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調弦、午前三時

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きょうのダンス

ほどけない体温、周くんと忍。
11月の東京文フリで出した本からの再録です。


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 ピチチチチ、チチチ。

 不揃いな鳥の歌声があわく耳をくすぐる。
 これはなんて鳥だろう。家の近所で聞くのとはすこし違う気がする。じいっと耳をそばだてるそのうち、甲高くて澄んだ歌声の群の中に、ぽつりと不協和音が混ざっているのに気づく。
 リズム感はどことなく不安定だし、音階がところどころ外れてる。ああ、こいつか。もしかして。
 まさか、ほんとうに聞けるだなんて思っていなかった。忍がいつか教えてくれた、囀るのがいやに下手な鳥だ。

 なあ、忍。あってる?

 心の中でだけそっとそう呟き、じいっと耳をそばだてる。
 ピピピピ、チチチチ、ピチチチ。
 個性的だなんて言葉が慰めになるのかわからないけれど、あからさまに一匹だけ調子が違う。これで大丈夫なんだろうか、ほんとうに。もしかすればそのうちうまくなるのか、それとも。
 ほら、がんばれ。聞いててやるから。
 ちゃんとどこかにいるはずだから、おまえのことをわかるやつだって。

 心ばかりのエールとともに、重く塞がった瞼をゆるくしばたかせながら、いつもよりもすこしだけ広々としたベッド軽い身じろぎをする――でも、『半分空いた』わけじゃない。腕の中にはぴったりと寄り添うようにしながらすうすうと規則正しい寝息を立てる、ひとりぶんの体温が委ねられている。

 くしゃくしゃの寝癖の頭、花びらみたいなほんのり色づいたうすいまぶた、時折むにゃむにゃ動く唇。起きてる時だってあれだけよく喋るんだから、夢の中でもなにか喋っているんだろうか。
 あたたかくてやわらかなそれに指を伸ばして、気づかれないまま触れていたい。
 または、この無防備な顔をこのままじっと息を殺していつまでも眺めていたい。
 ふたつのぶざまな願いは、そのどちらも選びようがないのを知っている。ぱち、と震えるまぶたは、目覚めのほんのすこし前にいるのを教えてくれているから。
 
 いいな、なんか。こういうの。

 喉の奥でだけぽつりとそうひとりごちながら、あたたかな息をゆるく吐きだす。自分の無防備な姿を見られるのはやっぱりまだどことなくはずかしいけれど、立場が逆になれば途端にカードは裏返る。
 すこしだけいびつに震えた指先を伸ばせないままにじいっと目を凝らしたままでいれば、綺麗なアーモンド型のカーブを描くまぶたをしばたかせながら、あやふやに揺らいだ視線はこちらを捕らえる。

「あま……ね、」
 ぎこちない身じろぎとともに半分ふちのとろけた響きで名前を呼ばれると、途端にざわざわと胸騒ぎに襲われる。
「おはよ」
「ゆめ、――おしえてあげよっておもったのに……わすれちゃった」
 まだ半分夢のふちを漂っているのだろうか。いつも以上に子どもじみて頼りない響きで漏らされる声は、背骨のあたりにぞわぞわとあまく響く。
「まだ眠い? もしかして」
「いい……」
 ぶん、とかぶりを振りながら、ぐり、とパジャマ越しに胸元に顔を押し付けられる。布地越しのさわさわ擦れるもどかしさにむずがる子どもみたいな心地でいれば、向こうも同じなのか、手慣れた手つきでぷつ、ぷつ、とボタンを外される。
「こら」
 全然気持ちのこもらない咎め方をすれば、お構い無しとばかりにあらわにした首筋や鎖骨に唇を寄せられる。
 しばしばされる、滑らせるような甘噛みは歯が生えたてで疼く子猫みたいに無邪気で、それでも、そのじゃれつきの奥にはお互いよくよく見知った熱がぼんやりと灯されているのだからめっぽうたちが悪い。
 抱き寄せあった身体の中心には、不穏なぬくもりが押し付けられているのだから余計に。
 ――ほら、それはまあ……朝なので。
「あまねさぁ」
 上目遣いにじいっとこちらを見上げながら、忍は尋ねる。
「こゆときさ、いっつもいったん怒るじゃん、怒ってないのに。そゆ時のかお、すき」
 輪郭のとろけたささやき声でにいっと得意げに笑いかけられながら投げかけられる言葉のひとつひとつに、ぞわぞわとぶざまなまでにあまい震えに襲われる。
「……なめやがって」
 怒られてうれしいだなんて、許されることを知ってるから言えるセリフだ。それでもその願いは、当然のごとくあっさり叶ってしまう。
 悔し紛れに搔き抱いた頭をくしゃくしゃにしながら、もう片方の手ではパジャマの裾からもぐらせた掌で、ごそりと形の良い背骨を撫でてやる。
 寝起きの体温はぼんやりとあたたかくて、掌を這わせるとほどよくぬるまってほどけていくのが心地いい。
「くすぐったい」
 嬉しそうに笑う顔があんまりかわいいので、そのまま抱き寄せてほんのり赤く色づいたまぶたの上へと、かすめるみたいに口づける。

