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調弦、午前三時

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君が眠っているうちに







孤伏澤つたゐさんから拙作に添えて素敵な短歌を頂いたので、返歌の代わりのこばなしです。
【あたらしい朝】にちょっとだけ繋がっていますが、単独でも読めます。

続きからどうぞ。

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 まどろみのふちをたゆたいながら、どこかおぼつかないその感触に揺らされるのを感じた。
 ぱちん、と泡がはじけるような感覚に導かれるままに重い瞼をそうっと押し開けば、たちまち視界に飛び込んでくるのは、ひどく怯えたような瞳をしてこちらをじっと見つめる恋人の姿だ。
「……ごめんね、起こしたよね」
 髪を掬っては払う、を繰り返していたであろう指先の動きをそっと止め、ぎこちなく唇を震わせるその姿に、どうしようもなくはらはらと胸のうちを揺さぶられる。
 そっとかぶりを振り、ベッドサイドの灯りをいちばんちいさく絞った状態で灯しながら、僕は尋ねる。
「ね、どうしたの。怖い夢でも見たの?」
 微かに潤んだように見えた瞳を縁取る長い睫毛を音もなく静かにふるふると震わせ、ひどく苦しげに告げられる言葉はこうだ。
「……なんでわかるの」
 子どもみたいに無防備な口ぶりに、息が詰まるような心地を味わう。
「わからないわけないでしょ」
 答えながら、震えた肩に腕を回し、ぽんぽんとそっとなぞるようにすれば、即座に形のよい頭をゆっくりと、胸の中に預けられる。背中に回された掌は寝起きのせいかいやに熱っぽくて、僅かに汗ばんでいるのが湿ったその感触から伝う。
「大丈夫だよ、怖かったね。もう平気だから、ね」
 まるで呪文かなにかを唱えるような心地で繰り返し繰り返しそう答えながら、髪や肩をゆっくりとなぞる。答える代わりのように、絡みつく腕の力がぎゅっと強まる。

 こんなにも傷つけて追い詰めているのも、すべて自分のせいなのに。
 ひどく矛盾した感情に襲われながら、視界がぐらりと揺さぶられるような心地を前に、唇を僅かに噛みしめることで堪えてみせる。
 だって、彼はこんなにも自分を必要としてくれている。こんなに傷つけたのに、それでも側に居たいとそう言ってくれている。それならば、差し出されたその気持ちを信じるよりほかは無いのだから。


「家族に全部話すんだ。そしたら……父さんも母さんも祈吏も、みんなわかってくれなくて。もう一緒には居られない、帰って来なくっていいって。君の所に逃げ込もうとしたら、君にはもう僕の知らない誰かが居て、僕はひとりぼっちで……それで」
 くぐもって震えた声が、彼を幾度となく追い詰めて来たのであろう悪夢の顛末を語る。吐息の伝えるぬくもりとは裏腹に、まざまざと胸を覆い尽くしていく感情はひどく冷たい。
「ひどい夢だね」
 とんとん、と宥めるように肩をさすりながら、僕は答える。
「そんなことあるわけないでしょ。僕だって君の家族だって、みんな誰よりも君が大好きなんだよ。分かるよね?」
「……マーティン、あのね。マーティン……」
 涙まじりの掠れてくぐもった声が、どんどん滲んで端から溶けていく。ぎゅっと押しあてられた瞼からは、堪えきれずに溢れ出したその雫が胸のうちにひたひたと、ぬくもりを広げていく。
「……どっちが夢なのかわからなくて。でも、君はいてくれるから。それなら、もうそれでいいやって。でも、本当に君が居なくなったどうしようって思って、怖くて」
 震わせた指先がシャツを握る力が、ぎゅっと強まる。
「……カイ」
 少し汗ばんだ頭を、幼い子どもをあやすように優しくそっとなぞりながら、僕は答える。
「ちゃんと話してくれてありがとう。怖かったよね、もう大丈夫だからね」
 腕の中で、びくりとその身体が震える。離してしまいたくない、とそう強く思う反面、もどかしく胸を締め付ける感触に息が詰まる。
 こうしてまた、あまい檻に閉じ込めてしまっている。この手を離してしまいさえすれば、彼はきっと何処へでも行けるそのはずなのに。


