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調弦、午前三時

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ちいさなお姫様の大冒険




「ただいまー。八代ごめん、ちょっと相談――」
「おう、やっと帰ったか。じゃあ交代で飯な! きょうはあすこのカレー屋が日替わりサービスの」
 きゅうきゅうと切なげに唸り声を上げる腹の虫に耐えかねんばかりにエプロンを外しながら勝手口へと視線を投げかければ、途端に視界へと飛び込んでくるのはストライプの薄手のシャツにぶかぶかのカーディガン姿の外出用の軽装のまま、困り顔を浮かべるようにしながらこちらへとぼうっと視線を投げかけるお抱えパティシエの姿だ。
「ごめん、そのことなんだけどちょっと待ってほしくて……出前かなにかにしてもらってもいい? なんならお弁当でも買ってくるけど……」
「どうしたいきなり、なんか悪いもんでも食ったか? それとも拾いもんでもしたか?」
「強いて言えば後者かな……」
 力なく答える蒼衣の陰からぴょこんと現れた『お客様』を前に、思わず声を上げてしまったのは不可抗力としか言えまい。
「隠し子……!?」
 年の頃は娘と同じくらいか少し上だろうか。緩めに結った三つ編みの髪にはアイボリーの大きなリボン、襟のついた花柄のワンピース、ブランドのロゴの入ったミニチュアみたいなスニーカー、うさぎの顔の形のポシェット。そして何より、抜けるような白い肌に映える赤みがかったやわらかそうな茶色の髪、きらきらと輝く金茶色の瞳。
 これはこれは、予想などつくはずもあるまい急展開だ。
「蒼衣よ、そりゃあ俺たちくらいの歳にもなればいろいろあるよなぁ? それにしたって水臭いのにも程があんだろ? 相談のひとつくらいしてもいいだろ? そもそも国際交流だなんて聞いてないぞ?」
「ちょっと八代、なんでそうなるわけ? 飛躍しすぎでしょ」
 思わずまくしたてるような勢いで尋ねれば、ひどく慌てたようすの返答が覆いかぶさる。
「ごまかさなくたっていいんだぞ、ほら、よく見たらなんとなく似てるもんな。女の子って父親に似るもんだしなぁ」
「だから違うって、この子は迷子なの。さっき帰り道の途中で会っちゃって。商店街のインフォメーションにでも連れて行こうかなって思ったけど、心細そうにしてたから……」
 どうやらなにを話しているのかはわからないようだが、自分のことが話題に上がっているのは当然伝わるのだろう。きらきらと輝く大きな瞳はぎこちなく揺れながら、傍の蒼衣とこちらのようすをちらちらと交互に眺めている。
「あー……仕方ないな、こりゃ」
 腹を決めるように近づき、視線の高さを合わせるようにしゃがみこみながら八代は尋ねる。
「ソーリソーリー。マイネームイズヤシロ。ホワッツユアネーム?」
「Charlotte」
 わずかに震えた、澄んだ高い声で告げられる名前に、ふわりと心を温められるような心地を味わう。
「へえ、シャーロットちゃんかぁ」
「そんなことも聞いてなかったのかおまえ?」
「だってそんな、どうしたらいいのかなって」
 うろたえる姿を前に、ひょいひょいといなすように手を振りながら八代は答える。
「いいからいいから、ひとまず着替えて来い。こっちは見とくから」
 キュルキュルとうめき声を上げる腹の虫をどうにかなだめすかしながら、気づかれないようにため息を吐き出す。
 ――ま、仕方ないよなこればっかりは。