 途切れた夢のゆくえはわからないままだけれど、ひとまずは昨夜の夢のようなひと時に舞い戻るのも悪くないはず。
 あたたかな檻の中に互いを捕らえたまま、巻き戻し再生の朝がはじまる。




「そういえばさ、いまさらだけど」
 贅沢すぎる二度寝のあとで迎えたやや遅めの朝ごはんのさなか、白ごはんの上の程よく半熟の目玉焼きの黄身を潰しながら周は尋ねる。
「おまえんちはじめて泊まった時あったじゃん、そん時さ」
 まだこんな風になるだなんて、まったく予想できるはずもなかった時。
「ベッドみたしゅんかんうっわ、って思って。だろなーってすぐ納得したけど。なんかいまさら急に思い出した。さっき起きた時、そっか、きょうおまえんちだよなって気づいて」
「……初耳なんだけど」
 いじけた子どものように顔を赤らめてみせる姿を前に、思わず得意げににいっと笑いながら周は答える。
「はじめて言うし?」
 余裕たっぷりに返しながら、程よく焼き目のついたウインナーに齧り付く。

 なんの因果か、としか呼べないきっかけで忍の部屋での一夜を過ごすこととなった思い出深い(?)夜、予想よりも整った部屋で真っ先に目に留まったのは、壁際に鎮座する、周の部屋にある『それ』よりも随分とご立派に見えたセミダブルベッドだ。
「しれっと女連れ込む気かよ、だろーなーって思って。まあ、ふつうに引いた」
 狭い部屋を少しでも広く使いたい、だなんて涙ぐましい理由から、周の部屋にあるのは当然シングルだ。
「ちがくて」
 気まずそうに顔を赤らめたまま、忍は答える。
「うち出る時さ、佳乃ちゃんといっしょにニトリ行ったのね。そん時言われたんだって、あんた寝相悪いんだからおっきいのにしときなさいって。そのほうが安心でしょって。そんな変わんなかったし、値段」
「フーン」
「周だって使ってんじゃん」
 負け惜しみみたいにぽつりと力なく漏らされる言葉に、強気な笑い顔で答える。
 そういえばこのベッドで寄り添いあって―いや、もつれあって眠った相手がいるんだよな、まだ記憶にあたらしい会ったこともない女の子や、その何代前にも渡ってきっと。
 唐突にそんな物思いに襲われたとはいえ、もちろん言わない。不機嫌にさせるだけだし、取り繕うように弁明するこんな態度だけでひとまずはじゅうぶん満足なので。
 ずずっと、音を立ててゆうべののこりのクラムチャウダーを啜りながら、なおも追従の言葉は続く。
「あとその佳乃ちゃんって言い方。べつにいいけど、アドレス帳にかっこしてお母さんって登録してんのすげえあやしいよなーって。浮気相手のこと仕事の取引先の名前で登録してるみたいなあれかなって、ふつうに思った」
 一緒にいた時、電話越しに親しげに話す姿を前にけげんそうに顔をしかめるこちらを前に、わざわざスマホの画面を見せられたのをいまでもちゃんと覚えている。

『佳乃ちゃん(お母さん)』

 なんだよそれ、と思い切り脱力させられた末に、何故だかぶざまないらだちすら覚えて。
 ――それもまた、こんな風になるだなんて思いもしなかった、ずっと前の思い出話だ。
「しゃあないじゃん、佳乃ちゃんは佳乃ちゃんなんだし」
 ばつが悪そうに答える姿を前に、得意げに笑いかけながら周は続ける。
「まあいるけどな、母親のこと呼び捨てするやつ。でもなんか、おまえだと思うと途端にあやしくなんじゃん」
「……周の中の俺のイメージってどうなってんの」
 不機嫌を装った口ぶりでかけられる、いつか耳にしたのと同じセリフを前に、うろ覚えで答えるのもまた、『いつか』のそれとおなじ言葉だ。
「洗いざらい聞いたらぶっ倒れんぞきっと、その覚悟ある?」
「……じゃあ周がいる方向に倒れる」
『あの頃』なら聞けるはずもなかった答えに、おもわず得意げににいっと笑いかけてやることで答えてみせる。

