあるまい。
「ああ、あなたが『あまねくん』?」
 思わずそう声をあげた蒼衣を前に、当人だけでなく、向かい側の彼のほうまで目を丸くしてみせる。
「――あっ、はい」
 戸惑いを隠せない様子の姿を前に、恐縮したようにぺこぺこと頭を下げながら蒼衣は答える。
「えっと、ごめんなさいびっくりさせて。先日そちらの彼が――忍さんが来てくださった時、『あまねくん』の話をよくしてたなあって思って」
「忍……、」
 たしなめるようにかけられた言葉を前に、とうの本人といえば、どこか得意げにニコニコと屈託なく笑って見せるのがなんだかほほえましい。
「すみません、ご挨拶が遅れまして。当店のパティシエの天竺蒼衣です。ご注文のお品、こちらにおかせていただきますね」
 ことん、とそうっと音をたてながら順にケーキと紅茶を置けば、屈託なんてかけらも感じさせない笑顔での自己紹介が告げられる。
「桐島忍です、こっちは周」
「……こんにちは」
 ぎこちなさを隠せない様子の、それでも、掛け値なしのぬくもりを潜めたことをありありと伝えてくれる笑顔に、ふわりと心が温められる。
「こちらのケーキにはどちらも特別な魔法がかかっています。どうぞお楽しみくださいね」
「すごいんだよ、周きっとびっくりするよ」
 お決まりの文句を告げれば、フォークを手にした忍からは、子どもに戻ったようなきらきらの笑顔が広がる。
 こないだとは違って、スマートフォンはしまわれたまま――忍の瞳は、ただまっすぐに真正面の彼を見つめている。

 さく、と音をたててミルフィーユにフォークを突き刺せば、たちまちに流れ出すのは優しいオルゴールの音色。目を丸くしたまま口元へと運べば、とたんに照れくさそうな、それでいて、何よりもの喜びに満ちた笑顔がふわりと広がる。
「こちらは口にするとその日のとっておきの思い出がよみがえるミルフィーユです」
 幾重にも重ねられたさくさくのミルフィーユは時間の積み重ね、ピスタチオにカスタードのクリーム、あまずっぱいベリーのソースと季節のフルーツはそれぞれに異なる色合いと風味で、喜びや驚きに満ちた『その日いちにちの出会い』を表現している。魔法効果の再現率にも口にした時の豊かな味わいにもとびっきり満足してもらえるようにと、何度も実験を重ねてきたピロートの自慢の新作だ。
「……恥ずかしいですね、なんか」
 かすかに顔を赤らめるようにして――それでも、とびっきりのおだやかな笑顔でじいっと目の前の彼を見つめる姿をみれば、言葉になんてしなくたって、彼が思い描いた『金色の時間』がどれだけ輝かしいものかなんてことはみるみるうちに伝わる。
「ねえどんなの? どんなの? 教えてくれたっていいじゃんねえ」
「……言ったらだめだろ」
「いいじゃん別にそんくらい、周のけち」
 子どものような口ぶりで答えて見せながら、そよ風シフォンケーキへとそうっとフォークを突き刺す。とたんに流れ出すのは、頬をくすぐるようなやわらかに吹き抜ける風と、かぐわしい花の香りだ。
「すごいねえ、これ、食べててもすごいふわーってする。どうなってんだろうねえ、楽しいねえ?」
 ニコニコと満面の笑みでありのままの喜びを表現する彼を見つめるもうひとりの『王子様』にみるみるうちに広がるのは、照れくささを隠せない様子の掛け値なしの喜びに満ちた笑顔だ。

 うれしい。楽しい。安心する。

 とたんにいくつもあふれ出していくあたたかな思いのかけらは、まるでおだやかな春風のように蒼衣の心をやさしく包み込んでいく。
 ――これ以上盗み聞きしてしまうのは忍びないので、この辺で退散させてもらったほうがよさそうだ。

「ごゆっくりどうぞ、何かお困りのことがありましたらお声をおかけください」
 厨房へと戻る間も、ふたりを包むおだやかなそよ風の余韻は蒼衣の胸から離れないままだった。