「ごめんね、マーティン。ありがとう。ちゃんと言えなくてごめん。ありがとう、もっと早く話さなきゃいけなかったのに、今までほんとうにごめん、ありがとう……」
 無理に話さなくていいよ、とそう答えれば、震えた指先がそっと差し伸ばされ、くしゃくしゃと髪をなぞる。子どものじゃれつくようなその感触に、じわじわと胸の奥から湧き上がった思いはどんどん溶かされて、輪郭を失っていく。

 きっとこの瞬間だけ、僕たちは世界にただふたりきりで。
 こんなにも苦しくてこんなにもあたたかいのは、きっとその錯覚の中にこうして静かに捕らわれているからだ。


「夢じゃないよ、わかるよね? 夢だったら、こんな風に体温なんてあるわけないよね? 大丈夫だよ、どこにもいかないからね。君が安心していられるまで、僕はずっとどこにも行かないからね?」

 それでもいつか僕が必要にならなくなったら、その時はいつだってどこにでも行っていいんだからね?

 微かに熱くなった瞼を閉じながら、喉元までゆっくりとせり上がったそんな言葉を、そのまま胸の奥へとぐっと飲み込む、


 守ってあげられるだなんて思ってない。優しくしてあげたいだなんて、そんなのただの思い上がりだ。

 初めて会った時の最初からずっと彼が好きで、こんなあやうさすらどうしようもなく好きで、その全てがほしくて、こんな風に暴力的な形でぜんぶ手に入れようとしただけだ。
 それでも彼は僕を選んでくれた。すべてを許してくれた。それなら僕だって、こんな自分に出来るすべてで彼を許してあげたい。
 こんな僕に差し出せるものがあるのならば、空っぽになるまでぜんぶ渡したって構わない。


「落ち着いたらでいいから、少し寝よう。ね? 朝ごはん、君の好きなもの作ってあげるからね。それからまたちゃんとゆっくり話そう、ね? 話せる範囲でいいからね、無理しなくていいからね?」
 とんとん、とやわらかに背中をなぞりながらそう答えれば、呼応するかのように、胸の中で熱い吐息がゆっくりと溶けて、冷えた心のうちをそっとあたためてくれる。
「君のこと、大好きだよ。ねえ、ちゃんとわかるよね?」
 答える代わりのように、ぎゅっときつくしがみつく腕の力が強まる。


 これから何度、こうして不安な夜を迎えさせてしまうことになるのだろう。
 それでも、明けない夜がないことを僕たちはちゃんと知っている。
 ほんの少しだけ寂しいけれど、ちっとも怖くなんてない。
 僕たちはこの夜を乗り越えた果てで、これから何度でもあたらしい朝を迎えられることをちゃんと知っている。


 側にいさせてくれてありがとう。
 呪文のようにそう何度も唱えながら、繰り返し繰り返し、刻み付けるように震わせた身体をきつく抱き寄せたまま、そっと撫でる。
 ごめんね、という言葉を飲み込むその都度、受け止めたあたたかさは胸のうちでせり上がって、ゆっくりと淡く心を滲ませる。


 大丈夫、きっと大丈夫。
 こんな確かなこと、夢なんかじゃあるわけない。
 だからこうして、誰よりも強く信じてあげるしかない。


 決して溶け合わない身体と心を寄せ合ったまま、僕たちはいつまでもいつまでも、ずっとひとりとひとりのままだ。
 こんなにもいとおしいのは、だからだ。



ぼくだけが君のあさましさをしっていたいよともに目ざめる朝も 

――孤伏澤つたゐ














マーティンは海吏の寂しがりであまえたがりで危ういところも含めて全部好きだし、海吏もそれを知っているから、欠けたままの自分を受け入れて強くなろうと思っているところなんじゃないかな、と思います。



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