 本当に知らなかったんだよな、ちっとも。
 それほど遠い過去のことでもないはずなのに、気づけばもう随分と昔のように思える『あの頃』の断片を前に、おもわずちいさく苦笑いを漏らす。
 勝手な憶測でなにもかも決めつけて、『わかろう』だなんてかけらも思っていなくて――それもこれもみな、愚かで浅はかな自分がこれ以上傷つかないための自己防衛の手段のひとつだなんてそう思い込んで。

「……勝手だったんだよな」
 ほんとうにそうだった。いまだって、すこしも『変われた』なんて思っていやしないけれど、それでも。
「あまね、」
 すこしだけ息苦しそうにこちらを見つめるまなざしをかわすように、にこり、とぎこちなく笑いかけてやる。
 いまはそのくらいで精一杯だなんて、情けない話ではあるけれど。
「でもさ、」
 力なくぽつり、と吐き出すように、言葉を続ける。
「いまこやって言えんのもさ、そうじゃないって知ってるからなんだよな」
 いまさらな身勝手な誤解をぶつけられるのは、口にしたって許されることを、そんな傲慢さすら愛されていることを知っているからだ。
 ――甘えているのはどっちなんだろう、ほんとうに。
 ぶざまに口ごもるこちらを前に、包み込むようにやわらかな言葉は舞い降りる。
「……ありがと、周」
「うん、」
 そんなの、ほんとうに言わなくちゃいけないのはこちらの方なのに。
 飾りなんてひとかけらもないまっすぐなぬくもりだけをまとったはだかの心を届けてくれる忍のこんな態度ひとつひとつが、周にはいつだって、何よりもいとおしい。

「そういやきょうさ」
 黄身で汚れた口の端をらんぼうにぬぐいながら、周は尋ねる。
「いったんうち帰るけど、夕飯食いに来る? うち」
「うん」
 すぐさまかぶせられる『いい子のお返事』に満足げに微笑みながら、言葉を続ける。
「きょう何にしよ。寒いし、なんかスープでも作ろっか。鍋でもいいけど。おまえはなんかある? 食いたいもん」
「んー……」
 すこしだけ考え込むようなそぶりを見せたのち、いつもどおりのあの、無邪気さをまとった口ぶりで忍は答える。
「んとねえ、ピーマン入ってないやつ」
 すっかりお決まりになってしまった言葉を前に、わざとらしく顔をしかめて見せながら周は答える。
「好き嫌いすんなっつってんだろ」
 たしなめるような言葉を前に、すっかり耳に馴染んでしまった、いじけた子どもみたいな言葉がかぶさる。
「周のいじわる」
「知ってんだろ」
「うん」
 満足げに微笑みかけてみせる姿を前に、まだ寝癖の残った髪をふわりとやわらかになぞりあげる。
 喉をそらしてまぶたを細めてみせる姿に、大型の猫にでも懐かれたような気分にさせられる。

 ちゃんと知っている、大切なことならみんな。
 忍が誰よりも周を愛してくれていること。
 周が忍をこんなにも愛していること。
 忍がそのすべてをいつだって受け止めてくれていること。
 ふたりがいまこうして、ありふれた幸福に満ち足りた恋をしていること。

「楽しみだね、晩ごはん」
「……おおげさだな」
 あきれたような笑い顔で漏らした言葉は、たちまちにくしゃくしゃの穏やかな笑顔に包み込まれる。
「周はそうじゃないの?」
 いじけたような口ぶりで投げかけられる言葉を前に投げ返すのは、きっとこれからも何度だって口にするはずの、ありふれた言葉だ。
「なわけないだろ」
「……そっか、」
 やわらかに落とされていく言葉にうっとりと瞼を細めれば、鼓膜の奥にはかすかにあの、すこしだけ調子の外れた穏やかな歌声が聞こえる。

 大丈夫。もうなにも恐れなくたっていい。
 ここにいる。ここにいる。

「忍、」
「なに?」
 じっと目を凝らすようにしてこちらを見つめる姿をまっすぐ見つめながら、周は答える。
「ありがとな」
「……どしたの」
 たちまちにうろたえてみせる姿に、いとおしさとしか言えないものがふつふつとにじむ。
「どうもしねえよ」
 笑いながらいびつに引きつった指先をぶつければ、微かに触れ合うその先からたちまちに、穏やかなぬくもりは溶け合う。

 確かなものだけで満たされた日々は、またこうしてふたりの間で回り続ける。








さえずるのが下手な鳥は「春、間近」に登場した鳥です。
憶えて下さっている方がいらっしゃればうれしいです。


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