「まずは状況の確認な。いつもどおり、昼休憩に出たおまえがパスタ屋を出た後、買い物も済ませて、花屋の角を曲がって店に戻ろうとしたと」
「それで気がついたら、ぎゅって手を引っ張りながらDaddyって呼ばれて。あれ? って思ったら彼女の方も目をまんまるにして驚いてて」
 外国人でもこんな長髪のお父さんはそうはいないと思うのだけれど……いやいや、子どもの目の高さならそこまで見えていなかっただけなのかもしれない、もっと単純な話。
「シャーロットちゃん、六歳、ロンドンからパパと一緒に遊びに来てる。ここまではオッケーな。そうだ、もしかしていまどきの子ならスマホかなにか持ってるんじゃないか? ドゥーユーハブモバイルフォーン?」
「Yes」
 自身の四角い端末を掲げるようにしながらカタコトの英語で尋ねれば、幸い通じたらしく、子ども用の椅子に腰かけたお姫様はうさぎのポシェットからそろりと、パステルカラーのケースに包まれた端末を取り出してみせる。
 手慣れた様子でパスコードを解除し、得意げな顔でかざされた四角い画面に映し出されているのは、名古屋城をバックにした満面の笑みでのスリーショットだ。
 真ん中にはお姫様、右手にはみごとなブロンドへアに青い瞳の男性――これが彼女の父親なのだろう。向かって左手には、こちらに住む友人だろうか、どことなくお抱えパティシエにも通じるような甘くやわらかな雰囲気を滲ませた黒髪の青年が佇む。
「My Daddy!」
 ニコニコと誇らしげに答える姿からも、間違いではないらしい。
「そっかそっか、自慢のお父さんだなー」
 言葉が伝わらなくともニュアンスはわかるのか、お姫様の顔には満面の得意げな笑みが広がる。
「ていうか連絡とかないの? こっちからかけてもいいのかな?」
 電波は繋がってるぽいからな、ポケットwifiか何か持たせてんのかなー。ちょっと借りてみるか。貸してってなんて言うんだ。プリーズレンタルジス……?」
 身振り手振りを交えながらの交渉を試みれば、絶妙なタイミングで魔を読んだかのように、手元の端末は着信を告げる。
 液晶画面の表示を前に、パッと目を輝かせながら手慣れたようすで端末を手に取り、彼女は答える。
「Hi,daddy?」
『Charley?』
 スピーカー越しに、僅かに男性の声が漏れ聞こえる。どうやら電話の相手は先ほど見せてもらった『お父さん』らしい。
 ひとまずはこれで安心―していいのだろうか。迎えに来てもらおうにもこちらの場所は説明しなければ。果たして彼女にそれが出来るのか。はらはらと不安に揺らされながら見守っていれば、案の定、とばかりに四角い端末をそっと手渡される。
「蒼衣出ろよ、保護したのはおまえだろ」
「そんなこと言われたって無理だよ、八代が変わってよ。さっきだって話してたでしょ?」
「あのくらい中高英語教育受けてりゃこなせる範囲だぞ」
「そんなこと言ったって個人差があるんだってば、そういうのには」
 心底困ったとでも言いたげな顔を前に、しぶしぶと端末を手に取る。
 どうせどうやって出ればいいのかわからないとか言い出しそうだし。
 念のために、とスピーカーフォンの設定をしてから意を決するように応答をすれば、たちまちに流れ込んでくるのは予想に反しての流暢な日本語での返答だ。
『すみません、そちらピロートさんのお店の方でよろしいでしょうか? 娘がお世話になっているとお聞きしたのですが』
「あっ、はい」
 固唾を飲んで見守るパティシエの方へとちらちらと視線を送りながら、八代は答える。
『ご迷惑をおかけして申し訳ございません。位置情報を確認したところ、お店の名前が表示されていて―念のため、番地をお伺いしてもよろしいでしょうか?』
「はい、……です。ええ、神社を目印に来てください。上はアパートになっている小さな店です。住宅街なので少しわかりづらいかもしれません、迷われましたらお電話ください。わかりました、ありがとうございます」
 会話を終えると、思わずふう、と安堵のため息を漏らす。
「すぐにお父さんが迎えに来てくれるってさ。ユアダッドイズカミングスーン」
 お父さんの声を聞いて安心したのか、途端に目の前の少女にはぱあっと花の咲いたような笑みがこぼれおちる。
「蒼衣、こっちは見ておくからカウンター頼んだ」
「ああ、うん」
「お父さん日本語話せたろ? そんな緊張しなくたっていいから、な」
 大きな子どもをなだめるような心地に襲われながら、ちいさな両手をそえてりんごジュースをちゅうちゅう吸ってみせる異国のお姫様の姿をぼうっと眺める。
 こんな幼い子どもが言葉も通じない異国の地で迷子になるだなんて、どれだけ心配だったろう。当人がこれだけ元気なのがまだしもの救いではあるけれど―。
 お父様、娘さんはきちんとお預かりしておりますのでどうぞご安心ください。
 気づかれないようにとため息をつきながら、きゅるきゅると悲鳴をあげる腹の虫を必死になだめる。
 全部終わったら飯にするから、な。その頃には終わってるだろうけど、ランチタイム特別サービス。



