「ほどけない体温」
忍から見た周について。
折り本でネプリ配信したものからの再録です。
ぽっかり空いた心の隙間を埋めあうみたいに、冷たい体を寄せ合って眠るだけの関係にいつしかなっていた女の子のことを、時折思い返すことがある。
あの子はいまごろ、どうしているのだろうか。薄い羽布団をまきつけて眠るあの傍らで、心ごと凍えてしまわないようにと抱きしめあえる相手はもう見つかったのだろうか、それとも――
未練があると、そういいたいわけではない。いいわけじみて聞こえるかもしれないけれど。そりゃあこちらにだって人並み程度の情はあるという、ただそれだけで。
傍らで、恋人が眠っている。くしゃくしゃになったやわらかな髪の毛も、微かに震える睫毛も、ぬるい吐息を漏らす唇も、無防備に差し出されるまま、ゆらりと背中に回された少しだけ汗ばんだ掌も、微かに上下する胸も――そのすべてが、いとおしさに溢れている。
あの子の時とは――過ごした時間の最後の間際とは、当然だけれど、やっぱり違う。あらためてそんな、あたりまえのことを思いしらされるかのような心地でいた。
ときめきも、肉欲も、執着も――すべてがみな綺麗に溶けて、ぬくもりだけを預け合って。一方通行の寂しさを寄せ合うかのような、ひどく身勝手な関係に落ち着いていた。ぬかるみの中を漂っているようなそんな時間は、安心感とは裏腹にいつだってどこか空しくて、触れあった体をつたう熱に相反するかのように、心の内はさめざめと冷えていく一方だった。
「好きな相手が出来たから、もう会えない」
「いままでずっとありがとう」
苦しげに告げられた言葉は、裏腹の安堵感を与えてくれたのは言うまでもない。ほら、これでやっと手を離すことが出来る。
(周は言ってくれたよね。お互いに寂しかっただけなんだから、俺ばっか悪者になる必要ないだろって)
(その一言で俺がどれだけ救われたかってこと、周はわかってる?)
ぽつりぽつりと、ソーダ水の上を漂う泡のようにゆらゆらと浮かび上がる言葉を胸のうちでだけ吐き出しながら、少し汗ばんだ額に張り付いた前髪を指先で払う。眠りについている時の恋人の顔はいつもよりも微かに輪郭が滲んであやふやで無防備で、いつだって耐え難いほどのいとおしさに満ちあふれている。
一緒に寝よう、と初めてそう言った時の、ひどく困ったような表情をいまでもよく覚えている。
「やらしいこととかしないからさ、ね?」
(もうしたから、というのは置いておいて――)
酷く困惑したように、うつむいたままぎこちなく視線を逸らすのはいつもの癖だ。あんまりかわいいからそのままそう伝えれば、途端にみるみるうちにムキになってあしらうような冷たい言葉を投げかけて、それでもすぐさま、後悔したみたいに苦しげな表情を見せてくれるのだって。
寂しがりで、つよがりで――それでいて、いつだってすごく優しい。目をこらすようにそんな姿を夢中で追いかけるそのうちに、いつのまにか、こんなにもあっけないほどに恋に落ちていた。
「狭いと寝れないとかそういうの? 周が嫌ならいいよ。電車まだあるし、帰るから」
髪を掬っては払う、を繰り返していた指の先に、微かに震わせた自らのそれを重ね合わせるようにしながら、告げられたのはこんな言葉だ。
「……いいから」
「……帰んなくていいの?」
答える代わりみたいに、指先に込められた力が、わずかに強まる。
「じゃあ一緒にいてもいい?」
「ん、」
どこか苦しげに漏らされた一言はいつものつよがりとも拒絶とも違う、頼りないけれど確かな懇願で。そんな些細なやりとりに、こんなにも心ごと淡く溶かされていく瞬間があるだなんて知らなかった。
「……んッ」
ぬるい息をゆるやかに吐き出しながら、時折何かを探し求めるみたいに、背中を掌がかすめる。答える代わりみたいに指先をかすめれば、頼りなく握り返すようにして、ちいさく吐息がこぼれおちる。幾度と無く繰り返してきたこんな瞬間に、それでも、心は否応なしに軋む音を立てる。
ふたりで感じる息苦しさのほうが、ひとりで感じるそれよりもずっと優しい、ずっとあたたかい。
とうの昔に知っていたつもりで、それゆえに見過ごしていたそんな感情を今更のように思い知らされていた。どんなに歯車が軋んだとしてもいっしょにいたいと思える、そんな相手に出会えたから。ぎこちなく震わせた手を、それでも、こんなにも確かに握り返してもらえたから。
こんな風に好きになってもらえるなんて、ずっと思っていなかった。
ほんの少しでもいいから、周が寂しくなければいいなって思うよ。それが、俺の「好き」だからだよ
ぜんぶ同じなんかじゃなくてもいいよ。少しでも受け入れてもらえてるんならいいなって、そう思うよ
胸のうちでだけぽつりぽつりとそうつぶやきながら、淡く息を漏らす。
答えるはずもないのをわかって、それなのに身勝手に心だけ預けようとしているこんなわがままを少しだけでいいから赦してもらえたらと思う。
目を覚ましたらまた、うんざりするくらいいくらでも話すから、だからいまは少しだけ、このままで。
起きたらまたちゃんと話すから、最後まで聞いてくれるよね?
いつのまにかとろとろと身体中を包んでいくぬるい眠りにくるまれながら、ゆるやかに瞳を細める。眠ったっていい、だって、次に目を覚ました瞬間に真っ先に視界に飛び込んでくるのだって、目の前に居てくれるいちばん大切な相手なのを知っているから。それがどれだけあたたかくて安らかなのか、なんてことだって。
(好きになってくれてありがとうって、そう言っていいんだよね)
ささやきながら、少し重くなった瞼を閉じる。答える代わりのように、背中に回された指先が微かにとんとんと、あやすように少しだけ汗ばんだ忍の背をさする。
周の指先は、もう少しも冷たくなんてない。そのことが、忍には途方もなくうれしい。
TLで見かけるネプリというのをわたしもやってみたくて折り本の形で配信させて頂いたのでした。プリントして下さったみなさま、ありがとうございました。
忍はどんな風に周くんが好きなんだろう、というのを
あまぶんガイドにて鳴原あきらさんから頂いたレビューを読んで考えていたら書きたくなりました。ありがとうございます。
(作中でも本人が言っていますが、忍は周くんの意地っ張りで可愛いところと優しいところが好きです。)
このふたりは『愛し合いたい・抱き合いたい』という気持ちをやわらかく優しく受け止めあえる関係なのかな、と思います。そういった関係性を正面から描けるのが、わたしにとってのボーイズラブというジャンルでした。
このふたりに関してはまだ少し、本の形として書きたい事があります。
いつかお目にかけていただけることがありましたら、どうぞ宜しくおねがい致します。
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