ほどけない体温、周と海吏。本編のアウトテイクです。
「伏姫くんはさ、その────彼氏とケンカとかするわけ、やっぱり?」
いきなりこんなことを聞くのもどうなのだろう。それなりに踏み込んだ質問になっているのは確かで。それも、ほぼ初対面の間柄で。
とは言え、いまさら取り繕っても仕方ないはずだ。そもそも、いったん口にしてしまったことは撤回出来るわけもないし。
覚悟を決めるように息を吐き、ぶざまに組んだ指の先をいじるこちらを前に、傍らの彼は答える。
「いっしょに居ればまぁ、それなりに────お互いやっぱり子どもだし、譲れないところはあるから。怒ってるのが時間の無駄だって思うし、早く謝らなきゃって思うけど、口だけで取り繕うのって逆に失礼だから……でも、春馬に言ったら『ちゃんと向き合ってる証だ』って言ってくれて。だったら別に、悪いことじゃないのかなって」
ためらいがちに、言葉をひとつひとつ選ぶように────それでも、きっぱりと丁寧に答えるその姿に、どこかまぶしさすら覚えている自分に気づく。
これじゃあまるで、誰のことも省みることが出来ない自身の傲慢さを突きつけられるみたいだ。でも、ちっとも嫌な気分なんかじゃない。
「でも、春馬は────」
ラミネートコーティングされたメニュー表の上につたった滴を指先で広げるようにしながら、海吏は呟く。
「僕がちょっとでも怒ったり、嫌な顔でもしたらすぐに謝るから。春馬が悪いんじゃなくて、僕が悪いのに────だからいらいらして。でも、春馬が嫌いなんじゃなくって。それでいいのかなって、いつも思って────ちゃんと謝って、でも、それだけじゃダメで。ありがとうって、一緒に居たいって、そう言わなきゃダメなんだって。あいつがちゃんと教えてくれたから、そしたらいろんなことが、怖くなくなって。それで────」
ぎこちなく震わされた言葉に、心ごと揺さぶられるような心地を味わう。ああ、この子はもう簡単に揺るがされないだけの芯を、ちゃんと自分の中に見つけたんだ。
まるで自らに言い聞かせるかのような穏やかな口ぶりで、海吏は答える。
「大事だって、言っていいんだって。言わないとそのぶんだけ、相手のこと、寂しくさせるだけなんだって。だからあいつも────瀧谷もきっと、周くんから逃げてるわけじゃなくって。ちょっとだけ考えたくて、ちゃんと、どうやったら一緒に居られるかって考えてるだけだから────ごめん、こんなこと言われても困ると思うけど。でも────」
ぎこちなく揺らぐまなざしをじっと見つめるようにしながら、かける言葉はこうだ。
「……わかるよ」
言葉にしてすぐに、ちくりと小さな違和感が胸を突き刺す。違う、そうじゃない。そんなの傲慢だ。でも、きっと彼がほしい言葉に近いのはこちらだから。小さな核心を胸に呑み込むようにしながら、周は続ける。
「伏姫くんはさ、あいつと友達やってくれてんだよね? だったらさ、あいつのことだってたぶん、俺が知らないこと、いくらでも知ってくれてるよね?」
かすかに息を飲む姿を前に、ちいさく頷くようにしながら、周は続ける。
「あいつはさ────いっつもああじゃん。人の懐に平気でずかずか入ってきて、ただの無神経なのかと思ったらじいっと針の穴から覗きこむみたいにこっちのこと見てて、唐突に優しくしてくる。あしらってもあしらっても平気で突っかかってきて。そのくせ、すげえ意地っ張りだし、すぐ拗ねるし────正直死ぬほどめんどくさいし、落ち着く暇がない。あいつと友達づきあいしてるなんて、どんだけ人間が出来てんだよって思った」
「周くん……」
震わされた言葉が紡ごうとする言葉を制するように、そっと掌を目の前へと差し出しながら、周は答える。
「あいつはああ見えて、ばかみたいに優しくて────でも、おんなじくらいばかみたいに臆病なんだよ。俺のせいでそうさせたんだって、そのくらいわかってる。めちゃくちゃ追いつめたし、傷つけた。たぶんこれからもずっとそうする────でも、そういう時ちゃんと話せる相手が居て、それがあいつがずっと話してた『好きな子』で。正直さ、なんだよそれって思うよ。それでも俺でいいとか、どんだけ悪趣味なんだよって。でも、おんなじくらいすごくうれしい」
頭の奥がぐらぐら揺れて、瞼がぐっと熱くなる。なんだよ、結局何が言いたいんだ。ばかなんじゃないのか。
ずきずきと鈍く痛みに耐えきれず頭を押さえつけるようにすれば、微かに潤んだかのように見える揺れるまなざしは、それでも一歩もひるむことなくこちらをじっと見つめてくれているのに気づく。
「────俺は、そういうのは。手に入らないって、ずっと思ってて。でも、忍はそうじゃなくって。それでもあいつの中に、ちゃんと俺は居て────すごくうれしいけど、同じくらい怖くって。でも、」
胸の奥に石かなにかが仕えたみたいに、ぐっと息苦しさがあふれ出していく。こんなにも苦しい、こんなにももどかしい。でも、それが手を離す理由になんてならないことくらい、とっくの昔に知っていた。
「……周くん」
ひどく遠慮がちな優しい手つきで数度、肩をなぞられる。まるで、親が子どもにそうするかのように。あやういそんな仕草によって、自らの肩がみっともないくらいに震えていたことに、いまさらのように気づかされる。
「……ありがとう」
端から滲んで溶けていきそうなおぼつかない声で、それでも、きっぱりと答える。だって、ちゃんと口にして届けなければきっと後悔する。
「ありがとう、ほんと――ちゃんと謝らせるから、あいつに。なに人様に迷惑かけてんだよって。大事な友達巻き込むんじゃねえよって。だから────」
振り絞るような心地で答えれば、呼応するかのように胸のうちがふつふつとわき上がるような、そんな錯覚に襲われる。
優しくしてくれてありがとう。大切な相手に────それだけじゃなくって、こんな自分にまで。それだけでよかった、ずっとそのはずだった。そんな簡単なことが、ずっと言えなかった。
心の奥が、音も立てずに溶かされていくのを感じていた。
どうしてあんなに恐れていたんだろう。ほら、こんなにもあたたかい。ほんとうに、ただそれだけのことなのに。
「……遅いね」
ぎこちなく震わされるように届けられた言葉に、かぶせるように周は答える。
「様子、見てくる。もしかしたらあいつのことだし、待ってるのかもしれないし」
どんだけはた迷惑なんだよ、ほんと。わざとらしく悪態をつくようにしながら、その場を立ち上がる。ほんの僅かにだけ足下がぐらつくような感覚に襲われたのを、ぐっと踵の先で踏みしめるようにして無理矢理に抑えつける。
大丈夫、だいじょうぶ。なにも恐れなくっていい。なにも失ってなんていない。
早く連れ戻しにいかないと。そして何よりも伝えなければいけなかったことを、真っ先に伝えないと。
確信を込めるようにしながら、少しだけ震わせた掌をきつく握りしめ、ドアに手をかける。一番会いたい相手に、伝えなければいけないたったひとつのこの気持ちを届けるために。
この二人は良い友達になれるんじゃないかなーと個人的には思っています。
ほんとはもっとゆるいネタを書くつもりだったのにどうしてこうなったと思いつつ、書いているわたしはなんとなく幸せでした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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