「Charley」
 喫茶スペースに現れた金髪碧眼の王子様(おそらく同年代であることは承知の上で、敢えてそう呼ばせてもらう)を一目見た途端、仕掛け絵本に夢中だったはずのお姫様は一目散にそちらへと駆けよる。
「Daddy!」
 満面の笑みでぎゅうぎゅうと抱きつくお姫様をあやしてやる異国の王子様の傍には、先ほどの写真でも目にしたばかりの黒髪の青年が愛おしげに瞼を細めるようにしながら和やかな光景を見守る。
 スニーカーにくるぶしまでロールアップした細身の白いジーンズ、デニムのシャツをさらりと羽織ったその出で立ちはなるほど、子どもの目線の高さなら見間違えてもおかしくはあるまい。
 あれ、パパって呼んだんだよな? パパはあっちだよな?
 にわかに浮かび上がるひと匙ばかりの疑問符をやり過ごすようにぶん、とかぶりを振れば、遠慮がちな会釈が返される。
 ―ひとまずは親御さんにご挨拶を、と行きたいところだけれど、あともう少しだけ。
 邪魔をするのはよくないから、としばし親子の再会のようすを見守ることにしてみれば、先ほどまでの満面の笑みはどこへやら、とばかりに、お姫様の顔にはいじけたような色がみるみるうちに広がる。
 裏腹に、しゃがみこんでじっくりと話しをしていたパパには厳しい表情が浮かぶ。
 言葉はわからなくとも、交わされる会話の声色だけでも明らかに『それ』は伝わる。――怒られたな、こりゃあ。
 そりゃそうだ、あのお人好しパティシエに見つけてもらえたなんてのはとっておきの運のツキで、万が一だなんてことはいくらだってありうる。
 とは言え、叱られっぱなしはさすがにこたえるのだろう。ぷい、といじけたように顔を背けると、一目散に傍の青年の元へと駆け寄る。
 なるほどね、役割分担ってわけだ。
 とんとん、と慣れたようすで背中を撫でながらあやしてやる姿を横目に見ていれば、にっこりと穏やかな会釈を投げかけるようにしながら、『王子様』はこちらへと歩みを進める。
「この度は娘を預かっていただきありがとうございます」
 きっぱりと明るい笑顔で掌を差し出す仕草は、英国紳士流の貴族マナーとでも呼ぶべきなのだろうか。
 まごつきながら手を差し出し、おぼつかない仕草でどうにか握手に応える。
「申し遅れました、マーティン・キングストンです」
「東八代です。こちらの店のオーナーを務めさせて頂いております。失礼かとは思いますが、日本語がとてもお上手ですね。驚きました」
 無礼を承知の上で素直な心地で尋ねてみれば、はにかんだようににこやかに笑いながら紳士は答える。
「彼に教わりました。独学でも勉強しましたが、ほとんどはそのおかげかと」
「へえ、」
 親子旅行に付き添うくらいだ、よっぽどの旧知の間柄なのだろう。娘の方も随分懐いているようだし。
 ちら、と横目にようすを伺えば、さっきまでの不機嫌顔はなんのその、満面の笑顔で黒髪の青年に無邪気にじゃれつくお姫様の姿が飛び込んでくる。
「Charley?」
 うんと優しい声で言い聞かせるようにしたのち、ちいさな掌をぎゅっと握りしめながら、黒髪の青年はこちらへと近づく。
「この度は本当にありがとうございました。気をつけるようにはしているんですが、ほんの一瞬でも目を離すとすぐに駆け出してしまって……位置情報で居る場所はわかったんですが、どうやら移動中のようだったのでどこかで落ち着いてからにした方がいいだろうと思って」
 促されるまま、ちいさなお姫様もぺこりと日本式のお辞儀で応えてくれる。
「それにしてもびっくりしました、まさかピロートさんにお邪魔してるだなんて」
「当店をご存知で?」
 思わず身を乗り出すように尋ねれば、ボディバッグからすっとスマートフォンを差し出される。
「友人に教えてもらったんです、彩遊市に魔法菓子を扱っているすごく素敵なお店があるんだって。動画も送ってくれて」
 四角い画面に映し出されるのは、よくよく見覚えのある季節の限定商品として出していたケーキと、どことなく耳に馴染みのある高く澄んだ可愛いらしい歓声だ。
「ああ、これってもしかしてりんちゃんの?」
「友人の娘です」
 照れたように答える姿を前に、思わずこちらまではにかんでしまう。
『大人の話』が繰り広げられるのにも退屈したのか、ぴったり絡みつくようにぎゅうぎゅうと抱きついて甘えていた彼女もまた、じいっと画面の光景に見入る。
「ジスイズアマジカルスイーツ」
『魔法菓子』の訳ってこれでいいんだよな、たぶん。お得意のカタコト英語は通じたらしく、きらきらと輝くお姫様の笑顔はますます色めき立つ。
 愛おしげに画面を見つめる姿を横目に眺めながら、青年は答える。
「すみません、ご挨拶が遅れてしまって。娘を助けていただき本当にありがとうございます、カイリ・キングストンです」
「いいえそんな、お役に立てたのなら本望です」
 可愛いお嬢さんの子守くらい、お安い御用……って――娘ってって言ったよな? いま。苗字だって金髪の王子様と同じ? ってことは?
 途端に再度浮上する大きな疑問符をやり過ごしながら、こほん、とわざとらしい咳払いでごまかしながら、ひとまずは先ほどと同じように名乗りをあげる。
「当店のオーナーを務めております、東八代です」
 それでも隠しきれずに浮かぶ怪訝な顔つきに気づいたのか、ほんの一瞬だけのアイコンタクトののち、黒髪の方の『パパ』は答える。
「僕たち、パートナーなんです。彼女とは二年前から家族になりました。僕たちの自慢の娘です」




