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調弦、午前三時

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傘を開いて、

海吏と忍と日傘のお話




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 大学ってもっと広い世界だと思っていたけれど案外そうでもなかったな。
 四年通ってみて、改めて感じている感慨が『それ』だった。
『それ』がおそらくは過剰な期待だったことも、そもそも自分自身も少しも成長出来てないだなんてことはひとまずは棚に上げての話だけれど。

「ねえあの子だよね、かわいいー」
 すれ違いざまにかけられるからかい混じりの笑い声に、すっかり慣れたようすで気づかないふりをしてやり過ごす。ねえそれってどう対応するのが正解なわけ?嬉しいわけないんだけど。喉の奥でだけひとりごちながら、掲げた日傘をくるりと回す。
 雲ひとつ見えやしない晴天の中、突き刺すような日差しを遮る日傘を差して歩く『男』は、この四年の間、キャンパス中を探しても不思議なことに僕以外にひとりも見つからない。
 使えばいいのに、だなんて言ったって、決まって返ってくるのは「はずかしいから」の一言だ。

(生活必需品のなにがはずかしいわけ)
 すっかり慣れきってはいたけれど、まさか大学生になってまでこの現状が変わらないだなんてことは想定の範囲外だ。男は日に焼けていた方がかっこいい、だなんて価値観なら止めはしないけれど。
 思わずぼんやりとため息を吐きながら、UVカット素材のカーディガンの袖をするりとなぞる。
 深刻な病状とまではいかないけれど、直射日光に当たるとたちまちに赤く腫れてぴりぴり痛みを伴う肌の持ち主には、日傘は子どもの頃から持たされてきた生活必需品のひとつだ。
 去年まで使っていたものがくたびれてしまったから、と買い替えたばかりのそれは、ストライプにレモンの模様があざやかな、ゼミ仲間曰く「男が持つにはずいぶん派手」なので余計に悪目立ちするらしい。
 晴れの日にも雨の日にもひとたび広げればたちまちに視界が明るくなるところが気に入っているのに、なんだかケチをつけられたようで気分はあまり良くない。
「伏姫ならありだけど」だなんてフォローの言葉をつけたされたって、まあ。
 ちゃんと通販サイトにも書いてあったんだけれど、男女兼用って。

 雑貨屋の店先に並ぶものと違って、フリルもレースも刺繍もなくて、黒や紺みたいにどんより視界が暗くならないところも気に入っている。
 人目なんてとっくに気にしてないけれど、やっぱり窮屈なのは変わらない。まさか大学生になってまでこんな子どもじみたからかいが終わらないだなんて。
 気晴らしにくるりと傘を回しながら目的地へと歩みを進めれば、よりによっていちばん会いたくない相手の姿が視界へと飛び込んでくるーーまあ、見なかったふりをすればいいだけの話。
 とはいえ、向こうに気づかれてしまえばそうはいかない。
「ふーせひめー!」
 つば広の帽子にカラフルなプリントのTシャツにたっぷりした生地のサルエルパンツ。ちゃらちゃら小気味好く鳴るチェーンのリズミカルな音、ぶんぶん勢いよく手を振りながら向けられる満面の笑顔。
 無視するのも大人気ないし、ここはまあ。
「ナニ」
 不機嫌をよそおった声で答えれば、こちらのようすなんて少しも気にしない、いつも通りのあの得意げな笑顔がかぶせられる。
「あっついねえきょう、すごい日差し。夏みたい。伏姫のそれさ、日傘?」
「ああ、うん」
 答えながら屋根のある方へとじりじりと移動すれば、すれ違いざまの好奇に満ちたまなざしとかすかな笑い声が無造作に飛び込んでくる。
 ほら、だから嫌だったのに。
「ふせひめ」
 ちら、と声の主のほうを一瞥したのちに向けられるまなざしは、複雑な色を帯びている。
「いいから」
 慣れているから、という言葉は喉の奥に飲み込む。かすかに震えたまなざしの奥に光る色が、怒りを帯びていたのにちゃんと気づいていたから。
 申し訳程度の屋根の下、手慣れた手つきで手にした日傘を畳むこちらを見つめたまま、どこかわざとらしく笑いかけるようにしながら目の前の男は尋ねる。
「そゆのってさ、どこで売ってんの? 店にあんのってふりふりのやつか黒か紺のこうもりがさしかないじゃん」
「……笑わないの?」
 ぴくり、と眉根を寄せるようにしながら尋ねる。わざと気を使っているのだとしたら申し訳ないし。
(と、思う程度の良心はある。いくらこの男相手だからって)
 くるくるとよく動く瞳を輝かせながら、目の前の相手は答える。
「なんで?」
「……なんでって、」
 かぶせるように、あっけらかんと明るい言葉は続く。
「すごい似合ってんじゃん。みんなそうだから見てんでしょ。そりゃ伏姫にしたら不愉快だろうけどさぁ。大変だよねえ、かわいいと」
 付け足すみたいに告げられた最後の言葉に、かぁっとわずかに胸が熱くなる。まったくもう、ほんとうに。
「余計なんだよ」
 ぼそり、と掠れる声でひとりごちたのち、小さな声で答える。
「ネット。店とかにない柄もあるから。アドレス知りたいならあとで送るけど」
 答えた途端、分かり易過ぎるほどに目の前の相手の表情はぱあっと明るくなる。
「えっいいの? 伏姫だしナイショだからって言われんのかと思ったー。ちょうさんきゅー!」
「……べつに」
 わざとらしいほどの不機嫌で答えても、態度は少しも変わりはしない。この打たれ強さと喜怒哀楽の分かりやすさはなんなんだろう、ほんとうに。
 長所、だなんて言ってもいいとは思うのだけれど(本人には言わないけれど、なんとなく悔しいから)
「用事あるからまたね。また遊ぼーね」
「……うん」
 いつもどおり、こちらのようすなんて少しも気にも留めずにひらひら手を振って立ち去る姿に、申し訳程度に手を振って答える。
 なんなんだろうな、あのエネルギー。どっかで循環して使えないのかな。
 とはいえ、あながちわるい気分ではないあたり、我ながらどうなんだろうとは思うけれど。
 おおげさなため息をつきながら、折りたたんだ日傘をリュックに押し込むことでどうにかその場をやり過ごす。




