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調弦、午前三時

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おうちのあかり

周くんと忍



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 家に帰り着いたその時、見上げた窓に灯りが点されているーーそんな些細なことにこんなにもやわらかに心を揺さぶられるだなんてこと、まさかこの一生を過ごす中で叶うわけなんてないはずだと、そう思っていたのに。
「ただいま」
 がちゃがちゃとお馴染みの騒々しい物音を立てながら重い鉄製の扉を押し開ければ、すっかりお馴染みになってしまった見慣れた部屋着姿の満面の笑みでの「おかえり」に迎えられる。
 こんな日常がいつのまにか『あたりまえ』になっていただなんて、我ながら罰当たりの良い御身分だなぁとは思うのだけれど。
「周おかえり、お疲れさま。きょうねえ、ごはん美味しそうにできたよ。鶏モモの柚子胡椒焼きとかぼちゃとベーコンのお味噌汁。ポテサラもあるよ、お惣菜のだけどね」
「ん、ありがとな」
 すまない、と言いかけた口をとっさに噤んでそう答える。貸し借りめいたやり取りはよくないと、自分なりにそう心得ているので。
「会社で入浴剤もらったんだけど、森林の香りだってさ。きょう入れる?」
「よかった、まだ入ってないや。あとで見せて。じゃあせっかくだしいっしょ入る? 周が疲れてなきゃだけど。とりあえず着替えてくるよね。先にご飯でいい?」
「……考えとく」
 曖昧に答えれば、にい、っと得意げな笑顔が返される。
 こうこうと灯のついたリビングからは、うっすらと賑々しい笑い声がこだまする。
「見てたんじゃないの、テレビ」
「いーよ、付けてただけだし」
 周の方が大事だし。さも当たり前、と言わんばかりに告げられる言葉に思わずさあっと顔が赤くなる。
 そういうところだよ、ほんとうに。
「ごはん用意しとくね。あっためるだけだよ」
「うん、ありがと」
 さも当たり前、と言わんばかりに荷物を奪おうとするのをさりげなく避けるようにすれば、手持ち無沙汰になった掌はくしゃくしゃと無遠慮な手つきでよそ行きにセットした髪を乱す。
「おいこら」
 戯れとわかる口ぶりで声を荒げて抗議すれば、子どもみたいになんの遠慮もない笑顔がそこにかぶさる。
「いいじゃんだって、こうした方が俺だけの周って感じするもん」
 そういうことを言う、こんなにもあっさりと。
 照れ隠しにわざとらしく険しい顔を取り繕いながら、ぼそりとちいさな声で答える。
「手洗っとけよ、もっぺん」
「はあい」
 とびきりのいい子のお返事とともに踵を返す姿を前に、思わず気づかれないようにそっと息を吐いてみせる。
 ──ああもう、ほんとうに。


 安心ってほんとうに、特別なことなんてひとつもない、ごくごくささやかなものごとの積み重ねなんだな。
 忍が隣に居てくれるこんな日々が耐え難いほどの大切な『日常』になって以来、あらためて噛み締めるように感じられたことがそれだった。
見上げた窓に灯りが灯っていること、毎日のように穏やかに笑いかけながらの「おはよう」「おかえり」「おやすみなさい」を聞かせてもらえること、そっと手を伸ばせばいつだって優しい手つきでこわごわと震えた指先を包み込むように手を握り返してくれること、うんと心をゆるしたかのようなそぶりで身を預けてくれるその時、お揃いのシャンプーとボディソープの香りがおだやかに香ること。
 ひどくささやかで、それでも、どれひとつとったって「あたりまえ」なんかじゃすこしもない。
 掛け値なしのぬくもりに満ち溢れたそれは、いつだって息苦しくなるほどの穏やかな安らぎのありかを周に教えてくれる。
 ──満たされてるよな、ほんとうに。
 あんな始まり方で、散々心ごと引きちぎられそうなやり取りを繰り返した先に辿り着いたのが「ここ」だなんて、ほんとうはいまでもまだ信じられない。
 すこしも知らなかった、こんなに無防備な顔で笑うことも、いつも強気なそぶりばかり見せるくせに、奥底には触れたその先から壊れてしまいそうなあやうさを宿していることも、いつだってばかみたいにやさしいことも。