 *


「自分が父親になれるだなんて、夢みたいなことだと思っていました。彼女に出会えたことはかけがえのない人生の宝物のひとつです」
 どこか照れくさそうに、それでもうんと誇らしげに胸を張って答えてみせるマーティンの傍には、きらきらとまばゆく輝く瞳をしばたかせるようにしながら嬉しそうにじいっと視線を注ぐ最愛の愛娘、その向かい側には、遠い異国から彼と共に生きていくことを誓い、渡英したのだというパートナー。
 言葉で確かめなくたってわかる。彼らにしかきっと得ることのできない『幸福』のあり方は、こうして側にいるだけでひたひたと染み渡るようにこちらへと届く。
「……彼が子どもを好きなのは随分前から知っていて。もどかしく思わなかった、なんて言えば嘘になります。こればっかりはどうにもならないことだなんてわかってはいても、やっぱり」
「前にも言ったよね、僕だって産めないのはおなじだよ?」
「マーティン……」
 冗談めかしたようにあっけらかんと明るくかぶせられる言葉に、途端に軋んだ空気はふわりと軽やかに舞い上がる。
「不便なのは確かだと思います。それでももし『そう』だったとしたら、僕たちは彼女に出会えなかった」
 いとおしげに瞼を細めてみせる表情には、まぶしいほどの慈愛がにじむ。
「娘と同じクラスにはお母さんふたりに育てられている男の子がいます。なんでも、訳あってシングルマザーになった同士、趣味のサークルを通じて知り合ったそうです」
 きっぱりと迷いのない笑顔を浮かべながら、『異国の王子様』は答える。
「人は誰だってみんな、ひとりでは生きていけないものでしょう? 家族になりたいと思える同士が寄り添いあって生きていく、その可能性がきちんと開かれている国に生まれてこられたことを、僕は誇りに思っています」
 誇らしげに答える傍らには、彼の最愛の『家族』が寄り添う。

