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調弦、午前三時

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あたたかい場所

「ほどけない体温」周くんと忍の休日。







 ゆらぐ意識の網にとらわれながらうっすらと感じたのは、いつもと違う枕の感触だった。 あれ、なんだっけ。
 半覚醒の頭を揺さぶり、とろとろと落ちかけたままの瞼を押し開いて目に入るのは、見慣れてはしまったけれど、いつもと違うことがはっきりとわかる天井。
 ああそっか、きょうはそうじゃなかった。

 明け方の空気の冷たさに、ごろりと寝返りを打ちながら毛布を巻き付け、軽いみじろぎをする。キッチンからは流れる落ちる水がシンクを叩く音と、冷蔵庫を開け閉めする音。それに、うんと控えめにボリュームを絞ったテレビのニュースの声も。
「おはよう周、起きた? よく寝てたみたいだから声、かけなかったんだけど」
 部屋着に着替えた家主はベッドサイドへとぺたりと腰をおろすと、すっかり手慣れた様子でくしゃりと寝癖のついたままの髪をかきまぜる。
「朝ご飯食べるよね。きょうパンないからご飯だけどいい?」
「ん、」
「……いいよ別に、ゆっくり支度しなよ。ね?」
 まどろみながらあわてて抜け出ようとしたところを、制するようにすっと、毛布越しに指し伸ばされた掌が押し返す。
「さむいもんね、きょう。着替え、ストーブんとこであっためてから持ってこようか?」
「いいよ、」
 鼻の上までずりあげた毛布にくるまりながら、もぞもぞとくぐもった言葉を吐き出す。
 傍らで眠ってくれていた相手の気配と余韻だけが残された寝床には忍のにおいだけがすっかり残っていて、こうしているだけでひどく安心するから抜け出せないなんてそんなこと――いえるわけ、あるはずもないままで。
 すこしあせばんだ額に張り付いた前髪をさわりとたどるようにふれながら、忍は尋ねる。
「たまご焼くけどどうする? 目玉焼きとオムレツどっちがいい? ゆで卵でもいいよ」
「オムレツ」
「チーズ入ってるやつ?」
 こくんとうなずいて答えると、いい子いい子をするようにさわさわと頭をなでられる。
 はずかしい、けれど、すこしもいやなわけなんてあるはずもない。


 あんがい甲斐甲斐しいところあるよな、こいつも。
 いつの間にか「周用にと」買い揃えてくれた濃紺の塗り箸で、やわくとろけるオムレツをつつくかたわら、胸の奥でだけふかぶかと吐息をはきだす。
 基本的に寝泊まりをした際には、部屋の主が朝食を用意する。いつしかふたりの間で定まっていたローカルルールのひとつに従っているだけと言えばそうなのだけれど、それにしたってやっぱり、こんな風に支度を整えて目覚めを待ってくれる相手がいることにひどく安心するのは確かで。
 厚めに切って焼いたハムステーキに炒めたアスパラ、チーズ入りのオムレツ、インスタントのお吸い物、冷凍ご飯。
 有り合わせの和洋折衷ともなんともいえないおきまりの朝食はいつもどおりちゃんとおいしい。もちろん、向かい側にはいつものように、寝癖の残ったままの部屋着姿でにこやかに笑いかけてくれる相手がいてくれるからだなんてことは承知の上で。
 ああ、そういえば『はじまり』だなんて言えたのもきっとこの部屋だったな、なんてことをいまさらのように思い返す。
 半ば無理矢理引きずられるようにこの部屋に連れられて、目をさました時には見なれないベッドの上で――あの時の忍は、床で眠ったのだろうか。家主のくせに遠慮するだなんてまったくもってらしくものないのだけれど、それも気遣いのうちだというのならいじらしいというか、なんというのか。