 じわり、と記憶の底が掻き混ぜられるように、意識がゆるやかに沈み込んでいくのを感じる。
 読みかけの本に栞を挟みこみ、ゆっくりと片側のベッドの方へと視線を揺らせば、とろりと半分落ちかけたまなざしがやさしくこちらを捉えてくれている。
「ごめん、まぶしかったな」
 答えながら、ベッドサイドの読書灯の灯りをそうっと絞る。
「ううん、へいき。気にしないで」
 額に張り付いた前髪をそっと指先ではらえば、ふちのとろけた淡くくすぶった声がやわらかに洩らされる。
「……考えごと、ちょっとしてた」
「そっか」
無理に言わなくていいから、その先は。想いを込めるようにとおだやかに髪をなぞれば、こくこくと、頷いてみせることで答えてくれる。
「ねよっか、そろそろ」
「……うん、」
 ぼんやりとぬくもりを帯びた掌は、なんの遠慮もちゅうちょも感じさせない気安さでさわさわとやさしく髪をなぞりあげてくれる。
「あまね、ありがと。おやすみ」
「うん、おやすみ」
 またあした、きっと。優しい約束を手渡しあいながら、束の間の別れを惜しみ合う。




 ──『電車に乗りました、あと20分ちょっとで帰ります。いるものあったら言っといてね』
 ──『じゃあ悪いけど牛乳買っておいて、切れるの忘れてた。』
 ──『りょーかい。スーパーまだ開いてるから寄ってくね。ついでにアイス買ってもいい?』
 ──『好きにしな。』


 ところでさっきの言い方って合ってた? 「しろ」じゃらんぼうな気がしたから気をつけたつもりだったけれど、何かほかにもっと気の利いた言い方があっただろうか。
 了解? 俺の分も? ハーゲンダッツは特売の日限定な?
 くよくよとものすごく些細な、とは言え、自分の中ではそれなりに一大事な懸念事項に向き合いながら壁掛け時計にじろりと目をやる。
 もうそろそろだよな、買い物の時間も入れたって。
 付けっぱなしのテレビのボリュームを絞って耳を澄ませていれば、すっかり馴染んでしまった足音と共に、ガチャガチャと鍵を回す音が聞こえる。
「ただいま周。おつかいちゃんとしてきたよ、えらいでしょ」
 得意げな笑顔を浮かべながら玄関先に現れるのは、共用で着ていいからと言われているアウトドアブランド製の紺色のジャケット(休日には時々、周も借りている)とゆったりしたシルエットの裾にシロクマのペイントされたジーンズ、カラフルな模様入りのリュックにやや履き潰した感のあるスニーカー。すっかり見慣れてしまったその姿に、心はくしゃくしゃに緩む。
「ありがとな。荷物その中? 重いだろ、貸して」
「いいけどその前にちょっと」
 答えるのとほぼおなじタイミングで、両手を大きく広げられる。
「周さ、ぎゅーってしてもいい?」
「……あぁ、まあ」
 戸惑わないかと言われれば嘘になるけれど、断る義理はあるわけないので。
「おかえり周、お疲れさま」
 ひんやりと冷たい外気を纏った身体を擦り寄せられれば当然冷たさに覆われるそのはずなのに、重なり合った心臓の鼓動はどう考えても健康にはよろしくないペースの早鐘を打ち鳴らすし、心のずっと奥深く、きっと自分なんかでは届かない奥底の深い場所は、堪えようのない心地よいぬくもりにぐらぐらと無遠慮に揺さぶられてしまう。
 ほんとうに、このままじゃ長生きできる気がちっともしない。
 抱きしめ返したいのはやまやまなのに、背中の大きなリュックがどうにも邪魔で仕方ない。
 やれやれ、と手慣れた様子で髪をかき回しながら、努めて平静を装うように言葉を投げかける。
「遅くまでお疲れ様、飯あるよ。海鮮チヂミ」
「やった」
「あと酒飲む? ビール開けていいよ、第三じゃないやつな」
「いい、眠くなっちゃうから。でもありがと」
 ゆっくり話をしたいから、を意味しているのをちゃんと知っている。
「着替えて飯にしような。支度しとくからな」
「いいけどあとちょっとだけ、ね」
「……うん、」
 深く息を吸い込むようにしながら、無遠慮な手つきはさわさわと部屋着越しの肌の上をまさぐるようにされるのにただ身を任せる。
 ひどく子どもじみたこんなわがままをたまらなく愛していることは、きっともうずっと前から知られているはずだ。