 きらきらと瞳を輝かせるようにしながら、お父さんふたりのようすを交互に伺うようにする異国のお姫様へとそうっと視線を落としながら、八代は答える。
「かわいいでしょう、女の子は。うちにも同じくらいの娘がいるんです。おてんばの気分屋だし、そのくせに妙に大人びてるところもあったりするし。ほんとうに、毎日はらはらさせられっぱなしで」
「わかります。ついあまやかしちゃって、良くないなとは思うんですけれど」
「カイは優しいからね」
「そればっかりじゃだめでしょ」
「いいじゃないですか、役割分担で」
 くすくすと笑いあいながら、いくつもの言葉になんてならないあたたかな想いが胸の内で静かにこぼれ落ちる。
「おまたせいたしました、ブルーミングチーズケーキ、サンダーレモンと白ワインのサマーヴェリーヌ、シャルロットドゥフルールをお持ちいたしました。お父さんおふたりはアイスコーヒーを、お嬢さんにはノンカフェインのベリーの紅茶をどうぞ」
 純白のコックコートの『正装』に着替えた蒼衣が差し出す色とりどりのケーキを前に、たちまちに賑やかな歓声が広がる。
「お嬢さんのお名前をお聞きした時にはびっくりしました、ちょうど先週から出し始めたばかりの新商品と同じで」
 女性の帽子をイメージしてババロアやムースの周りをぐるりとビスキュイで取り囲んだシャルロッテケーキは見た目の華やかさも相まってか、不動の人気を誇る西洋菓子のひとつだ。
 ピーチピンクのサテンリボンを結び、ドーム型の蓋をつけたケーキを前に、ちいさなお姫様のまばゆい瞳はますますぴかぴかと明るく光り輝く。
「えーと、じすけーくいず、せーむねーむふぉーゆう。しゃるろって。おーけー?」
「My cake!」
 おぼつかないカタコト英語はそれでもどうにか通じたのか、ケーキと蒼衣を交互に繰り返し眺めながら、満開の花束のような笑顔は咲きこぼれる。
「You made this?」
「いえす」
 はにかんだ笑顔を隠せないまま、しどろもどろのようすでぎこちなく蒼衣は答える。
「えーと……ぷりーずぷっと――いいや。すみません、お嬢さんにケーキの上の蓋を取ってもらうようにお願いしても」
「ええ」
 ぱちり、とさりげない目配せを送ったその後、耳元で囁かれた言葉に導かれるように、ちいさな指先が帽子に見立てたドーム状に焼き上げたビスキュイの蓋を手に取れば、合図に答えるように、色とりどりのフルーツの花畑の上の帽子をかぶったちいさなお人形はくるりと軽やかにターンを踊り、つば広の帽子を外してお辞儀をしてみせる。
「すべて天然由来の成分での魔法効果になっています。お人形は砂糖菓子で出来ているので食べることができます。お口にされても体への影響はありません」
 ちいさな子どもの中には、魔法によってもたらされる不可思議な効果を恐れて魔法菓子を嫌いになってしまう子も少なからずいる。見た目の楽しさでの演出効果に絞った魔法菓子は老若男女、人を選ばない人気者だ。
「すみません、こちらのケーキについて教えていただいても」
「ああ、そちらでしたら広島産のサンダーレモンを使用していて――」
 途端に饒舌になる語り口に、思わずにんまりと笑みを浮かべるのを抑えきれない。
 そうそう、やっぱりそうじゃなくっちゃ。
「さーてとっ」
 わざとらしく大きな声を上げての伸びをしながら八代は呟く。
「いい加減飯にでも行かせてもらうわ。なるべく早めに帰るようにするけどなんかあったら連絡してくれていいから。蒼衣、頼んだぞ」
「ああうん、ごめんね遅くなっちゃって」
「いーからいーから。すみません、ごゆっくりどうぞ」
 ぺこりと頭を下げながらエプロンに手をかけ、ひとまずは裏口へ―と思えば、途端によくよく馴染んだ声が動きを止めさせる。
「あおちゃーん八っちゃーん、どうしたんかのーう」
「ああもうなんでこのタイミングで来るかなぁ!?」
 思わず声を荒げるようにして答えれば、いつものあののんびりとした返答がかぶさる。
「お客さんにその言い方はどうかのうー」
 その通りではあるのだけれど、いかんせん物事にはタイミングというものがあって。
「いいからもう勝手に入って入って、三名様ご案内します。蒼衣、カウンター頼んだ。こっちはばーちゃんたちの案内が済んだら出ることにするから」
 外しかけたエプロンを付け直しながら声をかければ、目配せとともに、気の置けない笑顔が返される。ああ、そうこなくっちゃな。