「ふーせひめー」
 不本意ながらすっかり聞きなれてしまった呼び声に渋々足を止めれば、視界に飛び込んできた見慣れない存在に思わずぱちりとまばたきを繰り返す。
 ひょいひょい、と弾むように軽やかにこちらへと歩みを進めるその頭上には、雲ひとつない晴天にはおおよそ似つかわしくないカラフルな傘が広げられている。
 濃紺の地に、絵本から飛び出したような星屑の散らばる外国風の街並みが描かれたそれは、なるほど、この男にはこれ以上ないほどしっくり似合っている。
「かわいーでしょ。いっぽんあると便利なもんだね、雨降ってきてもビニ傘買わなくて済むもんね」
 得意げに笑いながらかけられる言葉に、何故だかぎゅっと胸の端を掴まれるような心地を味わう。
「……あぁ、」
 果たしてどう答えたものか。ぶざまに黙り込んでいれば、覆いかぶせるように、無遠慮な言葉が届く。
「あーしのぶんと日傘の王子さまだ」
 まばたきをしながら振り向けば、見慣れない顔の長い髪を揺らしたカラフルなワンピースに身を包んだ女の子の姿が視界に飛び込む。
「え、なに。しのぶんそれ日傘?」
 飾り気なんてすこしもない無遠慮のかたまりみたいな言葉を前に、すこしも怯まないようすで目の前の男は答える。
「だよー。かわいいっしょ。てか人のこと勝手にあだなで呼んじゃダメっしょ。伏姫くんだよ、はいおぼえて」
「ふせひめくん!」
「そーそー。伏姫、この子ゆいかちゃんね」
 カラーコンタクトで青みがかったグレーに染め上げられたぱっちりと大きなまあるい瞳でまじまじと見つめられると、途端に気まずさがこみ上げる。
「ふたりともかわいーの持ってるよね。買い替えよっかな、でもすぐ無くすしなぁ」
 ぱちぱち、と綺麗にカールした長いまつ毛をしばたかせたまばたきを繰り返しながら告げられる言葉を前に、思わずぎこちなく言葉尻を震わせながら、僕は尋ねる。
「……笑わないの」
 げんに、通りすぎる人たちは無遠慮なまなざしをこちらに向けては、かすかな笑い声をあげていたりするのに。
「なんで?」
 まじまじとこちらを見つめ返しながら、目の前の女の子は答える。
「笑う理由がなくない? かわいいじゃん。あ、かわいいって言われんの嫌派? ごっめんあやまる」
「いや……」
 控えめにかぶりを振るようにして、僕は答える。
「ありがと、いろいろ。ゆいかちゃんもだけど、瀧谷も」
 力なく吐き出す言葉に、すっかり見慣れてしまった得意げな笑顔が覆いかぶさる。
「え、なに。俺ってついで?」
「……決まってんじゃん」
 わざとらしく目をそらすようにしながら、頼りない言葉を落とす。
 汗ばんだ掌がかすかに震えていることには、きっと気づかないふりをしてくれていると信じているから。







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