「どしたの周、まだ眠かった?」
 醤油をかけたオムレツを乗せたご飯に柴漬け――黄色と茶色に紫だなんてコントラストはきれいだけれどいまひとつとんちきな組み合わせというか、なんというのか――をかきこむようにしながら投げかけられた問いかけをまえに、口のはしについたケチャップをらんぼうに拭うようにしながら周は答える。
「や、いっつもだけどよく食うなって」
「えー、だって朝っておなかすかない?」
 いつだってにこにこと上機嫌の様子で食事を口にする姿に、いやおうなしに心をゆるまされてしまうのはいつまでたっても変わらないままではあるのだけれど。
「きょうはねぇ」
 ごく、とのどをならすようにしてグラスになみなみと注いだほうじ茶を口にしながら、忍は答える。
「朝のうちに図書館行く予定で、終わったらついでに買い物して帰ろっかな、みたいな。まぁお昼くらいには終わるかなぁ。したら後はゆっくりしよって思ってて」
「昼めし、おまえの分も作っといていい?」
 周は、と聞かれるまえに、先手を撃つようにすかさず答える。
「いれんの?」
 瞳を丸くして問いかける態度をまえに、すこしだけ得意げに笑いかけるようにしながら周は答える。
「いてもいいんなら、まぁ」
 幸い特に急ぎの用事もなければ、すべきことはあらかた片づけてきてはいたので。
「きょうも泊まってく?」
「でもいいなら?」
 うれしそうに笑って答えてくれる屈託のなさがかわいいので、わざとらしくそっけなく答えてみせる。(当人にはもちろん言わないけれど、またすぐに調子に乗りそうだから)


 大切にされている、と感じる瞬間がいくつもある。
 単純な言葉や態度ひとつなんかじゃ足りない。端々で感じるかざらないぬくもり、触れる指先の感触、投げかけられるまなざしひとつとったって。たぶんそれが、いままで積み重ねてきたいくつもの経験のすえにあるものであることだって。 
「ねえ、どうしたの」
 薄いくらがりの中でこちらを見下ろしてくれるまなざしが、かすかに陰る。髪を漉いてくれる指先の動きも、しきりに洩らされるあたたかな吐息も、そのすべてが息苦しいほどのぬくもりに満ちていて、ひどくやさしい。
 体重をかけないようにうんとやさしく抱きすくめる術を、かすかによぎる不安や迷いを溶かすようにたどらせる指のうごきを、たおやかに気持ちを溶かしあえるまなざしの交わし方を知っている――それもきっとすべて、この腕の中をすり抜けていった女の子が過去にもきっとたくさんいたから。
 砂糖菓子の細工で出来たみたいな女の子と違って、多少手荒に扱われたって壊れるわけでもないのに――心の芯をたどるみたいに、その先のいちばん触れてほしい箇所をうんとやさしく押し開いていくみたいにとびっきりのおだやかさで触れられるたび、あまい息苦しさは加速していくばかりだ。
 くすぶった欲望の熱を暴き出し、ひとときだけのその時間に思う存分酔いしれることが身体をつなぐのにふさわしいあり方で、気持ちなんて重い荷物がそこに必要だなんてひとかけらも思っていなかった。
 高まって満ち足りていく身体と心はこんなにも重くて、自分ひとりでなんか到底支えきれないだなんて、忍とこうするようになってから初めて知ったことだ。
「……別に」
 ぶん、とかぶりを振って目をそらすようにしれば、ほんのわずかに汗ばんだ両掌は包むこむようにそうっと頬を挟み込み、こちらをうんとやさしく捕らえる。
「あーまーねー」
 いじけた子どもみたいに、でも、ちっとも心からは怒ってなんかいないのが伝わるいつもどおりのあのやさしい口ぶりで告げられるのはこんな言葉だ。
「周がそゆの言う時に限って平気じゃないことくらい知ってんだけど」
「しのぶ、」
 ほら、まただ。ちくりと胸を刺す鈍い痛みに耐えるようにしていれば、かすかに震わされた指の腹はそうっと瞼の端をなぞる。
「言いたくなかったら無理に言わなくていいよって、まえにも言ったよね? でもさ、周いま、さびしい顔してたじゃん」
 わかんない? くるくるとよく動く焦げ茶の瞳の中にかすかに自らの姿が映し出されていることくらいはわかるけれど、忍の瞳に写る『寂しい顔』がどんなものなのかなんて、もちろんわかるわけもない。
「ね、どうしたい?」
 ゆらぐ瞳の中を、じいっと目をこらすようにして見つめながら忍は尋ねてくれる。
「ちゃんと教えて、ね」
 頬をなぞる指先の感触に瞳を細め、そろりと静かに息を吐くようにしながら周は答える。
「……キスする」
「良くできました」
 いい子いい子をするようにくしゃくしゃに髪をなぞりあげ、しきりに吐息をかぶせあうみたいなうんと優しい口づけを落としながら、背中に巻き付けられた腕の力が強まる。
 ただ吐息を重ね合うだけの何気ない行為になんでこんなにも胸を詰まらされるのかなんてすこしもわからない。それなのに、重なり合った胸はいっそ気が狂いそうなほどにうんと激しい早鐘を打ち鳴らして、心ごと熱く火照らせるような高まりにみるみるうちに足をからめ取られて、身動きなんて取れそうにもなくなってしまう。
 瞼を開くタイミングに戸惑ったまま暗闇の中でただ身をゆだねるようにしていれば、いつのまにか、くすぶった吐息は頬や鼻先、瞼にもしきりに落とされる。かすかに熱くなった耳を、つめたい指先がさわさわと包み込む。
「周、どきどきしすぎ」
 ぎゅうっと抱き寄せる力をゆるめないまま、耳元で囁かれると、重なり合った心音はますます高まるばかりで。
「……誰のせいだと思ってんだよ」
「俺のせい?」
 うんとうれしそうに囁きながら、ゆるゆると歯を立てないようにして火照った耳朶をはまれると、くすぐったさに思わずみじろぎをするのを止められない。
 布地越しにさわさわとこすれる感触がじれったくてもどかしい。ぴったりときつく重なり合った胸の鼓動は高鳴る一方で、刻みあうリズムの激しさはもちろん自分だけのものなんかじゃない。
 早鐘を打ちつけるリズムが耳の奥でこだまする中、抱きすくめられた身体からも、ぴったりくるまれた毛布からも、忍のにおいがあふれている。息苦しいほどのぬくもりに包まれる中で、文字通り身動きひとつとれやしない。
 こんなんじゃあ、まともに寝られる気がしない。まったくもって、明日の予定がないことに感謝するしかない。