  
「しっかしよかったよなぁ、あん時はどうなることやらと思ったけど」
 日課の閉店後の処理業務に追われる中、話題は自然と、突如迷い込んだお姫様の巻き起こした騒動へと流れ込む。
「だいたい八代も八代だよね、何が『隠し子か!?』だよ、あんな真面目な顔してさぁ」
 きゅっ、きゅ、と音を立ててモップがけに精を出す傍、わざとらしく目をそらすようにしてかけられる言葉に思わず笑い出しそうになるのをこらえる。
 痛いところを突いたりでもしていたのだろうか、もしかして。心の片隅でだけそんな風に勘ぐったりはするけれど、もちろん口には出さない。
 いじけた口ぶりを気にも止めず、いつも通り飄々と八代は答える。
「そりゃそうだろ、あんないきなりちっさい子どもなんて連れて帰ってきたんだからなぁ」
 もちろん、『パパたち』にはそんなこと言えるわけないのだけれど。
「でもびっくりしたよね、うちの店のこと、知ってたっていうんだから」
「りんちゃんの友だちだもんなぁ、なんたって」
 ついこないだにもすてきなパパとママに手を引かれて遊びに来てくれたちいさなお姫様の姿を思い浮かべ、思わずにんまりと笑みを浮かべる。
 一期一会の出会いからすっかり顔なじみの常連様まで、お客様はすべて等しく大事な存在―とは言え、大切なお客様が繋いでくれた新たな縁はとりわけ嬉しい。
「でもよかったよね、あんなに楽しんでくれて」
「ばぁちゃんたちともすっかり打ち解けてなぁ」
 シャルちゃんシャルちゃん、と目尻を下げて嬉しそうに話していた姿を思い浮かべるだけで、こちらまでふつふつと心が温まるのを感じる。
「……ちょっと心配してたんだけどな、本当は」
 ぼそりと小声で呟けば、「なに?」の声がすぐさまかぶさる。
「や――、」
 少しだけの思案ののち、ぶん、と大袈裟にかぶりを振るようにして八代は答える。
「すまん、こっちの話」
「……いいけど、」
 どこかしら気まずい心地になるこちらのようすに気づいているのか、いないのか―いつもそうするように、にこやかに笑いかけながら、どこか得意げな口ぶりでの言葉がつづく。
「そういえばね、おばあちゃんたちが話してたんだけど」
 深々と息をのむようにしたのち、感慨深げなささやきが落とされる。
「おばあちゃんたちの頃はね、生まれたお家とは違う家で育てられてる子がいまよりずっとたくさん居たんだって。からかったり悪く言ったりする人もたくさんいたけど、そんなこと仕方ないことなのにねって。子どもには家族って不可欠なものでしょ? みんなそれぞれに事情がある中で暮らしていくしかなくて、いっしょに暮らす家族が選べないのは同じなのにね」
「蒼衣……、」
 口ごもるこちらを前に、うっとりとまぶたを細めるようにしながら蒼衣は答える。
「でもシャルちゃんたちはそうじゃないんだよね、家族になりたい同士で出会えたんだね。それってすごく素敵なことだよねって」
 どこか複雑そうに――それでも、掛け値無しのあたたかさをひそめた口ぶりで告げられる言葉に、ふつふつとこみ上げるような静かな思いが広がる。
 こんな気持ちはどんな風に『伝わって』いるのだろう。不思議な力なんてひとつも持ち合わせていない自分には想像もつかないことだけれど。
 それでも、いい。それでもきっと構わない。蒼衣が伝えようとしてくれたこの気持ちにかけらも嘘や偽りなんてないことは、八代自身が誰より知っているからだ。
「……考えさせられるな、色々と」
「ね、」
 神妙な心地でそっと答えれば、頼りなげながちなあいづちとともに、ゆるやかな笑顔が返される。
 どこか曖昧なこの微笑みの下に、いったいどんな気持ちを覆い隠しているのだろう。
 もどかしいと、そう思わないわけではない。
 それでも、知っている。こうして肩を並べて隣にいることを選んでくれた、そのことが、蒼衣が自分にくれた何よりもの『答え』であることを。
「さーてっ、と」
「ねえ八代、」
 わざとらしく大きな声を出して伸びをしてみれば、すこしだけ遠慮がちな問いかけが覆い被さる。
「おう、どした?」
 にっこりと笑いかけながら尋ねれば、こちらを伺うようなまなざしとともに、ぎこちない言葉は続く。
「聞こえてなかったの、おばあちゃんたちの話」
「まあこっちもあれこれやってたしな。ほら、最近ラジオつけるようになったろ。そっちに耳が行ってたんだろうな」
 なにやら楽しげに話をしているのはうっすら聞こえていたけれど。
「……ならいいんだけど」
 ぼそりと答える表情には、かすかな安堵の色が滲む。
「何だよ、俺の噂話でもしてたとかそういう話?」
「いやべつに、そういうのじゃないんだけど」
「いい話なら遠慮なく聞かせてくれていいんだけどなぁー」
 わざとらしく目を背けるようにする背中にそう投げかけながら、ふかぶかとため息をついてみせる。
 勿論気にはなるのだけれど、何やら意味深なこのようすを見ているだけでも満足なので――というのは、いささか悪趣味なのだろうか。
 ピロートの長い一日は、またこうして静かに終わりを告げようとしていた。