「なあんか俺たちみたいじゃなかった、きょうのおふたりさん」
 日課の帳簿付けにも一段落がついたのか、いつものように遠慮のない手つきでわしわしと売れ残ってしまったケーキを手づかみで口にしながら答える八代を前に、思わず呆れたような口ぶりで蒼衣は答える。
「忍くんと周くんのこと? もしかしてだけど」
「そうそうそう。へえ、周くんっていうんだ、かっこいい名前してんなぁ。なんかすごいいい感じだったじゃん、気心しれた親友って感じ?」
 ちら、と思わせぶりな目配せをしながら告げる言葉を前に、どことなく気まずさを感じながら目をそらす。
 みるみるうちに脳裏に浮かぶのは、昼間に訪れてくれた彼らふたりの様子だ。
 常連にも高校生の男の子たちふたり組は居るけれど、彼らとはあからさまに違う――積み重ねてきた時間のありようを思わせる息の合った様子、時折交わされる視線のあたたかさ、リラックスした様子の笑顔――いかにも人好きしそうな屈託のない明るさとはきはきとしたものおじしない態度で場のムードを盛り上げる忍くんと、そんな彼の傍らで、ぽつりぽつりと言葉を選ぶようにしながらすこしばかりぶっきらぼうな口ぶりで――それでも、とびっきりのあたたかさを潜めた様子で丁寧に答える周くん。
 いかにも対照的でありながら、それゆえの息のあったそぶりを見せる彼らに、なにかしらシンパシーめいたものを感じなかったと言えば、嘘になるのだけれど。
「ちょっと調子に乗りすぎじゃない? あのおしゃれなイケメンコンビだよ?」
「あぁー、おまえも見た目はいいのにファッションセンスは壊滅的だもんなぁ」
「僕はコックコートが正装ですから」
 痛いところを突かれた、と思いながら、新作ケーキの評判やお客さんから耳にした意見を書き連ねたノートの表紙をぱたんと閉じる。
「まぁさ、八代がいいたいのがそういうのじゃないことくらいはわかるんだけど」
「だろうー?」
 得意げに笑いかける親友からは、いくつもの感情がふわふわと流れ出す。
 今日も店をやれて楽しかった。みんなが喜んでくれてうれしい。自慢の蒼衣のケーキがきょうもとびきり美味しい。
 いつまでも変わらない信頼と愛情が、そこには確かに刻まれている。
「いいもんだよなあ、親友ってのは。いっくら家族や恋人やら大事な相手がいたって、ほかじゃ誰にも代わりになれない役割だもんなぁ」
「……違うと思うけどね、あの子たちは」
 ほがらかに笑ってみせる姿を前に、ぼそりと遠慮がちに答えれば、とたんにかぶせるような勢いで、どこかしら不服さを隠せない様子の返答が落とされる。
「どういうことだ、それ」
 なにかおかしなことでも? 不可思議そうに首を傾げて見せる『親友』を前に、蒼衣は続ける。
「八代は気づかなかった? あの子たち、指輪してたでしょう、左手の薬指に」
「……してるだろう、そりゃあ。俺たちと同じくらいだろ、若く見えたけど」
 尚も首を傾げたままのそぶりを前に、導き出すようにきっぱりと、蒼衣は答える。
「お揃いだったよ、ふたりで」

 時折目を合わせては照れくさそうにそらす態度、お姫様に向けていたそれは異なった、とびっきりのぬくもりに満ちた笑顔、それに、フルネームを名乗った後の彼の、すこしだけはにかんだような態度。

 相手が喜んでくれるのが何よりもうれしい。一緒に来れて本当にうれしい。こんな時間がなによりもいとおしい。
 とたんにあふれだしてきたいくつものあたたかな感情は紛れもなく『特別で大切な相手』と預け合うそれだった。


「ああ~……あぁ……、」
 どことなく呆けたような様子で吐き出されていく言葉を前に、思わずにっこりと笑顔で応える。
「いろいろあるんだよね、きっと。外から見ただけじゃわかんなくてもさ」
 家族・友達・友人・同僚――こうして店を構えている中で、さまざまな人と人をつなぐ絆のあり方があるのだということは、蒼衣も八代もまた、身にしみて日々感じていたことだ。
 一見同じ枠組みに属しているように見えるそれらが、ひとたびのぞき込んでみればどれひとつとったって同じものなんてあり得ないのだということ。だからこそ時にもどかしく、時に愚かで、それでいていとおしさに満ちているのだということ。
 そして何より、そのどれにも属さないけれど、確かにここにあるかけがえのない温かな、『いまはどこにも名前のない絆』がこの世の中にはいくらだって溢れているのだということ。
 言葉にしなくたって、魔法菓子の力を借りなくたって『伝わる』、かけがえのない想いがふわふわと、甘い香りとともにふたりを包み込むのを肌で感じる。

「いいよねえ、大事な相手がいるっていうのは」
 しみじみと感慨をこめるようにそう呟けば、傍らの『親友』からは、おどけたように肩をつつきながら、掛け値なしの笑顔と言葉が返される。
「なんだなんだ、人恋しくでもなったかぁ? 俺というものがありながら水くさいよなぁ~」
「……そんなこと言ってないでしょ。だいたい、八代は自分のことそうやって買いかぶりすぎ」
 君のことが大切だとそう伝えたのは嘘偽りない気持ちだけれど、それにしたってこの終始自信過剰気味な態度はどうなんだか。――そうでなければ彼らしさだなんてものがなくなってしまう、というのはおいておいて。
「なんだよパティシエくん。俺が褒められて伸びるタイプなことくらいわかるだろう~」
「それとこれは別です」
 わざとらしく素っ気ない様子で答えて見せながら、気づかれないようにそっと、コックコートの下でわずかにうずく胸にそうっと手を当てる。


 八代に自分と同じ能力がなくってよかった、ほんとうに。
 変わらずにぼんやりと蒼く光る髪を眺めながら、胸の内でだけぽつりと静かに蒼衣は呟く。
 かすかに漏らしたため息のあまく苦い息苦しさは、きっとこれから先だって、誰にも伝えられない。




「蒼衣さんのおいしい魔法菓子」同人誌版はこちら




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