 いつの間にかまどろんでいたらしい。ぱちり、と目を覚ました途端、いまだどこか生々しく残る記憶の気恥ずかしさをかぶりを振って打ち払うのに必死になる。
 ああそうか、きっとこれのせいだ。
 床に腰をおろしたまままきつけたブランケットからは、忍のにおいがする。
 
 悪くないな、とどこか感慨深く思う。MP3プレイヤーを繋いだドッグスピーカーからはすっかり耳に馴染んだBGMがうっすらと流れていて、折り畳のちいさなテーブルには周用にといつの間にか用意してくれたカップ。手の中にすっぽり収まるのは、適当に読んでいいからと言われて手にした書店のカバーのかかったままの文庫本。
『勝手知ったる他人の家』とはよくいったものだな、といまさらのように思う。自身の領域へとやすやすと踏み入れられることをあんなにも忌み嫌っていた自分が、こんな風に違う誰かの『居場所』で落ち着けるようになるだなんて、ずっと思いもしなかった。それもきっと、忍なりの周の居場所をここに用意してくれたからだなんてのは承知の上で。
 ソファ代わりに背をもたれさせたクッションをかませたベッドの前で軽く伸びをしながらふかぶかと息を吐き、ぐるりと視線を揺らす。
 ぴったりと扉の閉まったクローゼットにはわずかばかりだけれど、周の着替えも入っている。それらみんなが、この部屋ですこしずつ忍のにおいや気配に染まっていくのだとしたら、周はきっとそんなささいなことすらもうれしい。

 すっかりぬるくなったカップへとそろりと手をのばそうとした瞬間、傍らに置いたスマートフォンがわずかな振動とともに着信を告げる。
 
 ――『あと十五分くらいで帰んね』
 
  ああ、もうそんな時間か。だったらこっちも支度でもしておこう。

 ――『待ってる』

  一言だけの返信を送ると、読みかけたページにしおりを挟み、するりと立ち上がる。キッチンにはあらかじめ水に漬けておいたパスタが待ちかまえてくれている。




「なんかさぁ」
 いつも通りの上機嫌の様子でシメジと鳥のささみのパスタをフォークに絡めながら、忍は答える。
「うち帰ってさ、こやって周がいてくれんのってなんかいいよね」
「飯、作んなくていいから?」
「それもそうだけどさ、それだけじゃないに決まってんじゃん」
 わざとらしく素っ気なく答えれば、しばしばそうするように空いた片方の掌はわしわしと遠慮なく髪をかきまわす。

