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調弦、午前三時

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満ちる夜

雨の夜のお話(あましの)
扇情的な描写はありませんが、ベッドシーンなのでR15相当。


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「なんて言うんだろね、こういう時って」
 あぶくのようにふわりと浮かんだ疑問をふいに投げ掛ければ、静かにこちらへと影を落とす相手からの不可思議そうなまなざしがこちらをとらえる。
「……忍?」
 やわらかくくぐもったささやき声と共に、かすかに震えた指先がそっと髪をなぞり上げる。
 わずかな月あかりと、うんと控えめに絞ったランプ――頼りない光の中に浮かび上がる瞳はじっとりと幕を張ったように潤んでいて、隠しようのない情欲の名残と無防備な幼さ――その両方を携えながら、心地よく身動きを奪う。
「なに?」
「あぁ、ほら」
 誘われるような心地ですこしだけ汗ばんだ髪をかきあげながら、ぽつりとささやき声にくるまれた言葉をこぼす。
「あめ」
 ぱちぱち、と瞬きを返すまなざしを見上げながら、手繰り寄せるようにゆっくりと答える。
「多いよなって思って、さいきん。こうゆう、夜遅くになってからザーッて降るの。雨って色々呼び名が変わるから、そん時々で」
 夕立、五月雨、山賊雨、時雨雨――思いつくだけでも、その日その瞬間の雨の光景をあらわす言葉はいくつも溢れているから。
「あぁ――、」
 すこし気の抜けたような吐息混じりの声が、じんわりと肌身に沁み渡る。
 うすい膜にくるまれたようなささやかさで届け合う声やしずかに漏らす吐息、すっかりと肌に馴染んだシーツの衣擦れの音――ふたりだけの静寂に支配されたこの世界にも、ぱらぱらとビーズの玉を叩きつけるような不揃いな雨音はこちら側とあちら側をつなぐかのようにしずかに響き渡り、耳朶をたおやかにくすぐることをやめない。
「考えたことなかったな、そういえば」
「あんのかな」
 手探りでケーブルに繋がったままのスマートフォンのありかをたぐろうとすれば、制止するように指先をぎゅっと絡め取られる。
「だめ、」
「気になるじゃん、だって」
 子どもみたいにまっすぐに問いかければ、かぶさるような返答がすぐさま載せられる。
「いまはだめ、でも」
「俺だけ見てろって?」
 わざとらしく冗談めかした口ぶりで尋ねてみれば、すこしだけ不機嫌そうに歪められたまなざしがするどくこちらを睨みつける。
「言ってないだろ、そんなの」
 ばつが悪そうな口ぶりの子どもじみた響きを耳にすれば、たちまちにいたずらめいた思いがむくりと顔を覗かせてしまう。
「じゃあ言って?」
 ゆっくりのまばたきとともに尋ねてみれば、面食らったような曖昧な笑顔がふわりとそれを受け止めてくれる。
「……そういうとこだよ」
 すこしだけ咎めるような口ぶりで告げられる言葉を前に、こらえようのない愛おしさが溢れ出していく。
「忍、」
 しばしばそうするように、髪をなぞっていた掌が包み込むよう耳に触れると、確かめるような手つきで輪郭をなぞりあげる。すっかりお得意の緩やかなその拘束は、みるみるうちに心ごと、静かにこの身を心地よく沈めてくれる。
「あのね、周」
「なに」
 いやにぶっきらぼうを装うような返答を前に、お得意の笑顔で尋ねてみる。
「ね、周。キスしよっか?」
「……なんで聞くんだよ」
「ダメでしょ、聞かないと。だからゆって、ちゃんと」
 問いかけの体をしたおねだりはどうやらちゃんと届いてくれたらしい。潤んだまなざしの奥はみるみるうちに熱く火照ると、言葉よりも饒舌に気持ちを届けてくれるのだから。
 ほんとうにかわいい、いつまで経ったってずっと。
「ね、周?」
 ぱちぱち、まばたきをこぼしながら問いかければ、照れくささを隠せないようすでわずかに逸されていたまなざしはじっとこちらに向けられる。
 吐息の音、早まる心臓の音、そこに重ね合わせられる雨の音――てんで不揃いのはずのこの不協和音をこんなにもいとおしく感じるのはなぜだろう。
「決まってんだろ、そんな」
 ひどく照れたようすを隠さないまま、唇はしずかに震える。
「……する、したい――ありがとう、聞いてくれて」
 水滴の滲むようなやわらかさで落とされる言葉は、たちまちに肌身に染み渡るように広がると、いくつものやさしい波紋を広げてくれる。
「忍」
「ん、」
 うながされるままにそっと瞼を閉じれば、すこし乾いた唇は睫毛や頬、鼻の上を掠めるように触れていきながら、やがて唇へと重ね合わせられる。
 ゆっくりとゆるやかに――次第に深く。痺れるようなあまさと、重ね合わせるほどに境界線を溶かしていく身体のぬくもりに息苦しいほどに満たされていく。
 我がもの顔で這い回るこの指の冷たさや骨の形まで、すべてがいとおしくてたまらなかった。
 熱に溶かされていく蝋燭みたいに、自在に自分の輪郭が姿を失うかのようなまぼろしがこうするたびに脳の奥でちかちかとまたたく。
 おそろしいとそう感じたっておかしくないはずなのに、ちっともそう思えない――この掌の中で、崩れ落ちたはずの自らをふたたび形作られていくその喜びを、そこに宿る、心が震えるほどのいとおしさを知っているからだ。