「そういえばさ」
 戯れみたいに散々もつれあった後の心地よい気怠さの余韻が残るその中、灯りを落とした寝室にぼんやりと浮かび上がる恋人の顔をぼうっと眺めながら、ふいうちのようにゆらりと顔をもたげさせた問いかけをそっと投げかけてみる。
「おまえさ、いっつもおかえりって言うじゃん。俺が帰ってんのが先でもさ」
 今日がたまたま──だなんてケースではないことには、もう随分前から気づいていた。
「……変だった?」
 らしくもない弱気な口ぶりで投げかけられる問いかけを前に、ぶん、と勢いよく頭を振るようにして答える。
「なことないよ、気になっただけ」
 途端に広がるのは、安堵の色に染め上げられた笑顔だ。
「なんていうかな、言いたいから? そういうのってない? 言うと安心する……おまじない? みたいな」
「……わかんないけど」
 答えながら、くしゃくしゃの笑顔で笑う。
 言う側、の気持ちはわからないけれど、効力は確かすぎるほどなのを身をもって実感している。だって、こんなにも毎日びっくりするほど安心させてもらっているから。
「なんで言えばいいんだろ……周とさ、帰るとこがおんなしだなって思うと嬉しい、すごく。だからまいんち言いたい。帰ってきてくれてありがと、おかえりって」
 無防備に手渡される言葉をつたう温もりに、固く引き結んだはずの心はたちまちにほどけていく。
 こんなにも心許ないそのはずなのに、いつのまにか、すこしも怖くなんて無くなっていた。
 ふくらんだ愛おしさは高まって募るほどに、ひとりではたどり着くことなど出来るはずのなかった愛のありかを幾度も周に伝えてくれる。
「ありがとうな」
「こっちのせりふなんだけど」
「言わせろ、いいから」
 わざとらしくムキになったようなそぶりで答えながら、くしゃくしゃに髪をかきあげ、露わになった耳をぎゅうっと抑えつけるようにしてやわらかに閉じ込める。
「……周さぁ」
 くすぶった熱の余韻を孕ませた瞳でじいっとこちらを捉えながら、やわらかくふちのとろけた言葉は続く。
「眠かったんだけど──どきどきしてきた。どうしてくれんの、こまんだけど」
「さぁ?」
 はぐらかすみたいに答えながら、形の良い耳にそうっと指を這わせるようにしながら、うんとゆっくりのまばたきを繰り返す。
「あまね……」
 曖昧に揺れるまぶたの上にかすめるみたいに口づけを落としながら、あやすような優しい仕草でするするとパジャマ越しの背中をそっとなぞる。

 ここにいる。ここにいる。
 どこにもいかない。

「……おやすみ」
「うん、おやすみ」

 囁き合いながら、ゆっくりと指先を絡ませる。
 きっと朝になる頃にはたやすくほどけてしまうけれど──このぬくもりは、何度だって結び直せるのを知っているから。


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