『当たり前』になりつつあるのは確かなのだ。それをもっと確実なものにしたいと、そう願う気持ちだって。
 それでも、もし、それがほんとうに『日常』になったとしたら。その時でもこんな風に笑いかけてくれるのだろうかなんてことくらい、思うのだってきっとあたりまえだ。
 忍がこうしていてくれる日々が『日常』であり続けてほしい。それを積み重ねた先にあるものを、ふたりで共に見つけたい。
 ぼんやりと浮かぶ願いを敢えて口にするとすればきっとそうなのだろう。ちゃんと目の前の相手にありのままそれを告げるのには、もう少しだけ時間がかかってしまいそうではあるけれど。

「きょうの晩ご飯だけどさぁ」 
 わざとらしく目をそらすようにするこちらに気づいたように、じいっと視線を追いかけるようにしていつもどおりににこにこと得意げに笑いかけながら告げられる言葉はこうだ。
「周いるしさ、餃子にしよって思って。いっぱい包んで冷凍しとこって思うんだけど、包むのいっしょにしてくれるよね?」
 子どもみたいにあまえたような口ぶりは、たちまちにくすぶった憂いにも似たなにかを溶かしてくれるのはいつまでたっても変わらない。
「おう」
 いつもどおりの投げやりな受け答えにだって、ちゃんと笑いかけてくれることだって。
「うちねえ、餃子作るとき、皮から作んだよね。きょうは面倒だから買ってきちゃったんだけど」
「凝ってんだな、おまえん家」
 なんとなく納得づくではあるのだけれど。(会ったことなんてないけれど)
 感心した様子で答えるこちらをまえに、得意げに笑いかけるようにしながら忍は答える。
「そんな難しくないんだよ、強力粉と薄力粉と水混ぜて、よくこねてのばすだけ。ちょっとめんどくさいから休みの日とかじゃなきゃやんないけどね。俺とひろちゃんも総動員で支度してね、ホットプレートにぎゅうぎゅうに敷き詰めていっぱい焼くの」
 瞳を細めてうんとうれしそうにつぶやく姿には、飾りなんてかけらもないぬくもりがあふれ出していくようで。
「じゃ、今度作る?」
 すとん、とフォークの先でアスパラを突き刺すようにしながら、周は言う。
「さすがに来週ってのはどうかと思うから、もうちょっと先で。別にうちでもいいから。用意しとくし」
「……ほんと?」
「嘘ついてどうすんだよ」
 笑いながら、しゃくしゃくと新鮮な緑をかみしめる音を響かせる。

 こんなにもささやかでささいなことに過ぎなくたって、『次』につながる約束が出来ることが、それを心から待ち遠しく思えるこんな瞬間がいつだって途方もなくうれしいことを、ふたりはこんなにもちゃんと知っている。 








「前から聞きたかったんだけど」
 うすい暗がりの中、頬にかかった髪をそろりとなぞりあげるようにしながら、周は尋ねる。
「弟ってさ、おまえのことなんて呼んでんの?」
 唐突な問いかけをまえに、すぐさま返されるのは声を立てないうんとささやかな笑い声だ。
「……なんで聞くかな、いま」
 ささやき声をまえに、強気に笑いかけながら頬をなぞり、周は続ける。
「いいじゃん別に、いつでも」
 特にどうしてもなんてわけではないのだけれど――生まれてこの方『きょうだい』なんてものに恵まれたことのなかった周にとっての興味の対象だったことは確かで。
 どこかばつの悪そうな様子で、ぽつりと吐き捨てるように忍は答える。
「まぁふつうに、忍って」
「……呼び捨てかよ」
「だからさぁー、」
 かすかな身じろぎとともに、パジャマ越しの胸元のあたりをするりとかすめるようにさすりながら、どこか抗議めいた響きで告げられる言葉はこうだ。
「小学校とかもっとちっちゃい頃はちゃんとお兄ちゃんって言ってくれてたのね? でもね、なんかある程度おっきくなると兄ちゃんとか兄貴とかそういう呼び方すんのもはずかしいんだって。だから忍って。でもべつに舐められてるとかぐれたとか、そゆんじゃないからね」
 むきになったような口ぶりで投げかけられる返答に、思わずこらえきれずに笑い声がこぼれる。
 なだめるようにわしわしと、いささか乱暴にやわらかな髪に覆い隠された耳をなぞりながら周は答える。
「仲いいもんな、おまえら」
「だよ?」
 少しも否定しない口ぶりはいかにも『らしい』のだけれど。