「雨って……、」
 まとわりつくように皮膚のあちこちに指を這わせながら、うんと湿り気を帯びたささやき声が耳元からそっと注ぎ込まれる。
「音楽みたいだな、こうしてる」
「ねえ?」
 笑いながら、いつのまにかほどけていた指先をもう一度、きつく絡めとる。
「タワマンとかだとさ、こういう音も聞こえないんだって。そりゃそうだよね、地面なんてびっくりするほど遠いんだしさ」
「天上界なんだな、ほんとうに」
「あこがれる? 周は」
「……ううん」
 ゆっくりとかぶりを振り、満足げな笑顔とともに吐息まじりの言葉がこぼれる。
「もったいないだろ、だって」
 この静かな音色で満たされていく時間を奪われるだなんて、そんな。
「ん、」
 こくりと頷きながら返せば、満足げな笑顔がこちらを包み込んでくれる。

 しっとりと湿り気を帯びた肌のぬくもり、こぼれる吐息の熱さ、やわらかく満ち足りていく肌の境で溶ける体温。
 ぴったりと重ね合わせた心音に寄り添うように、雨音はますますたおやかな響きを冴え渡らせる。

 こうしているだけで、閉じ込められているみたいだ、と思う。
 きっとそう望んだだけのあまやかな錯覚に過ぎなくて、この外の世界にはいつだって飛び出していくことが出来て、この頼りない掌には永遠を留めておけるだけの効力なんてあるはずもなくて、それなのに――いつも以上にやわらかくまあるく膨らんだこの空気は、重なり合う肌の熱さは、耳朶を震わせていたずらにくすぐるこの水の音は――そのすべてが心地よいまぼろしを何度も引き寄せ、こちらをとらえて離せないでいてくれる。


「やんじゃうかな、朝までに」
「どうだろうな」
 叩きつけるような不揃いな音色は、次第に色や形を自在に変えていく。おなじ瞬間、おなじ夜はこの地上のどこにもないのだと、そう教えてくれるかのように。
「……なんなんだろな、それで。名前」
「案外そのまんまだったりしてね。よさめとか、そんなさ」
「まんまだな」
「そーゆうもんだったりするじゃん? でも」
 笑いながら、抱き寄せた腕に込めた力をそっと強める。
「いいの、調べなくて」
「ん、どうしよっかな」
 あいまいな笑い声でくるんだくぐもったささやき声を肌の上へとこぼしながら、あやふやな境界をたどるような心地で指先を滑らせる。

 あたたかい雨の夜に導かれた、ひどく満ち足りたこの時を切り取る名前がもしこの世界のどこかにあるというのなら、いますぐに教えてほしいところだけれど。






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