  


「こんな素敵な出会いがあるんじゃなぁ。長生きはするもんじゃのう」
 得意げにニコニコと笑うおばあちゃんたちに声をかけられながら、お姫様とパパふたりにもはにかんだようなやわらかな笑顔が浮かぶ。
 ふつふつと伝わる『楽しい、ありがとう』の気持ちからも、その笑顔に嘘がないことがきちんと届くことが、蒼衣にだってなによりも嬉しい。
 このままそっとようすを眺めていたい気もするけれどそうはいかないのでこの辺で―するりと厨房へと踵を返そうと銀色のトレーを手にしたタイミングを見計らうように、ヨキおばあちゃんからの元気な声が届く。
「そういえばあおちゃんと八っちゃんも家族みたいなもんじゃしなぁ。そしたらわしらはなんじゃろうなぁ」
「そりゃあお姑さんじゃろう〜?」
 かぶせるようにかけられるキクおばあちゃんの言葉に、思わずギクリと胸の奥で鈍い音が鳴り響く。
「おばあちゃんたち、いきなりなんなんですか……」
 困り笑いを浮かべながら答えれば、たちまちに打ち消すような満面の得意げな笑み×三人分が浴びせられる。
「あおちゃんも聞いとったじゃろう? 八ちゃんとあおちゃんがうんと特別な関係なのはわしらだってよう知っとるからのう。あおちゃんもいい加減かわいいお嫁さんでももらってこんかのうってずうっと思っとったけど、あおちゃんには八ちゃんがおるもんなぁ」
「あおちゃんの幸せはあおちゃんが決めるもんじゃしなぁ。わしらに出来るのは見守ることくらいじゃしなぁ」
「わしらだってふたりの親戚みたいなもんじゃあ」
 次々と矢継ぎ早にかけられる声に、思わず助けを求めるような心地で異国からやってきてくれたゲストの方へと目を向ければ、どことなく困ったようにこちらを伺う遠慮がちな笑顔に迎え入れられる。
 ごめんなさい、そしてありがとう。こちらの気持ちが伝わっているのなら嬉しいのだけれど。
「すみません、店のことがあるので厨房に戻ります。何かご用事があれば呼んでください。おばあちゃんたち、あんまりみなさんのお邪魔をしちゃだめですよ」
 取り繕うような作り笑顔で答えながらトレーを手にすれば、どこか複雑な気持ちがふつふつと胸の奥から込み上げてくるのを抑えきれない。
 ああもう、たちが悪いって言ったらありやしない。

「応援しとるからなー」
「わしらは見守り隊じゃからのうー」
 背中越しにかけられる言葉にひやひやとしていれば、うっすらと届くのは『ご苦労さま』『がんばってね』の言葉にならない声だ。
 ……仲がいいんだな、ほんとうに。さっきからしきりに届くのは、ぴったり重なり合って寄り添うような優しい気持ちばかりだ。
 ――羨ましくない、といえば嘘になるのだけれど。

 ほんとうに良かった。八代がこの場にいなくて、八代にもこんな『力』がなくて。
 引き上げるように自身のお城へと戻り、誰にも気づかれないようにと深いため息を吐き出せば、さまざまな色の入り混じった感情はたちまちにやわらかに溶けていく。


 蒼衣が彼らの手にしたような『絆』を手に入れられるのは、どうやらまだまだ先のようだ。
(それでもいっそ構わないと思っているあたり、なんというか、まぁ)









静マルでの匠さんへの差し入れとして作った本からの再録。
海吏とマーティンの手にした未来を描けてとても幸せでした。
匠さん、ありがとうございました。

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