 ――生まれてこの方ひとりっこの周には到底わかりはしないのだけれど、大人になって離れて暮らしている『きょうだい』の中でもきっと、忍と弟はずいぶんと仲が良い。
 しばしば話題に登場する弟の話をするたび、どこか誇らしげに、いつもは見せないような『お兄ちゃん』の顔で笑って見せる姿からいってもそれは明らかだ。

「ひろちゃんはねえ」
 どこか懐かしげに、うんとやわらかく瞳を細めながら忍は答える。
「病院でみたときは真っ赤でくっしゃくしゃでなんかふにゃふにゃしてて、それでも紅葉のはっぱみたいなちっちゃい手の指に爪がいっぽんいっぽん生えててさぁ。なんか不思議だなぁ、俺もこんなだったかなって、はじめてみた時はかわいいとかそゆのもぜんぜんなくて、それどころかお母さんもお父さんも親戚のこともみんな俺から取っちゃうし、つまんないなーくらいに思ってて。でもさ、じいって様子見てると俺のことみてうれしそうに笑うし、おもちゃみたいな指でぎゅうって俺の手握んだよね。そん時の瞳がさ、なんか真っ白ですっごいきらきらしてて。子どもだったのに、なんかすっごい覚えてて」
 二度と戻らない時間を懐かしむように、どこかわびしさといとおしさ、その両方をにじませたかのような口ぶりで、忍は続ける。
「そのうちさ、ちゃんと歩いてしゃべれるようになって。とてとて俺の後ろついてあるいてにいたんとかなんとか言って。ずっと家でひとりで図鑑読んだりとかお絵かきしたりとかが好きなほうだったんだけど、ちゃんと友だちとかもそのうち出来てさ。すっごい明るくてまじめでいっしょうけんめいで、困ったこととかがあると俺にいろいろ相談とかもしてくれて。なんかね、ひろちゃんがいると元気になんだよね。俺たち家族だけじゃなくて、たぶんみんなそう。結構きまぐれだし気分屋なとこなんかもあんだけど、しょうがないなぁって笑ってくれて。みんなひろちゃんのこと好きなんだなーって、ちょっとやけちゃうみたいな」
「おまえだってそうだもんな」
「決まってんじゃん、すきだよ?」
 屈託なんてかけらも感じられない満面の笑みで答えられると、それだけでこらえようのないぬくもりはますます高まる波のように押し寄せていくばかりだ。
 だってずっとまえから知っている、こんなふうに、あますところなんてかけらもないあたたかさで『大切な相手』を思える忍のことが、周だって誰よりも好きだからだ。

「周もさぁ」
 しばしばそうするように、すり、と首元に顔を寄せるようにしたまま、忍は答える。
「いつでもいいからおいでよ、うち。みんなでご飯食べて麻雀とモノポリーやってさ、そんでいっぱい遊べばいいじゃん。息子ひとりくらい増えてもいいよ、周みたいなイケメンだったら大歓迎だよって、佳乃ちゃんだってぜったい言ってくれるしさ、ね?」
「……いいけど」 
 どこか力なく答えて見せれば、打ち消すようなやわらかな言葉がかぶされる。
「ね、約束?」
「じゃあ、やくそく」
 ぽつり、と投げかけるように答えれば、返事をする代わりのように、背中にぎゅっと回された腕の力が強まる。



 ここではふたりきりで、隅から隅まで余すことなどないほどに忍の気配とぬくもりだけが満ちあふれていて。それでもこの腕の中に潜んでいるのはきっと、いままでの忍を形作ってくれた幸福のありかたひとつひとつで。

「しのぶ、」
「……どしたの」

 答えないまま、きつく抱き寄せた頭をくしゃくしゃになぞりあげ、ぬるい吐息をゆるやかに吐き出す。
 きっといまの自分は、また、『寂しい顔』をしているに違いないから。せめてこの腕の中で感じるあたたかさが魔法のようにそれを溶かしてくれるその時まではもうすこしだけ、このままで。

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